過去録
今週いっぱいでオシチヤ下ろします。
とりあえず来週木曜にどういう形にしろ解禁なので、その準備も兼ねて今週いっぱいでテストプレイヤー用ダウンロード休止します。
公開準備しないと。
といっても、少々サイトの構成変えるくらいな感じでしょうが。
ところで今作ってるののジャンルがよく分からない。
育成? 恋愛?
でも恋愛系イベントよりその他の方がきっと比重が大きそうというか、作ってて楽しそうな感じ。育成に比重も高くなさそうだ。謎。
そして良く考えたら、こういうタイプのゲームを実は自分はあまりやってないんじゃないかということに思い当たってしまったりしていました。
ときメモはやった。たぶんサターン版。他に商業ではいまいち思い出せない。何かやったようなやってないような。曖昧な記憶しかないのはどうしたものか。
フリーでは、思い出せるのはスラムガイとか禍々とか育成日記くらいか……?
まあいいや。勢いで押しきるのじゃよヘナチョコスキー。
2006年6月1日(木)
何か色々ありますね。
日曜日に「オシチヤ」のテストプレイヤーさん募集は終了いたしました。
今までプレイしてくれた方々、まことにありがとうございました。
何か賞がいただけるとやっぱり嬉しいので、わくわくしながら木曜日を待ちます。
んで、作成中の「冠を持つ神の手」ですが、制作は進んでいるものの、とある事情のため、今後の進行は遅めになりそうな感じです。
とある事情というのもまだ確定ではないのですが。
そのうちお話もできるかと思います。
……大丈夫なんかなー、自分。
2006年6月5日(月)
銅賞いただきました。
オシチヤ、コンパクにて銅賞いただきました。
重ねて支援いただいた皆様に感謝いたします。
全然こったことしてないゲームなだけに、入賞できて嬉しいです。
ただ一つだけ、謎解きとストーリーは直結してるのになー、と思わなくもない。
ただし話の中でほとんど説明してないから、そういった意味ではその評価は当然だったりしますが。
どうしてすねこすりが導き手なのか、とか(一番大きな要因は単なる私の趣味ですが、必然的要素でもあります)。
どうしてあの七箇所なのか、とか。
先回の雑文で触れた事情ですが、有体に言えばツクールやってます。
まだ全然固まってないので、ちゃんと目処がついたらお話も出来るかと……まあ一ヶ月ほど後ぐらいになるでしょうか。
吉里吉里の柔軟性になれてしまうと、ツクールの制限がなかなか辛いですが、キチキチの制限の中で作るのもそれはそれで楽しい感じです。
2006年6月8日(木)
やくたいもないことをかんがえる
何やら少々『オシチヤ』について考えてみたので反省点などまとめてみる。
ストーリー性という曖昧な言葉は個々で捉え方が異なってくるけれど、たぶん意味としてはプレイヤーへの牽引力が低いと捉えて間違いはないと思う。
その通りで、手前味噌ながら『マヨヒガ』と比べてみても、『オシチヤ』の主人公の置かれた状況はぼんやりしている。OPにて語られることはほぼないと言って良い。すねこすりとの会話で一応彼女は「帰りたい」と口にするが、最初に母親という具体的な形で表された『マヨヒガ』の主人公と比べると、その意味するところはあまりに弱い。
そして、その希薄さこそが彼女の素性のキーであり、そこに手を入れたら台無しである(が、その希薄さは『マヨヒガ』との比較で認識されるものである)。
では、主人公自体が強く持たない目的意識を、プレイヤーにどうすれば付与できるか、ということが問題となってくる。
一つとして、細かいゲーム的障害をクリアしていく達成感、という手段がある。小目標の連続で、大目標の弱さをカバーするという形式である。
もう一つは、投影である。ほぼ同一の道具立てを使用することにより、前作の目的をそこに投影させ、ある種の目くらましとする手段である(有体に言ってしまえば、何とかごまかされた気分になってくれないだろうか、ということだ)。
つまり、意識的な部分にせよ、無意識的な部分にせよ、『オシチヤ』は『マヨヒガ』を前提条件として含まなければいけないゲームだったということだ。
その部分に、もう少し自覚的にならなくてはいけなかった。以上反省おわる。
……と抜かしてみましたが、作っている時にはそこまで考えてなかったのは確かなので。
屁理屈は何にでもつけられるって話ですね。
まあ、結論としてはたぶん間違っていないと思うので、『オシチヤ』の概要説明をちょっと書き直してみました。あまり意味はなさそうですが。
2006年6月9日(金)
オシチヤについてのちょっとしたメモ
微妙に誤解されている節が見られる箇所について、野暮ながらメモ。
・ほとんどのイベントにおいて、二つ以上の解法が存在します。
使用しなかったアイテムは、大体がそういうものだと思われます。
・イベントを進める手順において「つまる」ことはありません。
ただし、見られないEDが出てくる(直截的に言えばED7。5の難易度も上がる)だけです。
どんな進め方をしても他のEDは全て見ることが出来ます。
・つまり、手伝い周りは必須イベントではありません。あれはおまけみたいなものです。
宴会への誘いで妖怪をどかすのはある意味楽な謎解きであり、他にやり過ごす手段は必ずあります。
2006年6月13日(火)
冠の進行程度
オシチヤ関係の対応や、他のことをやらなくてはいけなかったので、のろのろと。
基本画面を載せておこう。
立ち絵は羅伊紀さんからいただいたラフ絵のダミーですが、他のインターフェイス部分はこんな感じでいくと思います。きちきちですね。
画面のデザインセンスについては不問に処してください。努力します。
羅伊紀さんのPCが先ほどご臨終召された様子というトラブルもあり、まあ今後もそんなに早く進行することはないと思います。
後は……上の人は王子様……です。ええ、一応王子……様。
イベント数とかバランスとかよく分からんので、その辺りの調整に今後苦労しそうです。
作っていてふと気づくと、一つのイベントがどんどん分岐していきます。選択肢はあまり多すぎても宜しくないのに。
あとイベント管理のうまいやり方を見出さないと。Excelでやってますが、管理下手なのでぐちゃぐちゃです。
書き出すとすごく先行き不安な感じですね。
でもまあマイペースでやるのは得意なので、そのうちそのうち。
2006年6月17日(土)
ルーチンルーチン
世の中にはダメージ計算式とか大好きな人もいると聞きますこんにちは。
自分はダメです。
剣術試合用のルーチンを組んでみたりしましたが、その辺り全て勘です。
確率統計とか理想値とか知ったことじゃありません。別に戦闘メインじゃないし、適当にばらつきが出りゃいーのよ、って感じです。
そういえば、昔テーブルトークの人だった時も、RPGマガジンのその辺りの記事は読み流してました。ロールマスターとかややこしそうだなあははー、ぐらいの感想でした。
好きな人に怒られそうです。
怒られそうといえば、スクリプトのソースもちゃんとした人に見せたら確実に怒られると思います。
でもルーチン組むの結構好きかもしれないと思い始めました。ソースはぐちゃぐちゃでも。
一応自分のやりたいことは出来ている感じだからいいやという妥協の産物です。
動きがもっさりしているのではないかという部分だけ不安です。
まだ全然イベント組んでないなあという実感がありますが、試しに一ヶ月ほどプレイしてみたら次から次に色々な出来事が起こって意外でした。
というか、起こりすぎて煩雑になりそうな感じです。
攻略キャラを発見するのも大変になったらめんどくさいと思います。
……まあいいか。
ちなみに試合は出来ましたが、キンキン鳴ったり光ったりするだけなので、画面写真とか乗せても意味ない地味さです。
2006年6月22日(木)
ざんねん!! わたしの ぼうけんは
ほっぷ すてっぷ じゃんぷ… てぃーじぇーえす!!
ふしぎな ちからが くわわる くわわる!!
ということで、配列を微妙に理解したので、TJSに手を出したりしてみたり。
所詮、配列ループさせて一気に変数代入するくらいしかやってないけど、ソースはちょっとすっきりした。いや、部分的にはかなりすっきりした。
好感度とかも配列で処理した方が良いのかもしれないけど、今からそれやると大変そうだからまあいいや……。
あまりに習作すぎて恥ずかしいので、そのうち「おはなし」は下ろします。
7月半ばくらいだろうか。すぐ下ろしても何ら問題はないんだろうが。
2006年6月24日(土)
ところでドラえもんは本当にいますよ。
いきなり何を言い出すのかと思う方もいらっしゃるかと思いますが、紛れもない証拠を所有していますので。
これを見れば、皆さんもドラえもんの実在を疑うことはなくなると思います。
では、証拠です。
国立歴史民俗博物館編「異界万華鏡−あの世・妖怪・占い−」より
江戸時代で目撃されてしまった様子ですね。
……しかし、この絵をわざわざチョイスして載せるところで、このパンフレット作った人狙ってるだろうと思わざるをえない。……と思って、キャプション書いた人見たら常光徹じゃないですか……。
ちなみにこの展示パンフはフルカラーで様々な資料が載っていてかなり良いものですので、興味がある人にはお勧めです。展示プロジェクト委員を見たら、宮田登とか福原敏男とかそうそうたるメンバーだなあ。同博物館ではまだ売ってると思います。
2006年6月27日(火)
物語のたどりつくところ
えりむうとん様から、オシチヤの可愛いイラストをいただいたのでご紹介をば。
http://sm-889.moo.jp/ositi.html
ありがとうございました。
あと、アンケートでいただいた意見の中で、ちょっと考えたことがあったのでここで少し。
(ED1-4のネタバレ含むため以下反転)
>家神七枚の札を通して産道を上った先が神社というのも
基本的には、家の神参り(七枚のお札)を終えた後に、氏神参り(お宮参り)が行われ、家→共同体へと子がお披露目されるのに準拠してます。
指摘されて改めて考えてみますと、あの場面では神の子より人の子への「生まれ直し」が行われている訳で、即ちあれを産道とするならば、そこを遡り、「お宮」つまり子の宮へ至るのは必然な気がします。でもそれならば、最後の道は下った方が明確ですね。つまりはこじつけな訳ですが。
……ということをつらつらこねくり回しているうちにふと気づいたのですが、ありゃ参道なんですよね。サンドウ(参道・産道)の奥にはミヤ(お宮・子宮)があるのか。うーむ。正直、日本民俗学の一種駄洒落的なところはどうも疑っているのですが(大体、サンドウという言葉がどれだけの昔からどれだけの普遍性を持って用いられてきたかとか、他の同音異義語はどうなのかとかから始めないと)、自分が考えているある仮説に対する一つのアプローチを発見してしまいました。
大変面白かったです。ありがとうございます。
偶然なのか、意識していないまでも積み重なっているものが表出してくるのか、物語を組み立てていくうちでの必然なのか、解釈というのは時にうまくついて回ってきますね。
例えばマヨヒガの話ですが、ED1へ至る条件として竈へと入っていく必要があります。あれを作った時点で竈が異界の出入り口であることや、カグツチの話は念頭にありましたが、成人できなかった子供を竈の裏に埋め、家の守り神とするという伝承はたぶん知らなかったはずなのです。いや、その時点で「竈神と厠神」(飯島吉晴・著)は読んでいたので、覚えていなかっただけなのかもしれないけど。
まあこれは一例として、そういうことはままあり、物語というものはたどり着くべき場所にたどり着くことは多いんじゃないかなとか。単に類型とも言う。
2006年6月30日(金)