コンデンス
観劇日 2001.9.2M 名古屋 七ツ寺
2001.10.7M 大阪 OMS [楽]
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という訳で初めて観た王者舘の公演。
名古屋四日目ということであらも色々目立ちましたが、それ以上に印象が強かった。王者舘の芝居はずっとゲネプロみたいなもんで、公演最後あたりにようやく完成という話を聞いた自分、思わず大阪まで再度観にいってしまいました。 |
印象・初見・見解
一応地元で(お遊び程度にしろ)演劇部とかに属していた関係上、元々王者舘の名前だけは聞いていました。大学の演劇部の先輩に「トワイライツに白塗りでエキストラしたよー」と聞いたり、写
真を見たりして、なんとなくイメージしていた王者舘↓
・白塗りの人達がわらわら出てくる
・暗い中に顔が浮かんだりする
・内容は不条理だろう
・イメージ演劇に違いない
・アジアの屋台とかそういう雰囲気っぽい
・ちとアングラぽい
そして、劇部にいた期間(途中退部したので)と休眠期間がバッティングしていたため、結局公演を見ることはありませんでした。
その後しばらく演劇を観ることもなくなり、まあたまにB級とかを気が向いたら行くくらいの日々。
夏の終わり頃、いきなり芝居の空気が吸いたくなりました。発作です。しょうがないですね。
んで、ぴあとかめくって次の休みにどこが何やっているのか確認。悲しいことに名古屋の選択肢はとても少ない……けれど、この時は幸運にも王者舘とB級という二つが打ってました。七つというのはちと辛いけれど、観たことのない王者舘に決定。芝居っぽいものが観たかったので(テレビドラマでもできそうなのは勘弁)、迷わず決定。当日券狙いでGO。
そしてあと一列あと一列と詰められて観劇。
観始めは、王者舘初めてにありがちで、台詞が何言ってんのかよく分からないところがある、小ネタも拾いきれない、もちろんお約束なんかも知るわけない。
基本的に死が大きな要素だということは予備知識として入れてあったので、特に考えずに観ることにしました。旧来のファンの方たちには「分かりやすい」と評判でも、イメージ連鎖で追っていくという基本スキルがない人間にはすべての展開が唐突に感じるもんです。
正直、観終わった直後は感激、とかそういう感情はなかったんですが。後になって効いてきました。特に言葉遊びなんて、ネットとかで他人の感想を追うことでようやく分かってくる部分が大きいので。色々考えていて気づいた時にははまっていました。遅効性なのか。
観劇前の印象と観劇後の印象で大きく違っていたところは、自分の好みにこれだけはまっていたとは思ってなかったというところなのでした。後はあまり外れてなかった。オチ。
(2001.10.18記す)
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◆好きなシーン
おつまみの合唱。楽器演奏。
吉田一合ステーション。
●秒後の繰り返しのとこ。
(2001.10.16記す)
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◆夕ヒ
芝居の幕開けは四方八方の暗闇から名前を呼ばわれる吉田一郎(平太郎/松宮陽子)の図。彼は歌えること、泳げること、お金かせいだことなど報告し、そして気づくとそこは夕日の街。そこはさよならだけの街。もうすぐ赤提灯つき、酔いどれ集う境目の街。
死→夕ヒ→七夕→ナタ。
死のキーワードはところどころにまぶされているけれど、なんだかあまり深刻に響かないのは同時に頻出する酔っ払いキーワードのせいか。いや、それとてアル中という死に結びつく。
黄昏誰ぞ彼彼はいるのかいないのか? 奇妙な二人組に「お前はいない」と言われ、反発確認時間反復「いるな」「確かにお前はここにいる」「息し(生き死)ているな」。やっぱり次々出てくる色々な一郎(正太郎/夕沈、太郎/中村榮美子、一郎/水谷ノブ)。
ワンカップの底、夕ヒの切符で登山列車は一合ニ合、酒量は増えてぐでんぐでん。酒呑童子となりにけり。
以上、畳みかけるような前半部、大雑把な把握。
正直、整合性を見つけるのは無理だと思います。というか、素直に乗っちゃえばいいんだよなと楽しみました。ちょっと考えると、前半が一郎の存在主張で、後半が一郎探し、なのかな。主体と客体。
(2001.11.06記す)
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◆差異
えーと、もうかなり記憶が薄れてはいるのですが、名古屋で観た時のと大阪で観た時のの違った点を覚えているだけ。いえなにしろ何度も書いているとおり、名古屋で王者舘初見なので、情報量
に圧倒されて記憶薄い部分も。ということで細かいところは分かりません。はい。
大きなところが、
・ちゃぶ台シーン、一郎(水谷ノブ)帰還の後、「金星」に舞台とぶところ。
・嘘つき五人衆、孫を捜し回るところのお遊びシーン。
・ラスト、お品書きつき風鈴じゃらじゃら降ってくる。
とりあえずこれだけの追加があったのは確かです。はい。
(2001.11.14記す)
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◆役者さんの印象
ということで、他公演のビデオなんぞを見た後につらつら思い出すと、あんまり役者さんの印象というものが占める部分が多くなく、世界というか空気というかそういったものの方が鮮明に思い返されます。もちろんそれは上演時間とか演目とか役柄とか自分が初王者舘だったとかが深く関係しているかとは思うのですが。あ、あと自分が人の顔を覚えるのが苦手ってこともあり。
まあそれを置いておいても、個々の存在がいっそう稀薄だったという印象が強いです。一郎グループ、じじいグループ、女の子グループ、あとそれに属さない導き手グループといった感じで、まあ一郎はともかくも、あとはあまり自己主張のない役柄であったといいますか。それが今考えるともったいなくもあり、でもこの内容からすれば妥当でもあり。
んで、そんな中でもどうしても立ってしまうのが夕沈さんの動きだったり。大熊猫中毒もしかり、なんだかこう間違いようのない御方です。
なんだかとりとめのない文になりましたが、観て四ヶ月経った今、一番はっきりと思い出すのは、松宮さんの後ろに井村さんが立ち、今はいつかと尋ねるシーン(何故だか、夜の水辺ですすきがいっぱい生えているように見えたなり)と、夕沈さんが逆立ち……じゃなくて助太刀にきてボンド食べるシーンなのです。
何故だか。
ともかくもうすぐ台本載る「せりふの時代」の発売ですね。楽しみ。なにしろ台詞いっぱい聞き取れなかったし。
(2002.01.03記す)
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◆せりふの時代
読みました読みました。上で台詞聞き取れないと書いてますが、こりゃ聞き取れなくて当たり前といいますか、聞き取れないこと前提にしているようなもんですなー。
なにしろ台詞のほとんどが唱和。というかまともというか普通というかの対話シーンが皆無といって良いし。シーンが徹底的に小刻みにされて重なったりループしたりしてますね。さすがコンデンス。
なんかセットも家屋ではなくて、無機質というか生活感のない廃墟っぽいものだったのも、現実感を引き剥がすのに一役買っていた気が(ああそうそう、事前に抱いていたイメージと実際のセットのイメージは違ってあれ?と思ったもんです、七ツに入った時)。
そういえば上に書いたのと関係するのですが、役者さんを一人も知らないでこれを初めて観たのはなんだか良い具合だったのでは、と今となっては思ったりします。個々の役者さんを認識できないので、なんというかそれぞれの存在がぶよぶよしていたといいますか。
(2002.01.14記す)
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