適当な話 | 雑文

旅行と素材追加

2017.04.02

そんなこんなで、先月中旬、ちょっと出かけてきたので、いつもながらゲーム素材のところに好きに使ってもらえる写真を追加いたしました。

それについて多少悩んでることがあって、サイズどうしたもんかなあと。

今までは幅800pxにしていて、今回もそれに準じたのですが、今のご時世小さすぎかな。

とはいえ、使ってるのiPhoneだし、そのせいもあって一層適当に撮ってるものだしで、あんまり大きなもので出せたもんじゃないという事情もあり。

縦型も多くなっちゃってるんですよね、しかし最近はどっちが便利なのか良く分からんところもあるしなあ。もうその辺りは工夫して使ってくださいとしか。

 

今回赴いたのはポルトガルメインでちょっとスペイン(サンチャゴ・デ・コンポステーラ)なのですが、やっぱりイギリスやドイツと比べて雰囲気違いますね。

建物の感じとかはもちろん、特に室内の写真撮ってて困ったのは、やたら太陽の光が激しく差し込むことです。見ていただけるとすごい差し込んでるのが分かると思う(使い物にならないケースも多かった)。日差しが強いことももちろんあるんだけど、部屋の造りがそうなんだよね、どこでも。

使い物にならないのの一例。

もちろん礼拝堂に光の演出って必要なんだけど、これはちょっと眩しすぎやしないだろうか。

 

あとさりげに気になったことは、飲食店。ポルトガルの料理は素朴かつ日本人好みの味と言われていて、実際魚介類を中心として選択肢は多い感じです。私はソッパ(スープ)が有り難かったなあ。どうしても量が多くなるヨーロッパで、現地の味を楽しみつつちょうど良い感じで食べられる。

そのためか、思った以上に他国の料理店を見かけないのですよ。意外だった。ヨーロッパにはつきものの、トルコも中華もほんとにない。サンドイッチすら、ポルトガル風ハンバーガー(プレコやビファーナ)の店の方が多い。

マクドナルドやPaulはあったけど、あっちもこっちも外資系、みたいなことは全くなかった。

そんな中、何故か日本食の店は結構あるんですよね、これは自分が意識的に見てしまうせいかもしれないけど。

しかし最初のホテルの下がMUJI、二番目のホテルの下に寿司屋、近くに日式ラーメン店などなど、やっぱり魚介大好き人種として何か共感するところがあるんだろうか。

そしてこれが見かけて思わず写真にとった日本レストランの看板です。

何でぶりなんだろう。

いやぶり美味しいけど。

でも店名にぶり。

二周年だしダンス・マカブルの裏話でも

2016.10.14

ここの更新もかなりお久しぶりになって申し訳ないばかりです。

さて、発表して二年、小説も出て一年が経ちましたし、そろそろダンス・マカブルでもにゃもにゃっと曖昧にしていたところの話でもしてしまおうかなと。
別に裏設定とかそういうものではなく、参考文献などで見当ついていた方もいるんじゃないかなという話しですが。
つまり、このゲームの舞台の話です。

これは、いつ、どこの話か。

つまるところ、何世紀とか国とかいう大きな区切りではなく、かなり明確に舞台は設定されているというお話です。
もったいぶる必要はないので明かせば、ダンス・マカブルは1720年夏、フランス・プロヴァンス/マルセイユ近辺の村で起きた物語です。
マルセイユから徒歩一日程度を念頭に置いているので、マノスク近辺の丘陵地帯の村でしょうね。

史実としては、マルセイユの大ペスト禍が背景となります。日本語で詳しいページが見当たらないので、英語ですが。
Great Plague of Marseille

小道具などの関係で中世の話だと思われている感想もあるようですけれど、時代的には近世・フランス革命前夜ですね。ユグノーの反乱が一息つくも、いまだ大きな影を残している時代となります。まあ、その辺りはゲーム上ではあんまり関係ないです。

旅立ちエンドの二人がThe “mur de la peste”の検疫をどう乗り越えたかとか考えてみるとなかなか面白いかと。

あともう一つ明かしておくと、とある重要アイテムの話。
印象深い衣裳チェンジがなされる「白い服」のこと。
状況と現在の風習からして、あれ、婚礼衣装と自然に解釈されてますが、ぶっちゃけミスリードです。
あれはウェディングドレスではなく、登場人物たちもそうとは認識していません。
元よりウェディングドレスが白とされるようになったのは諸説ありますが、一般的には18世紀後半辺りからの流行だとされています。基本的には多色の民族衣装だったはず。特に庶民は。
では、それ以前に白をまとうのはどのような時だったのか。
正直服飾史は詳しくないので結構資料探しに苦労しましたが、こちらを見つけて、一応裏付けはとれたかな、と。

ピエール・ゴベール「白い喪服のブルボン・コンデ公妃」

まあ庶民にまで行き渡る感覚だったかは疑問なところですが。地域によっても大きく変わってくるしなあ。
とはいえ白が基本という訳でもなく、黒もやっぱり使われてたみたいだし。というか白と黒ならありっぽくて、しましまのゼブラ柄の奴も見つけたりしました。
服飾史ってすぐ流行変わるから難しい。

難しいといえば、歴史ものだとお金の単位の扱いも本当訳が分からんですね。
一応調べたんですけど、フランが既に使われてたって話もあればスゥという話もあり。それ以下の貨幣の名称や交換レートなんてぐちゃぐちゃ。当時の人の書いた文書なんでその人にとっては使われてたんだろうけど……。結局のところ強い国家が発足するまではお金の単位なんてあってないようなもんだし、発足したらしたでころころ変えたりするし。
その辺りだけは扱いたくないなあと思う次第。なるべく避けるか、ここはこれでいくって割り切るしかないですね。

絶対今回めっちゃかぶってると思うんだけど

2016.04.01

しょうがないよね。

またどこかで

2015.11.30

mizukisensei

無事帰国

2015.09.27

先日からちょっとイギリスぶらぶらしてましたが、無事帰国しました。

今回は田舎辺りをうろついていたし、カメラもちゃんとしたの持っていかなかったので、スマホ撮りのみですが、いくらか撮ってきたものを写真素材のページにぶち込んでおきました。

こんな感じの。

チェスター大聖堂

チェスター大聖堂は内陣にも自由に入ることができたので、聖歌隊席とか間近に観察できました。ダンマカの前に見られたら、もうちょっとイメージ掴みやすかったな。とはいえ、いつ何を題材に造るかは分からないのでしょうがないけど。前にもどこかで見たことはあっただろうし。

あと向かいのTown hallが誰もいない上にすごい穴場だった。地元の人は別に面白くもないんだろうなあ。

他には湖水地方で羊を数えて暮らしてました。あいつらすごいこっち見る奴がいる。

それとハイドパークでリスを追いかけて、登っていった木にインコ(結構ロンドンで野生化してる)がいたのでぼんやり眺めていたら、栗のイガをリスに落とされてもろ命中するという、二度と人生で起こらないだろう体験をしました。猿蟹合戦か。

そんな感じです。