Writer:Oumi

過去録

信仰と宗教のこと(1)

台風だ台風だ。
家の中で見ている分には雨風って好きです。被害さえなければなあ……。
天気のコントロール関しては今の科学力でもまあせいぜい人工降雨実験くらいしか実現してない訳で、昔の人はもっと為す術なくこの嵐に巻き込まれていた訳で、そりゃ神頼みもしたくなるってもんですね。

という訳で、前から書こう書こう言ってたのに手をつけるか、と。
こういう題名つけると胡散臭さぷんぷんですが、私は無信仰ですので自分の信仰告白とか神秘体験とかはまったく語らないし、語れません。と、必要以上に「布教とかじゃないですよ」と強調してしまうのは、今の日本で宗教について語るってのはしごく面倒くさい部分があるからだろうなあ。確かに「○○様を信じてます!」とか言われたら、引くもんなあ。関わりたくないもんなあ。

でも、宗教ってそんなに悪いだけのもんじゃないと思います。
じゃあ何で宗教って悪いように見えるか、というと、それはひどく扱いにくいからだと思います。
で、どうして扱いにくいかというと、それは人間の感情に根ざしたものだからです。
だから、例え間違っていたとしても理屈では諭せません。例えば説得して新興宗教を脱会させるなどありますが、あれは本人が信仰に疑いを持った後の話、そうなってようやく理屈が効力を持つから為せることです。
感情を完璧に抑えられる人間はいません。
宗教なんて分からない、気持ち悪い、という人も、そう考えればちょっと納得できませんか?
宗教は感情から生まれました。
従って、時には恐ろしいパワーを持ち、それが悪い方向へとつながります。いや、つながりやすいです、と言ってもいいかもしれません。
でも、逆に考えることもできると思います。
うまくつき合えば、この扱いにくい感情をコントロールすることもできるし、それがやっぱり一つの目的なんでしょう。禅宗などはこの面を強く打ち出していますね。

では次回(2)は「世界に感謝することについて」。また胡散臭そうな題名だな。

2004年10月9日(土)

Akiary v.0.51