ショウネンオウジャカン

百人芝居 真夜中の弥次さん喜多さん

観劇日 2005.08.12昼&13昼 名古屋 愛知県勤労会館

原作:しりあがり寿 脚本・演出:天野天街

 KUDAN Projectの大勝負。160人以上のキャストでの大芝居。

◆好きなシーン

 「無か死」「夢か死」
 やっぱり出発シーン
 特に後半の踊り
 時計は面白いけど以下後述

(2005.08.13記す)

◆なんかばらばら

 まず、よくぞ公演まで漕ぎつけてくれたなー、と嬉しい気持ち。
 そして、いきなり最初にこう書いてしまうと何ではありますが、やっぱり圧倒的に練りこみが足らないんだろうな、という残念な気持ち。
 差し込まれる色々な言葉やオブジェの暗示がほのめかす、ある一つの(不吉な)予感を観客はどこかの時点で気づくっていうのが基本構造だけど、今回はそれをかなりはっきりとストレートに台詞で言っちゃって。まあ、それはともかくとして、その台詞が出てくるまでの暗示の層が薄い気がするのです。
 最初から「キタは死んだ」と言っていて、ある意味分かりやすくはあるけど、何で死んだのか全然実感が出来ない。当然ながら、何か重要なところを見逃している可能性もありますが、今回の企画の基本からして、初アマノの人が大半なことを考えると、そんな見つけにくいところにあったとしても……とか考えてしまうわけで。むしろその辺りのところをもっとはっきりシーンないしは絵で見せてしまった方が良いと感じました。
 二人芝居の時は弥次→まとも、喜多→ヤク中が後半に入ってひっくり返るカタルシスがあったのですが、今回は最初っからぐちゃぐちゃだからなあ。
 あ、あと、「二人が恋人同士」という基本設定は、何も基礎知識のない人が観た場合かなり理解が遅れるのでは、と。布団に寝てる時点で分かるかな。えーと、二人芝居の時から思ってたんですが……二人の間に流れる雰囲気が基本的に恋人っぽくないよなー、とは。一番愛を感じたのは二人芝居のラスト暗闇シーンだなあ。

(2005.08.13記す)

◆前後

 前述のように、今回の感想は惜しいという気持ちがあり、ぐだぐだ書いてしまう系なので抑え気味にしたいと思ってますが、最初に見たのが結構前の方だったのがいけなかったなあと楽を観て感じました。
 元々、王者舘は後ろの方で観る派なのですが、これはなおいっそう後ろで観ないとダメだー、と。ベストは後方中央だと思う。
 前の方だと表情とか小さい道具の類は見えるけど、ヤマモクさん(そういえば原作読み返すまで「ヤマモトさん」に聞こえてた)とか細かい仕掛けとか見えないのです。それでもって、人がとにかく舞台にあふれるから何が何だか。
 楽でようやく、喜多さん集合→壁撤去の後で、夕沈ヤジを石丸キタが起こしている、とか観れましたもの。一番前の人なんてかなり見えないのでは。
 指定席は時間に余裕が出来たりして楽だけど、こういう場合には困ってしまうなあ。一般的には前が良席だから、そこから埋めてくことが多いし。

(2005.08.13記す)

◆リアル

 あと惜しいと思ったとこ。初めて(だったと思う)はっきりと台詞で示唆されるリアルの介入が、うどんの出前だったところ。内輪ネタだよね、それ。と笑いながらも心配に。いつもの公演ならともかくも、今回のような企画でどうだろ、と。
 あと、今回の仕掛けの中で一番感心したのは、時計なのですけど、見せ方がいまいち。前ふりが長くて、ぐんにゃりと曲がって落ちるところを観客が認識する前に照明が落ちていて、インパクトが薄れた気がする。ともあれ、こういう仕掛けはまた是非観たい。もっとパワーアップして。

 んで、最も気になったところなんですが。
 弥次さんと喜多さんの認識の仕方です。
 二人芝居は、これは分かりやすくて、弥次さんは芝居のお約束から外れたところは見えなくて、喜多さんはメタ存在で観客や照明が見える。でも今回、喜多さんは山が見えなく、観客が見える、ここまでは良いとして、セットとして存在している壁が見えないと言う。ヤマモクさんの岩も見えないと言う。舞台上にあるものが見えなかった。
 そこのところがまだうまく消化できてません。考え中考え中……下手に考えるとドツボにはまりそうなんですけども。

(2005.08.16記す)

◆全員

 芝居中、周りの人間が出演者の身内かどうか簡単に判断する方法がある。それはわらわら人が出てきた時に、身を乗り出す人が身内だ。

 という訳で、事あるごとにわらわら出てきたのも特に前半の緩急のなさの原因かも、と思う。さらに素舞台に出てくるから、前の方だと見渡せなくて辛い。後ろの方だと良かった。
 しかし、踊りはさすがの迫力で、うぞうぞしてて、面白かった。前述した通り後の踊りの方が動きとして好き。音も、こくうと同じだと思うけど、なんというか動的な寂しさって感じで好き。前までのその部分の曲は静的な追悼というか、昇華な雰囲気だと感じた。

(2005.08.16記す)