大熊猫中毒 愛知文化振興事業団プロデュース
観劇日 2001.11.24M&25M 名古屋 芸文小ホール
作:半澤寧子 演出:天野天街
++CAST++
ノボル…平塚直隆(プロジェクト・ナビ)
猪笹……吉田泰子(アクションクラブ)
砂田……小林正和(プロジェクト・ナビ)
川原……宇佐美亨(人工子宮)
菊花……水谷ノブ(少年王者舘)
裕一郎…中村榮美子(少年王者舘)・夕沈(少年王者舘)
杏子……岩木淳子(ジャブジャブサーキット)・細江道江(名古屋アクターズスクール)
光代……山本亜手子(少年王者舘)・初芝環湖
静………松宮陽子(少年王者舘)・松久聖子
他、女子高生役25名
++STAFF++
舞台美術…田岡一遠
映像………浜島将裕
舞台監督…篠田エイジ(少年王者舘)
音響………戸崎数子(マナコプロジェクト)
照明………小木曽千倉
作曲………珠水(少年王者舘)
衣装………田村英子(マナコプロジェクト)
小道具……伊藤真由美
宣伝美術…アマノテンガイ
キャスティング協力…安住恭子
制作………近藤順子(B Stage)
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第1回AAF戯曲賞優秀賞作品を少年王者舘のメンバーぞろぞろで舞台化。天野さんが初めて芸文小ホールを使うそうです。
11/24昼、どでかいカメラできっちり記録していましたので(トークも)、間違いなく芸文に記録映像として残るでしょう。もし今回観劇できなかった人いましたら、いつかの来名の時にでも芸術文化センターB2Fのアートプラザへどうぞ。きっとあります。
まあ、舞台とビデオを観るのは違いますが……。
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◆好きなシーン
最初の映像。ダンスは両方。
特にツボ噴火→装置撤去の場面はいきなり立割がなくなって、空間が広がった爽快感があります。
奥の広い舞台の芸文ならではでは。
ラストの装置の転換も好き。正直、本の内容より装置の方が印象に残りました。はい。
(2001.11.24記す)
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◆ポスト・パフォーマンストーク
まだ明日も観るので感想は明日に回して、今回はトークの内容について書いてみます。もちろん録音なんかしてないし、聞いてる時にメモなんてとってないので、内容はおおまかだということご了承を。
24日14:00開演終了後に行われたこのトーク、司会が演劇評論家の安住恭子、出演者が半澤寧子、天野天街、平塚直隆、中村榮美子でした。ヒーローとヒロインですな。
雰囲気としては、なんか天野さんがとっちらかしてました。まとめるの大変だ。
内容を王者舘好きな人の興味あるだろうところを中心に簡単にまとめますと、今回、天野さんに入った縛りが「台本のセリフを変えない」「ザーッという暗転で装置を変えない」ということだったそうで。前者についてはちょっとはあったようです。でもまあ最低限ということで、同じセリフを何度も唱和して使ったりとか。
後者は「やっちゃいましたが(笑)」とのこと。
あと、役者として苦労したこと、という話で、平塚さんは「役は自分のまんまで作る必要がなかった」「特に苦労してないです」と飄々とした雰囲気で。中村さんは「まさか自分が裕一郎になるとは思ってなかったんで……でかいし、健康そうだし……」「対になるのが夕沈という役者なんで、ついに自分もおかっぱ組の仲間いりかと泣きました。ずっと泣いてました」「稽古はいつも通
り地獄でした」「でも台本が早く上がっているので楽でした。地獄といっても天国に近い地獄でした(天野さんの遅筆を知っている観客受ける)(天野さん苦笑い)」
とのこと。 役者陣が一番怖かったのは、転換に伴う怪我だそうです。芸文小ホール、使える時間が短いから、さもありなん。
台本のテーマの話では「特にテーマというものはない」「テーマはほしい人が勝手に作ればいい」と作者・演出ともつれない返事。「物理的縛りは演出上楽しいけれど、意味的縛りは辛い」との言葉も。
台本のト書きからの変更点など。ラスト近く、台本では「靴が降ってくる」のところが、文字の映像が降ってくるようになったことに関して。靴をどうするのかなー、と楽しみにしていたという作者・司会の言葉に対して天野さん「靴は当たると痛いし……」「降らして、はけるのはこういう舞台だから客席の方へ落としちゃえばいいんだけど、靴ってのは落ちるのが速いから、ほらGとかで重力場とか変えないと、速くてつまらないから、綺麗に見せようとしたら何万足も靴がいる」「文字の形に切り抜いた紙を降らして、それに映像を投影しようかと思ったのですが……間に合いませんでした」などなど。
ちなみに、女子高生の中に混じっている真っ赤に頭を塗ったハゲの男の人は、意味ないそうです。というか男は三人混じっていたそうでした。そりゃあの人に目いっちゃうよなあ。って本当に女子高生役のオーディションにそんなにたくさん男の人がきたのか、性別
不問とはいえ。
ところで、天野さんが「産んだ……産んだ……」といっていた時に、袖から誰か「産んだ?」とか言いませんでしたか。気のせいかもしれないけど、中村さんとか振り向いてましたし。誰か来て加わるかと思った。これも記録映像になったら分かるかな?
あ、天野さん曰く「夜の公演は昼のものよりシーンが3つほど増えます」とのこと。ということは明日の楽は6つくらい増えてるんでしょーか(窓を覗くと髪にゴミがついている、程度だとは言ってましたが。うんこついてたら面
白いとか。というか天野さん、最近三回も鳩に糞を落とされたそうな)。
(2001.11.24記す)
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◆差異
上のトークで「間違い探しも面白いのでは」ということをおっしゃられてたんで、一応探してみる気だったのですが、注意力・記憶力がないせいかあんまり見つからなかったなり。
確実に違っていたのは、最初の教室シーンの落書きがお化けから雪だるまに。ノボルの周りに椅子もって集まるところで、中村さんが箒持ったまま座ったとこ。それだけしか分からんです。はい。
(2001.11.25記す)
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◆率直
連れの二人(一人は羅伊紀、も一人は王者舘未見)もしきりに言ってましたが、正直一言で言うとどうしても隠せない半端感が漂うお芝居でした。
まだ脚本を読んでないので(一回観て、読んで、もう一回観る予定が、アートライブラリーで発見できず。検索では貸し出し可なのに棚にないの。誰かが他の棚に移動したのか、隠匿したのか。むむ)、その半端感が脚本のせいなのか、
演出との噛み合わせのせいなのか、はっきりとはしないのでどちらをどう評価していいのか分からないところがありまして、ずれたこと言うかもしれないけれどそこは勘弁(読んだらまた書く)。
でも、今回の縛りは、上で書いた通り「セリフを変えない」というものがあって、大幅な改変やカットはないはずなので、たぶん下に書くことは脚本の問題なんだと思う。
お話がどこに向かおうとしているのか、分からない芝居でした。
例えば、キャラメルのように高らかに希望を謳い上げたりする訳でなく。少年王者舘のように、有無をいわさぬ
イメージ喚起力で引っぱっていく訳でもなく。
現実と非現実の差異がはっきりしなかったのも迫力のなさかも。虫で表現したという浸食の恐ろしさが全然感じられなかったし、ヘビとか靴とか、噛み合ってない感じ。でも脚本は四役を一人で演じるとか書いてあるみたいなので(女子高生四人組か?)、これは演出の問題なのかも。でも、一役を二人に分裂させるのは、夢と現の対比みたいで面
白かったけど。繰り返しも半端。これは脚本にありの繰り返しなんだろか? 「ああ、繰り返してるんだ」と思った瞬間に終わってしまうため、楽しむ余地がない。
一番問題だったのは、ノボルの大熊猫中毒に向けるエネルギーってのがまったく感じられなかったこと。というか、「燃やせない」なら新しい大熊猫中毒書く必要ないじゃん、と思う次第。
余談。でも、例えばセリフやシーンの改変など許して、天野さんの好きなようにやれば良いものができたかというと、(少なくとも私にとっては)良いものが出来ただろうと思うのですが、それでは脚色に収まらず、この脚本を原作とする、って感じになってしまうだろうし、そりゃAAF戯曲賞の作品の上演、という今回の主旨としてはまずいよね、というのも重々承知であり。
女子高のシーンとかの空気や雰囲気なんかは好きなんだけどね。もうちょっと詰めても良かったんじゃないでしょか。色々。惜しい。
(2001.11.25記す)
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◆ダンス・ダンス
お気に入りのところで書いた通り、こりゃもうまごうことなく贔屓目って奴で、王者舘なダンスを見られるだけで結構良い気分になってしまう私なのですが、連れの二人には不評だったダンス。
ちゃんと考えてみれば、確かに前の静かなダンスはともかくも、後のどたばたダンスはこの芝居の世界観にあってないですな。
王者舘本公演のかちゃかちゃひっくりかえしごっちゃまぜの雰囲気の中でこそ生きるものか。あそこだけ切り離されたような印象を受けてもむべなるかな。
(2001.11.27記す)
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◆脚本読んできました
という訳で本読んできました。
なるほどなるほど、やはり同一場面の繰り返し・不自然なセリフ混入(違う、そこはそうじゃないんだ!)は台本にはなくて天野演出だったのか、とか、眠る女・バイトの女、などは裕一郎ではなくて、別
個の存在(妖怪の一種?)だったのか、とか色々な発見が。
確かにセリフはほぼ変わっていないのですが、 印象は結構違うかな。
一番変わったところは、傘を持つ女に閉じこめられガラスケースに陳列された女子高生に対して、ノボルが逃げろとうったえかけるところ。
女子高生=妖怪にしちゃったために、その場面が入れられなくなったんですな。
あとは上に書いたように、美術館シーンに女子高生の「パンダ中毒」稽古が割り込んでくるところなんかはなかった訳ですね。
さてさて。 天野演出で一番大きく台本から変わったところがこれではっきりして。女子高生自体が妖怪化していることによって、彼女ら自身の存在が揺らいでいるところ。正直読んで「なぜ妖怪?」とかは思いましたし、解釈としてこれは有効かもと思う。でも、虫とか蛇とかと女子高生が結びつかないため、なんかちぐはぐな感じが漂うのも事実。加えて、前にも書いた通
りに繰り返しが半端なために、観客が違和感・非現実感を抱くところまで昇華できていない。
でもって、やはり前に書いたノボルの思いの弱さなどは、脚本の問題だと感じました。あと、裕一郎の描写
なんかも。 自分も流してしまいたい、とか台詞などからはほとんど読みとれなかったです。私の読みとり能力の問題はあるでしょうが。星月夜の下、台本を燃やすシーンは、正本を燃やすのが本のト書きでしたが、ここで正本燃やしても、やはり「新しいもの」を書き出す動機にはならないと思うし。もうちょっと最初のやり取り、ビデオテープの真贋・異本と正本のところに絡ませて膨らませれば良かったんじゃないだろうかと考えるのでした。
以上、合わせてやはり評価は「中途半端」で変わらずです。
(2001.12.3記す)
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◆記録映像観てきました
芸文に入ってたので、観てきました。
で、まず上の台本のところに書いた「逃げろというシーンがない」というのが思い違いなこと発見。ありました。その後の傘のシーンが強すぎて覚えてませんでした。駄
目じゃん自分。すみません。線引いておきます。
んで、と。言うまでもないことなのであえて書いてなかったのですが、いつもながら音楽良いですよね。ゆったりした綺麗な曲調が雰囲気と合致していて。頭に残るし。
あと、改めて観ると夕沈さんのきっかけで音が入り、扉からカーテンがたなびくシーン、あそこで何故か鳥肌立ちます。何故だ。理由は分からないけど、あのきっかけが一番どきりとする。
キャスト二人分裂については、分かりやすいのと分かりにくいののちょうど中間くらいに漂っていた感じなので、どちらかのベクトルに寄せるといっそ気持ち良かったんだろうなと改めて。
そして、夕沈さんがブレザー着てるのはっきり見えるの最初の踊りの時だけなんかーと発見(もしちょこっと出てたりしてたら見つけてないです。一度机から顔出してるのは知ってますが、映像で見えにくいし)
。
ビデオ自体は上手側にてカメラ固定なこともあって、アングルとか寄り引きとかは良くない。
なによりもラストのセットが本に変化していくところがほぼ見えないというのがあまりに惜しい。あと、ダンスは引いて全面
をずっと映しておいてほしかったなあ。アップはいらぬ。
(2002.5.12記す)
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