ショウネンオウジャカン

超コンデンス

観劇日 2011.08.27昼 東京ザ・スズナリ

作・演出:天野天街

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 少年王者舘本公演vol.35。

◆好きなシーン

反復しながら開演前まで巻き戻る時間。やっとな、泳げるようにもなりました。
そしてやっぱり登山列車。
相も変わらず一人に統合されていくダンスシーンは寂しく美しい。
あと、メンキのテーマが流れるシーンはほぼ好きです。切ない。

(2011.9.4記す)

◆前回からの主な変更点

まず構成自体は全くといっていいほど変わっていませんでした。もっとアレンジしてくるかと思いきや、場の流れ自体はほぼ変わらずに細かい台詞の書き直しやシーン追加が基本の様子。

さて、そんな中で一番大きな変更点はもちろん一郎四人衆が三人になったこと。メインの少年役だった松宮さんは「コンデンス」以降舞台を降りたのでどうするのかなと思っていたのですが、中村さんがそちらにシフトして、本来の中村さんの役だったのを学生服の少女二人に変更と。
加えて「おひめさま」役もなくなって、その二人が兼任。そして、怪しの二人組が一郎の思い人「ヒトミさん」に変化。これは近年の芝居の流れで出現した役の入れ込みと。 そんなところか。

台詞は役の変更に合わせて、手を入れられた感じ。松宮さんと比べて、中村さんの雰囲気は安定しすぎていて、周囲の人たちの言葉に揺らぐ感が弱いといいますか(だからこそ前作などで理想の青年像として颯爽と登場するのが似合う訳ですが)。だから、揺さぶりの言葉がより直接的に投げかけられた感じです。
後はより分かりやすくしてあったかな。前作はとにかく勢いで台詞が途切れなく流れていくのだけれど、今回は鍵となる台詞を分かりやすく繰り返す変更が多かったと思われる。分かりやすい例は「アルコール依存症グランプリ吉田一郎殿」「アルコール……依存症」のところとか。あそこ、音楽も大きくて男ユニゾンで一気にしゃべるので、聞き取りにくいのだよね。あと、酔った上での暴行のくだりはかなり分かりやすい表現になってました。

あ、そうだそうだ、さすがに十年の歳月のために、映像と音響はかなりパワーアップしてましたねー。

(2011.9.4記す)

◆変更点を中心に気になったところ

そういえば、前作は一時間半を切っていた上演時間、今回は一時間五十分ほどだったみたいで。まさか三十分近く伸びてるとは、全然感じなかった。上に書いた通りに、場の構成はほとんど変わっておらず、小さなシーンの追加はあったけれど(鼻くそとか)、逆に短くなったなと感じたところもあったので(じじいとか)。どこが伸びたのか、実感できてない。
確かに、全体的に間を開けて強調してる感じはあったけどな。でもそれだけでそんなには伸びない。ループ時間のところは21分→26分になってて五分伸びたのはまあ納得だけど、その後二十分ほど伸びているのか。不思議だ。歪んだ時空だ。

さて、幾つか分かりやすくなったところ話とか。
まず、一郎がアル中のキチガイだという描写が前半部からふんだんに直接的に。怪しの二人組はそう言ってぐるぐる回るし、見えない一郎が見えるようになるシーンでは、一郎(悪)こと池田さんも出てくるし。
酔って暴行するシーンもはっきり見せて「血まみれ」「キチガイ」言ってましたしね。 あと、ナタで自分の首を……は「ナタ・デ・ココ」で後押し強調してました。
それと、じじいも「一郎」である、というのがより明確な台詞で示されてました。「何で自分の名前呼んでる」てな具合に。

くわえて、前の中村さん役を削ったのもその一助になってるかな。
前の中村さんの役は、翻弄される一郎グループでありながらも、超越的な進行役みたいに出てくるところもあって、属するところが分かりにくい部分があったと思うのです。
それがいなくなって一郎とその他の人たちが分離したから、構図がすっきりした。
とはいえ、みんな一郎なんですけど。ラストの器楽演奏で、老人五人衆の服装も一郎準拠になったのも分かりやすい要素かな。

そういえば、老人五人衆のつばぜり合いはかなりソフトになってましたね。というか取り合っているようにはあまり見えなかった。 女性も混じったから?

(2011.9.4記す)

◆前作も含めてつれづれがたり

ともかく前作のビデオや脚本は笑うほどローテーションしたので、いくらでも愚にもつかない妄想や他の人には自明な発見とかあるのですが、その中からいくつかつれづれと。

ラストの締めについて。台詞引用。
-----------------------------
ハルカ ムカシにキミハイル
ハルカ アシタにキミハイタ
いまは?
(皆、ユビをスッとクチにあて)しーっ
連続飲酒劇
「かえってきた一郎」
おしまい
-----------------------------
いま、一郎は眠っているのか。
それとも言葉の意味通り「し」なのか。
夢と死が交差する地点を見事に表すラストだと思うのです。

で、続いて統合していくダンスに移る訳ですけど、これの最後に二人が残り、そして少年が幼女の背後でさっと手を挙げるところで溶暗するんですよね。前作をビデオで見ていて、ようやくそれを意識したのですが。
今回の中村さんは十字架みたいに横に上げたところで見えなくなってしまうけれど、ビデオの松宮さんだとはっきりと首を絞める直前のようなポーズになっている。認識した時、ちょっとぞっとしました。
とはいえ、ラストシーンは全員いるし、それが明確に何かを意味するとは分からないのですけども。
しかし……「オレはヒトリだ」。んー。

そういえば前作からずっと分からないのは「しっぽのあるワタシ」。しっぽって何だろう。シャッポとかかっていくのは分かるけど。考えても仕方ないのも分かってるけど、しっぽって何だろう。しっぽしっぽ。

(2011.9.4記す)

◆前の方が好きだったところ

やっぱりそういうところも幾つかある訳で、最後にそこに触れておこうかな。

まずは、前から分かっていたけれど、今回で何だかはっきりと実感してしまったこと。 松宮さんが降りて以来、「少年役」がずっと抜けたままなんだなあということ。
客演なり他の方なりがそのポジションに入ったこともあるけど、定着はしなかった。 近年の作品だとそれが前提で違う形を成してきていて、それはそれで良い感じなのですが(夢+夜の方向とか、すごく好きなので)、今回コンデンスを見てちょっと寂しくもなった訳です。役をなくすことでしか対処できなかったんだなあと。うん。
中村さんと夕沈さんだと、どうしても対には見えないし。帽子のシーンとか。

あと細かいところだと、おつまみシリトリのところが、本当におつまみだけのシリトリになっていた。たぶん。「ケイサツ」「ヨッパライ」「シュテンドウジ」「タスケテ」が混じってた前の方が好きでした。他のところで露骨に表現しているから、こちらはマイルドにしたのかなあ。映像は分かりやすくシリトリだよと示してましたね。

で、ラストシーン。
前の中村さん役がなくなったため、飲んでいるのが夕沈さんになった部分。それはともかくとして、前は中村さんは器楽演奏しないままただ飲んでケップを見つめて眠っていて、他の皆がそれを囲むように演奏している図が綺麗だったので、全員演奏はちょっと違うかなあと思った。演奏自体の迫力は超の方が上でしたけども。
そういえば上からつり下がるメニュー短冊、「インフルエンザ」と「はらたいら」は見つけたけど、他にも何か妙なのあったのかな。ありそうだな。

(2011.9.4記す)

◆題名

ところでいまだに分からないのですけど、題名の読み方は「スーパーコンデンス」でいいのかな。サイトページ名とかからすると。

(2011.9.4記す)