相手が力量を判断できないうちに畳み掛けるか、相手の出方や癖などを見てから仕掛けるかは性格であるが、アピアは基本的に後者寄りだ。リームも同じようで、開始の合図の後に両者はしばらく睨み合う。さっさとやれー、とかシードが野次を飛ばしてくるが無視する。
先に動いたのはリームだ。
上段より正面へと振り下ろすその剣筋には、当てる気は感じられない。飽くまで相手の出方を見るためだけの初撃だ。アピアはわざと同じように振り下ろして刃を打ち合わせてみた。予想通り重い感触が握り手を震わせたので、競り合いには持ち込まずに後ろへと下がる。シードのような常識外の力よりも、こういったまっとうに鍛えられた力の方が怖い。成人男性に力で対抗しようとしても押し負けるだけだ。
リームが提案した長剣での試合を呑んだのは、妥当だと考えたからだ。剣術ならば型は大体決まっているし、勝敗も明確に判定しやすい。そういったところがシードの嫌いな部分なのだろうが、体格も筋力もまったく違う衛士相手に殴り合いを挑むほどアピアは無謀ではなかった。
結局のところ、アピアに勝機があるのは相手の構えを崩し、不意を突くやり方だけだ。それはリームも承知の上で、だからこそ攻め方が難しい。試しに低い体勢から足元を狙って打ち込むが、簡単に捌かれる。
「おー、激しくなってきたね。すごいすごい」
一方、見物組は呑気なもので、離れた場所に腰掛けてその様子を眺めていた。
「あれって型通りだろ。何が面白いんだか分かんねーよ」
「そうなの? そんな感じには見えないけどな」
「たぶん動きがきちんとしているからですよ。僕らのような素人目にも、つなげ方が綺麗でしょう?」
「なるほどね。シードとは違うんだ」
「違うんですね」
「お前らな」
さりげなく腐されたシードは憤慨の意を示して鼻から息を吐き、反撃する。
「あんなの、お前らみたいに脇で見て騒ぐためだけにやるもんだ。相手の剣を叩き折っただけで終わりだぞ」
「折れるの、あれ……?」
「おう、折れる折れる。ちょっと力入れただけで曲がるしな」
鉄はその頑丈さと採れる場所が限られている故に高価であり、それで作られた剣がそんなにやわなはずもない。シードのちょっとは推して知るべしといったところかとミュアは思う。
そうしている間にもリームとアピアの攻防は続いていた。安定して繰り出されるリームの斬撃を、アピアが躱しながらたまに打ち込むような局面がずっと続いている。
「ところで、アピアが押され気味のように見えますけど、勝てるんですよね?」
「勝てるだろ」
「いくらアピアが強いって言っても、やっぱり衛士相手じゃ無理なんじゃないの?」
「あいつさ、間合いの取り方が気持ち悪いぐらいうまいんだよ。当たると思っても当たらねーし、当たらないと思ってたら当たるし」
そんなものなのかと感心して聞くミュアだったが、次にシードが洩らした感想に仰天する。
「それにしてもリーム先生も結構強いんだな」
「……ちょっと待って。すっごく他人事みたいに聞こえるんだけど」
「俺、ほとんどリーム先生と打ち合ったことないしな。あー、一回もないか? いや、あれ入れれば一回か。あるある」
何やら思い返しているらしく、シードは一人でぶつぶつ言っていたが、問題はそこではない。
「つまり、あの台詞は単なる思いつきの産物で、ほとんど根拠はないってことですね」
ニッカがそう断定した時、セピアの短い悲鳴が三人のところまで届く。
見れば、両手を提げて立つアピアの喉元に、鈍く光る切っ先が突きつけられていた。
結局色々と手間取っていたら、リームと別れた時には昼を回る頃に近くなっていた。今から道を進むか、このままもう一日ここで過ごすかを迷った後、作ったかまどをまだ片付けていなかったことが決め手となり、滞留することになる。
「アピアとシード見なかった?」
ミュアに尋ねられ、木にもたれかかって何やら書きつけていたニッカは顔を上げる。
「見てませんが、どうしたんです?」
「リームさんにね、これから今いる場所だけでも報告してほしいって、お金押し付けられちゃって。しょうがないからやるのはいいとして、少なくとも二人には許可もらっておかないと。ニッカは構わないでしょう?」
「何の問題も」
「どっちかに嫌だって言われたら、お金はシードに渡せばいいよね」
「鳥文代ですか」
「それより多いと思うんだけど……」
「やらない時でももらっておいて良いような気がしますけどね。あちらもそれは折り込み済みでしょう」
「そうはいかないわよ」
腰に手を当てて憤慨したポーズを作り、ミュアは周囲に首を廻らせる。どこかの丘の陰にいるのか茂みの裏にいるのか、やはり二人共姿は見当たらなかった。
「懲りずに喧嘩してるんじゃないでしょうね。ちょっと上から見てみるわ」
ミュアは一言断ってから、羽を開いた。飛ぶのは結構得意だが、用心のために幹沿いに進んで木の上に顔を出す。拡がった視界の中に動く影を見つけ、彼女はそれを注視した。
「違うか」
その人々は結構遠くて容姿がはっきりとしないうえに、三人組だったので無関係な人だと判断して、別の場所を探す。すると、一つ向こうの丘にある藪の向こうにアピアらしき姿が横切っていったような気がした。ミュアは急いで地面に下りて、ニッカに追う旨を告げる。
「お気をつけて」
ひらひらと振られるニッカの手に見送られ、彼女は急ぎ足で見た場所へと進んだ。聞くのは夜などでも良かったのだけれど、やる事も特にないし、さっきがさっきなのでシードとの喧嘩を始めるようだったらさすがに止めておいた方がいいだろう。
「いらねーから、お前がもう持っとけよ」
はたして藪に近づくと、シードの声が聞こえる。用事は一度で済みそうだとミュアは二人に声を掛けようとしたが、ちょうどそのタイミングで発せられたアピアの刺々しい返答に思わず言葉を呑み込んでしまう。
「まだ遊びだと言いたいのか」
彼女はとりあえず頭を沈めて、茂る葉の隙間から様子を窺うことにした。下手な頃合に顔を出すと場を煽りかねない。まあ、ちょっとした覗き根性があったことも否めないが。
どうやらシードがこの藪を背にしていて、アピアがそれに対峙しているようだ。長剣を手に、こちらを睨んでいるアピアの姿が見える。血はもう止まったようだが、首元から顎にかけてまだ皮膚が腫れたように赤く染まっていた。不穏な空気を増しているのは、変に目が座っているためだろうか。何が原因か、ひどく不機嫌な様子だ。
「余裕だな、シード=シンス=トーラー」
「わざわざ全部呼ぶなよ」
「君は何も自覚してない」
吐き捨てるようにして、アピアは言葉を重ねていく。
「こんなところで何をしている? 君は一緒に帰るべきだった。君にはいるべき場所がある。果たすべき責任がある」
「……お前、何が言いたいのか良く分からん」
ミュアは身も蓋もないシードの突っ込みに脱力しながらも、アピアもシードにそんなことを言っても無駄だろうに、と思わずにはいられない。それにアピアからこんな風に突っかかることがあるなんて意外でもあった。シードが喧嘩を売るので、アピアは渋々受けているだけだと思っていたのだ。そして、アピアが続けた言葉に、ミュアはぎょっとする。
「こうしている間にも、トーラー領は壁の向こうから攻められているかもしれない」
それはシードも同様だったようで、ミュアからは表情は見えないものの、返答には戸惑いが含まれていた。
「何だそりゃ。吹っかけるならもうちょっと現実味のあることで……」
「今まで起こらなかったことは絶対にこれからも起こらないとでも思ってるのか。僕がここにいるのに。三足族は壁を越えられる。それは君が一番良く分かっていることじゃないのか、シード=シンス=トーラー!」
「てめえ……!」
畳み掛けるように挑発されてシードが平静でいられるはずもなく、彼はアピアの胸倉を掴み上げる。ミュアは慌てて出て止めようと思ったが、黙って聞いていたという負い目があって少し躊躇した。しかもその時、突然反対側の藪からばらばらと人影が三つ飛び出してくる。
「アピア……さん、ですね?」
彼らは中年から青年といった頃合いの男性で、その頭に獣の耳はない。どこかで見たような気がするな、とミュアは考え、それがさっき木の上から見つけた三人組であると思い当たる。印象に残っていたのは、一様にマントを羽織っていたからだ。
「弟さんと一緒に来てもらいましょうか」
彼らはアピアに向けて、そう言い放った。
そんな状況になってますます出て行きにくくなったミュアは、再び藪の裏で体を縮めて一旦様子を窺い直すことにする。うまい具合に誰も気づいていないようで、三人組とシードとアピアはそれぞれに睨みあっている。
「何だ?」
予想外の展開に緩んだシードの手を振り払い、アピアは彼らに答える。
「ずいぶん遅い登場だね」
声に含まれる棘はさっきよりその鋭さを増していて、どう見ても歓迎していない様子だ。それも当たり前で、壁すら越えてきたアピアたちは普通に考えれば何かから逃げてきたのだ。その何かがあの三人組なのだろうか。
「大人しく来れば悪いようにはしない、と申しつかっています」
先ほどから話しかけてきているのは、リーダーらしき一番年長の男だ。皺が目立ちはじめているその容貌は、穏やかな性格にも見える。脇に控えている残りの二人が凄みをきかせているのを除けば、特に悪い人物には見えない。
「悪いようにはしない、か。そりゃそうだ、奴らの良いようにされるだけだものね」
しかし、皮肉たっぷりのアピアの態度からしても、彼の敵に間違いはないようだ。三人組の要求など呑む気はさらさらないのが分かる。相手もそれは承知のようで、力ずくを示唆するように脇の二人がじりじりと外に開いて包囲網を形成しようとしていた。アピアはミュアのいる藪を背にしてそれを迎え討つために構えを取る。このまま隠れているのも結構やばいかもしれないが、とても出ていけない雰囲気だ。そんな風に悩むミュアの頭上から、素っ頓狂な声が降ってきたのはその時だった。
「ひょっとして、こいつら三足族か!?」
シード、気づくのが遅すぎる、とミュアは心の中で突っ込む。そして彼が気づいた以上、一層ややこしい展開になるのは保証されたようなものだ。案の定、シードはいきなり張り切りだした。
「おい、お前ら、人ん国に勝手に入ってくるんじゃねーよ」
指差して糾弾するも、相手は不審顔だ。
「どなたですか、この人は」
「関係ない人」
アピアの返答も大変素っ気ない。
「関係ないのなら、ちょっと向こう行っててもらいましょうか」
リーダーの指示で、部下二人の標的はシードに一時変更されたようだった。シードはもちろん戦う気満々で、三対二なら何とかなりそうだから大丈夫かな、とミュアは安心した。自分が見つかって人質になるとかいう、物語めいた状況だけは避けたい。
「さっさとかかって来いよ!」
むしろ浮き浮きとした声音で、シードがそう挑発した時だった。
突然、藪を何かが突き破り、ミュアの足元に転がった。
「きゃっ!」
反射的に彼女は悲鳴を上げてしまう。急いで口を塞いだのに、続けて大きな悲鳴が辺りに響いた。見つかったと覚悟してミュアは立ち上がり、そこで後に聞こえた悲鳴が自分のものではないと悟った。
銀色のきらめきが横切るのに遅れて、赤い色が目の前に跳ね上がる。呻きが上がる。再び銀色の帯が宙を渡り、鈍い衝撃音が鳴り渡る。
認識は遅れてやってきた。鉄の匂い。肩を、脇腹を抑えて唸っている二人。足元に落ちている鞘。
アピアが剣を小さく振るい、その刀身についた血を払っていた。彼の頬や衣服には返り血で鮮やかな模様がところどころに作られている。
「僕らは君たちに従うつもりはない」
シードへと二人の注意が逸れた瞬間、アピアは鞘を抜き捨てて、横合いから男たちに斬りかかっていったのである。
「さっさと消えろ。それでは力ずくという訳にもいかないだろう?」
控えていた中年の男は無傷だし、二人も致命傷ではないが、既に臨戦態勢の相手にここから巻き返しを図るのは確かに難しいだろう。中年の男も特に腕に覚えがある訳でもないらしく、明らかに怯んでいる。
「も、戻りましょう!」
踵を返した彼の号令で、傷を負った二人も呻きながらも藪の向こうへと消えていく。アピアは彼らを追おうとはしなかった。滴る血の跡が道を作っている。
「お前、何してんだよ!」
男たちの姿が消えた後、シードが我に返ったように不意にそう問い詰めた。
「何って、見ていれば分かるだろう」
「あれは俺の相手だろうが! それに横から斬りつけるってのは……」
「遊びはくだらないんじゃなかったのか?」
シードの無駄な勢いを、アピアは冷たい声音でねじ伏せる。彼はまだ刃にこびりついている血を裾で拭い、呟いた。
「多勢を相手にして、君のような力がない人間は何に頼ればいい? 剣は便利だ、あいつらを追い払うには」
その声は、シードに聞かせるにしては小さいものだった。
「遊びなんて、もうとうに終わってる」