過去録
ごろごろパタボン
週末は風邪引きかけたのでごろごろしつつ、近頃やってなかったパタポンをしてたりしました。
あ、前に書きませんでしたが、お詫びのあれなので2です。ちなみにイージーです。リズム感のない人にこれ以上の音ゲーは無理です。
ヒーローをたてポンにして無理無理突破がデフォルト戦法なので、一旦崩れると総崩れしてひどいことになります。そのせいでカニに勝てません。
次が最終面みたいなので、とりあえずカニスルーしてクリアするかな……。
それにしてもやっていて思うのですが、なんてプリミティヴに残虐なゲームなんだろうと。
可愛らしい見た目でごまかされてますが、タクティクス・オウガよりずっとひどいよねこれ。TOはプレイヤーが自覚するように作られているけど(というかそこでぐだぐだ悩むのが楽しいゲーム)、これはひょっとしたら気づかずにプレイできてしまうという点で。
もちろん製作者はそこのところ完璧に自覚して作っているのは、テキスト見てれば分かるのですが。すごくストレートに「殺す」「憎い」とか入ってるもの。侵略者パタポンにいきなり襲われるカーメン可哀想すぎると感じつつも、やっぱり慕ってくる民は可愛いと思う「かみさま」。
(今ちょっとラスト面入ってみたら、やっぱりそういう話みたいですね)
1や3はやってないのでシリーズ的なコンセプトかどうかは謎ですが、たぶんこれ一貫してるんだろうな。
神様といえば、近頃連続してクトゥルフが出てくる夢を見るのですが、これは何かの予兆か。しかも組み合わせが変。
フランス革命+米軍占領地+クトゥルフ とか。
手塚治虫記念館+水族館+お化け屋敷+船+クトゥルフ とか。
ちなみに手塚治虫記念館は実在のところではなく(行ったことないし)、博物館みたいな変な場所でした。手塚治虫の作品のことは何にも展示してなかったし。
まあクトゥルフといってもSAN値が下がるアイテムとか気配だけで本体は出てきてないのですが、これはアレか、まんま「クトゥルフの呼び声」か。自分は少しも繊細でも芸術家でもないですが。変人かもしれないが。
とりあえず発狂はいまいち好みじゃないので、誰かちょっと船でいってぶつかってきてください。頼んだ。
2011年8月2日(火)
ヒストリカル・クトゥルフ
さて、週一回になっていた外伝ですが、週二回のきちんとしたペースに戻せればなと思いつつ、先は分かりません。
今回はインターミッションな感じで。
そろそろ本編に書けなかったのでこの外伝を書き始めたエピソードの番なのですが、まだ積み重ねが甘い気がするので二、三話挟むかな。
先回クトゥルフの話を始めたので何となくそれ系雑談。
クトゥルフといえば、本家のこともあり大体舞台は20世紀アメリカな感じであの薄暗い雰囲気はとても素敵ですが、歴史物との融合もなかなか興味深いよね、と思う次第。クトゥルフと帝国とか。中身知らないけど。
で、日本クトゥルフももっと見てみたいけど、やっぱりあまり受けないかな。活劇系じゃなくてホラーでね。
それ系で一番に思い浮かぶのは何といっても諸星大二郎ですね。あの不条理ともいえる投げっぱなし感。すごい造形の日本の神々。いいね。嫌な感じの土着感。
昔、RPGマガジンで日本を舞台にしたクトゥルフリプレイが載ってて、あの雰囲気も好きだったなあ。まあ某世界館さんの記事だったので、ギャグと紙一重でしたが。ネタはミシャクジ様だっけか。確かに響きがクトゥルフっぽいなー。
でも実際のところあまり日本で大流行するようなホラー形式ではないですよね、クトゥルフ。日本で一般も巻き込んで流行するようなホラーは、怪異の核が「女の幽霊」だったりするんだよなあ。恐怖感の説得力か。
クトゥルフはキリスト教的世界観のカウンターでしか生まれ得ないんだろうな。大きな力。
しかし、クトゥルフ自体本家からしてすごく適当な世界観なので、もっと融合してしまえばいい。何となく検索して見つけたこのページの「何を満たせばクトゥルフなのか」のまとめにすごく納得しました。
つまり、こういうことか。
馬鹿じゃねえの?
クトゥルフ神話がそんないい加減なもののわけねえだろ。
ちゃんと冒涜的になってる。角度とか。
2011年8月3日(水)
あめおとこづかん
ついにあの疑問に対して羅伊紀が立ち上がった!
つまり最後は葉っぱになるんですね?と言ったら違うと言われました。
ということは最後は葉っぱすらないということですね。と言ったら以下略。
そうですね、最後は「えいしあい」とか「あめふらしぶくろ」とかが妥当ですね。
あと、羅伊紀からのお知らせですが、イラストが溜まってきたので近いうちに整理するとのことです。
古いもの辺りがやられると思うので、思うところある方はお早めに。
あと、oumiからのお知らせですが、近頃ゲーム用掲示板がまた外国スパムプログラムに捕捉されたらしいので、対症療法として「済」がついたスレッドにはフォームが表示されないようにしました。
たぶん不具合は出ないと思いますが、おかしいところがあったらお知らせくだされば幸いです。
あの掲示板ももっと手入れしやすいものに変えようかなと思うも、なかなか良いものが見つからない。自分で書くかなあ……。欲しい機能が少し複雑なので手に余るかもしれない。
2011年8月5日(金)
えいしづかん はっぱ
そんなこんなでつづきです。
余計なものは別にありませんよ。気のせいですよ。
あと外伝も本日更新予定ですが、あと数行ぐらい足りないので三十分ほど経ったら更新できると思います。今回はそんちょー編。(更新しました)
昨日はバンダイチャンネルで「レベルE」が一週間全話無料視聴できる(会員登録要)ことを知ったので、つい見てました。
結構丁寧に作ってあって面白いです。最近のアニメは作画が崩れないな。
原作は冨樫作品の中で一番の完成度だと思ってるので、機会がある方は無料のうちにどうぞ。まあ最後辺りは飽きたのかネームの時間切れか相変わらずの手抜き作画になってますが。
ちなみにキャラで一番好きなのはルナ王女かな。アニメはそこの予告まで観たけど、あんまり可愛くなくて残念だ。サキ王女は可愛かったのに。(しかし本編見たら結構美人だったので安心)
2011年8月7日(日)
ぼうどう
さあ、ろくでもない話が続くよ外伝。
次回がこの外伝で書いとかんといかんなあと思ったエピソードです。
ロンドンは何回も行ったところで、それなりの土地勘があるので(といっても主にZONE1内だけど)今回の事は複雑な思いで見ています。
そんな中、こんなサイトを見つけてちょっと気分が上向きになった。
暴徒たちに間抜けなものを持たせて面白くしてやろう写真集
はらぺこあおむしでなぜか吹いた。さすがいかなる時もジョーク(嫌味と表裏一体の)を忘れないブリテン人だ。まあ作ってるのが英人とは限らないけど。
2011年8月11日(木)
HATO
外伝更新しました。
よし、これでもう終わった。
という訳にはいきませんが、この辺りで折り返し……なのかな。そうでもないか。もうファジルパートほぼ書くことないし。イルアノパートはいっぱいあるし。
最初から分かっていたけど、エピソードのバランス悪いな。
とりあえずファジルパートの締めを考えないと。
ここ数日は久しぶりに気になるフリーゲームをいくつかプレイしたりしてました。
そういえば最近話題の「はーとふる彼氏」、前にちょっと評判になってた時にDLして全員紹介後で止まってるからやろうか。いや、どうもFamousWriterの挙動が苦手で。あれMac対応なのは良いんだけどな。
誰からいくか……おこさんが何か気になるけど。
あと、カンムリバトがいないのが残念です。でもいたら切り抜きが面倒だなあれ。あと擬人化すると間違いなくアフロではないか。
2011年8月14日(日)
インタビューお知らせとHATO2
まずお知らせ。
フリーゲーム あの人に聞きたい!の次回インタビューにお呼ばれしました。
9/10にチャット形式で答えたりするみたいなので、大喜利のお題を募集してます。とりあえず全部歌丸死亡ネタで答えますので、適当にどうぞ。チャットはoumiに見せかけてovmiが出ます。
さて、はーとふる彼氏はとりあえず全員クリアした……のかな。エンドリストとかまったくないので良く分からない。
シナリオはないも同然ですが、やっぱりおこさんだな。けれどどうして彼だけこんなに異色なのか……(一応不明とはなっているけど、あまり意味なく種類もかぶってるし)と思ったら、なるほどモデル(作者さんの飼い鳩)がいたのか。動画が可愛かったので、やっぱりおこさんだな。
あとカンムリバトはアイキャッチで出演してました。おわり。
2011年8月16日(火)
やっと涼しくなった
外伝更新しました。
週半ばのが更新できなかったのは、あまりの暑さにぼんやりして過ごしてしまったせいです。
暑さのせいかどうかは分かりませんが、ぼんやりとして過ごしたのは確かです。
そういえば、昔のgoogleで「レハト」と検索してみた時、検索候補に「les Pigeon」と出てきたことを何となく思い出した。
他に書きたいことがあったような気もするが忘れた。
あ、ずっと昔の王者舘の野外公演「高丘親王航海記」のオープニング映像が最近上がっていた。
王者舘らしさは失われてないけど、やっぱり協力した維新派の雰囲気も強いなあ。
2011年8月21日(日)
夏まつり
夏も終わりが見えてきた感じですが(しかしまたどうせぶり返すんだろうとも思うけど)、羅伊紀さんから今回は涼しい感じでとのことで届きました。
そういえば前から何度も言われていたのだけれど、従弟組のあのイラストは単に対比衣装として白黒衣装を着せただけであり、別にハロウィンという訳ではないとのことです。
でもオレンジだしー。衣装同じだしー。
そんな感じで二人の間には取り返し不能な意識のずれがままあります。
今回のイラストにもうっかり諸星魂を感じてしまいましたが、絶対羅伊紀にはそんなつもりはないのだろう。かわいくてふわふわなのだろう。というかたぶん諸星読んでないし。弟橘姫……。
2011年8月22日(月)
ですてにー
正直なところ詰まっている自分を叱咤するかのように羅伊紀がイラストをくれたよ!
映画のポスターみたいで素敵だよ!
そんな訳で外伝の更新はもうちょっとお待ちください。
最近は四月馬鹿達の宴をプレイしてとても面白かったと同時に(特に背景が素敵)、物語を巡る物語の中でのイストワールの特異性、みたいなことを考えたのでそのうち書くかもしれません。書かないかもしれません。
2011年8月26日(金)
微妙に間に合わない
そろそろ外伝を更新しなければと思いつつ、あと少しというところで何だか微妙に間に合わないというかいまいち噛み合わないので、出来次第更新します。
たぶん今日中には出来るはず。今は寝るけど。
最近はうっかり物欲に負けてドイツアマゾンでボードゲームを取り寄せたりとかしてます。旅行時、買い損ねたdixit2とか諸々。
でもこれで送料込み8000円ちょっとしかしなかったり。うーむ、世界は狭くなった。
王者舘の「超コンデンス」も観てきたので、早いうちに感想を書かないとたぶん前のと記憶が混じってしまう。
構成自体は「コンデンス」とほぼ変わってなかったせいもあり。思った以上に一緒だったなあ。
もちろん役者さんの関係で役が丸々消滅してたりするので、色々と感触が違ってたりする訳ですが。
どう来るかと思っていたけど、そう来たかー。
2011年8月28日(日)
超コンデンス
感想はまた改めて別立てで書くつもりですが、やっぱり「コンデンス」は大好きだし、構成の完成度が高いなと思う。初めて観た作品という欲目はあるけど。
まず何がいいって、筋を読み取ろうとしなくてもいいところ。これは自分の悪癖ですが、意味のみならず筋まで通そうとしてしまいがちだけれど、これはそんなことしなくて大丈夫。だって作中ではっきり明言されている通り「アル中の妄想」だから。まあとりあえず芝居開始からおよそ半分地点まで延々続くテンション高いプロローグにさらされれば何かもうどうでもよくなるけど。今回それに関して突っ込みが入ってて笑った。何せ登場人物同士が普通っぽい台詞の掛け合いするシーンがほとんどないんだから、この芝居。じいと孫のシーンだけ辛うじて、だけどそれも延々のループに巻き込まれる。
あと、ループの時間感覚がはっきり明言されて字幕にまで出るのも分かりやすいところかな。何しろはじまりの台詞が「26分前」。そしてその意味することろを、観客は26分後に知るという。入れ替わり繰り返しの差異が理解しやすい。(ところで前は21分前だったけど、これは五分伸びたのか、聞き間違いか。たぶん伸びた)
締めも綺麗。
連続飲酒劇「かえってきた一郎」おしまい。
ただそれだけの、でもとても切ないお話。
好きなシーンは変わらず登山列車かも。言葉の掛け合いと込められた二重三重の意味の連鎖が美しすぎる。
一合、二合と上るのはつまり高さと酒量で。そこに酒呑童子が重ねられ、酒気の中から鬼が立ち現れる。
「是オ シュテンドウジとヨビナセリ」
「シュテン?」
「終点」
「十合目」
「一升」
「看板デス」
一升はもちろん一生でもあり、ジュウタイの一郎にとって山はもちろん……。
さようならヨシダ
30日昼まで下北沢スズナリでやってますので、興味がありましたら。誰も彼もにお勧めできるものではないけど。
2011年8月28日(日)
それは誰の物語か
そんな訳でイストワールの特異性について、ちょっと書いてみようと思います。当然ながら、イストワールの重大なネタバレをいきなり含みますので注意してください。
さて、このタイプの物語(空想)が具現化する/物語(空想)の世界を舞台とする、というメタ的な構造を持つ作品はもちろん少なくありません。物語についての物語を紡ぐというのは、創作者にとってはある意味逃れられない誘惑であることは確か。フリーゲームだけに限定しても、片手の指では足らないほど即座に思い出せます。その中でもイストワールは多くのフォロワーを生み出した、嚆矢的作品であり、そしてある特異な点を持っています。
それは何か。結論から述べてしまえば、その物語の語り手は誰なのか、という問い。
イストワールだけが二人称の語り手、つまりあなた=プレイヤーが語り手である、という構造を持っていて、それこそが多くのフォロワーを生み出した原動力なのではないかと考えるのです。
大抵の同系統の作品は、語り手を別に立てています。
一つは「他の語り手の物語に参加する」タイプ。引き継いで完成させるタイプもここに入ります。
もう一つは「主人公が語り手である」タイプ。この場合、物語という自覚的なものよりも、空想・妄想という無自覚なパターンが多く、それがどんでん返しの効果を産みます。
前者はある意味、素直な形態です。何故なら、プレイヤーは作者ではない。世界を物語るのは作者であり、作られたその中をプレイヤーは駆け抜けるのですから。
では、後者とイストワールとの違いは何か。それは「主人公」がプレイヤーの他に存在することです。妄想を抱く主体はその理由を引っ提げて、相対する現実(と物語内で定義されている空間)に存在している。そこにプレイヤーの割り込む余地はありません。
当然ながら、イストワールの世界をプレイヤーが設定できる訳ではなく、作ったのは作者に他なりません。後者と同じようにプレイヤーが割り込む余地はないはず。しかし、イストワールには妄想の主体が全く登場しないのです。ゲームは徹底して物語内の世界だけで完結している。トラウマも理由も主人公には付加されていない。実際、あの世界はそんな大層な理由など必要しない「誰もが作った覚えのある」世界として存在しています。
そう、「誰もが作ってしまった身に覚えのある世界」のような既視感があの世界の肝です。それを黒歴史と称する人もいるでしょう。神話などからよりも、国産RPGからの影響を色濃く感じさせる、ある種のチープさが支配する部分もうまいところです(意図的ではないと思うのですが)。ゲームを進めていく上で与えられるのが物語ではなく、列挙される設定(せいぜい断片的なエピソード)であるのも良いですね。設定ばかり作って、具体的な物語が全然構築できてないのは、うんざりするほど良くあるパターン。
そんな訳で、「どこかで見たような」それらの要素は、かつて自分が作っては捨ててきた世界を容易に思い起こさせる効果を持っている訳です。
だからこそ、イストワールは「貴方の物語」たりえる。
あの世界を駆け抜けたプレイヤーは、自分が「読んできた」物語ではなく、自分が「作っては忘れてきた」物語を思い出してしまう。
故に、イストワールこそが多くのフォロワーを生み出し得たのではないでしょうか。
彼らにはきっと聞こえたのでしょう。己の胸の奥から語りかけてくる、あの言葉が。
……の世界へようこそ。
そして、あなたの帰還に感謝します。
2011年8月29日(月)