一瞬のうちに砂は舞い上がり、熱い雨となって体に降りかかった。逃げようとするだけ無駄だともはや理解しているので、ただ頭をかばってその場にうずくまる。羽に付くのはどうしようもないと諦めた。下手に対処しようとして、目に入ったり、さっきみたいに口に大量に入ったりするよりましだ。
耳元でびゅるびゅると猛る音が耳鳴り程度の大きさになって、ようやくミュアは頭を上げた。目を開く前に、まず首を振って上半身に積もった砂を払い落とす。髪からじゃりじゃり音がするのにうんざりする。
見下ろせば、膝から下が埋まっていた。今までに比べればかなりましな方だ。胸まで埋まった時は一人では抜け出せなかった。
「皆、平気?」
砂を払いながら状況を確認すると、一番近くにいるニッカと目が合う。彼は頭を指差したので、ミュアは別に取らなくていいと首を横に振った。
一番被害を被っているのは彼だろう。耳が詰まるほどの砂に辟易し、布をぴっちり頭に巻いているので、もっと近くで声を出さないと聞こえにくいのだ。彼は帽子を用意しておかなかったことをしきりに後悔していた。
甘かったかもしれない。
何となくそういう空気が一行には漂いつつあった。アピアたちのことがあるので、商隊などに混ぜてもらわず地図を頼りに単独で歩を進めてきたのだが、何度も砂嵐の洗礼を受けて明らかに士気が下がっている。アピアとセピアも遅れがちで、いまだ元気なのはシードだけだ。さっきなど、埋まった後に砂をかき分けて近づいてきたから何かと思ったら、
「この熱いのは魔物のせいなんだろ? だったらそいつぶっ倒せば、涼しくなるんじゃないか?」
などと言い出したので、頑張ってくださいと返しておいた。今も頑張っているらしい。彼なりに。
どんなに埋まっても砂を吹き飛ばして勝手に復帰している様子は頼もしいといえば頼もしいが、まともに相手をしている気力はない。そして本人もさすがに平常時よりは消耗しているらしく、そういえばアピアと喧嘩をしている様子はなかった。
アピアが剣であの男たちに斬りかかっていった後、シードとの関係はもう少しぎすぎすするかなと思っていたが、意外なほど変わらなかった。ちなみにミュアが立ち聞きしていたことも気にしていなかった。むしろシードは気にしなさすぎだと思う。
ミュアはやっぱり考えてしまう。男たちの正体や、アピアの態度や、兄弟がここにいる訳などを。
振り返れば、アピアがセピアに助けられて埋もれたところから這い出してきているのが見える。生まれた場所から遠いところで、こんな目にあってまで進まなければいけない理由は何だろう。
一番手っ取り早いのはもちろん直接尋ねることだろうが、それをしてしまったら間違いなく距離は遠くなる。それどころか、姿を消してしまうかもしれないという予感をミュアは抱いている。
目的地は聖山。今は行くべき道がはっきりとしている。けれど、着いた後に敷かれるのはそれぞれの道だ。共には歩けないだろうけれど、行く先を知っておきたいとも思う。
砂中都市サレッタにて、ミュアたちは西へと道を折れることになる。
旅路はもうすぐ半ばを過ぎるのだ。
結局、アピアの意識は戻らず、小屋に早くたどり着くのが一番良い手らしかった。しかし、近くにあるはずだとはいえ、まだ見えないということはそれなりの距離を歩くことを考えなければならない。
「俺、やらないぞ」
ミュアが言い出す前に、シードは先制で拒否を表明した。
「どうしてよ」
「嫌なもんは嫌なんだよ」
「だってシード以外、誰が出来るって言うの。今背負ってる荷物なら、私達が手分けするから……」
「そういう問題じゃねーよ」
いつもなら折れるところだろうが、今回に限ってシードはにべもなく断り続ける。
「お前らで何とかしろよ。とにかく俺はやらねー」
最終的にそう宣言して、彼はさっさと歩き出してしまう。取り残された三人は目で相談をしたが、選択肢はさほど多くなかった。
「それじゃ、私とニッカが交替で……」
「僕が背負う」
ミュアが切り出した時、それを遮ったのはセピアだった。そして止める暇もないまま、アピアの脇に手を入れて持ち上げようとする。何とか背負う体勢までには持ち込めたものの、頭一つほど低いセピアにはやはり無理がある。こんな状態で小屋まで保つ訳がない。
ミュアは眉を吊り上げ、先を行くシードの背を叱りつけた。
「ちょっと……シード!」
語調にはっきりとした非難の色が混じったせいか、シードは不満の表情を崩さないながらも、のそのそと戻ってくる。言いたいことは分かってるでしょうと睨むミュアの目から顔を背けるように、彼はため息を吐く。
「はいはい、分かった分かった。持ってきゃいいんだろうが」
それからやけくそがちに吐き捨てて、大股にセピアへと近づいていく。続いてその背からアピアの体をむしり取り、小脇に抱え、どんどんと先に行ってしまう。
そのあまりに杜撰なやり方に、いい加減疲れて苛々していたミュアもついに切れた。
「足引きずってるでしょうが! 荷物はこっちによこしてちゃんと背負うか、前抱きにしなさいよ!」
「うるせー、ほっとけ! 敵が来た時、邪魔だろうが!」
「どこに敵がいるのよ!」
どんどん空気は悪くなり、怒鳴り合いから罵り合いに発展しかねない。しかし、その不毛な論戦は高い声で中断させられる。
「僕が!」
さっきからシードにぶら下げられて力を失ったままのアピアの体を、セピアが引っ張っていた。
「僕が連れてく……アピアは、僕が……こんな……てたら、だって……」
顔をぐしゃぐしゃにしたセピアは、しゃくり上げながら、僕が、僕がと繰り返した。険悪な空気はたちまち気まずい雰囲気に呑まれ、収拾がつかなくなりそうなところでニッカが割って入ってくる。
「はいはい、三人とも落ち着いて。今すべきことは、アピアを早く安静にできる場所に連れていくことでしょう。誰がどうするということより、一番効率の良い方法を取るべきです」
「俺だろうが」
「分かっているなら、お願いします」
「嫌だってさっきから……」
「それはシードにとって構わないことなんですか?」
「何だよ、それ」
「病人を放り出したり粗末に扱うのは、シードの心に恥じないことなんですか、と」
一番痛いところをつかれたらしく、シードは明らかに言葉に詰まって頬を赤くした。しばらく葛藤していた様子だったが、無言のままアピアを肩にかつぎ直す。人というよりやはり荷物のような運び方ではあるが、背嚢もあるし無難な線だった。
そして、むっつりと口をつぐんだまま、足早に歩き出す。ミュアは小走りで彼に追いつき、なだめるように声をかけた。
「ごめんね。でも、シードだったら軽いものでしょ」
それに対して、シードはミュアに一瞥をくれると、呟きで返す。
「軽いから嫌なんだよ、畜生」
ミュアが聞き返す前に、彼はざくざくと砂を蹴って先へと進んでいってしまった。
下からの熱を防ぐために小屋は二階部分を使うようになっており、アピアを運び込むには少し手間取った。一階は兎鹿などの家畜や車置き場で、一応底上げはしてあるが大雑把な造りの壁しかない。
抱えて階段を昇り、備え付けの簡単な寝台に寝かせて、二人は一息つく。
何だか色々ありすぎた一日だった。それにまだ終わっていない。シードとセピアが無事帰ってきて、本当に安心ができるのだ。とはいえ、休める時に休んでおかないと自分たちも参ってしまうだろう。
「ごめんニッカ、服に入っちゃった砂を払って、体を拭きたいんだけど……」
「はいはい、しばらく外に出てますね。車から荷物を運んでおきますよ」
ミュアが頼むと、ニッカは快く承知して外に出てくれた。そこでミュアはやっと髪をほどき、服を脱いで砂を払うことができる。砂は床に溜まるほど至るところからざらざら出てきた。水は使えないので、梳いたりはたいたりして何とか一通り払い落とす。その後、新しい服に替えると、ようやく人心地がついた。
「アピアも払っといてあげようかな……」
顔の近辺だけでもすっきりするだろう。それにあまり熱があるようだったら、水を使って冷やしてあげた方が良い。盗賊たちから奪ったものがあるので、少しは余裕が出来たはずだ。
何の気なしの動作だった。熱を計りにくいと思ったミュアは、アピアの頭に巻いてある布を上に少しずらす。途端、息を呑んだ。
「もういいですか?」
その時ちょうどニッカが外から声をかけてきて、ミュアは慌てて布を下げた。とっさに返事をする。
「あ、うん、いいよ」
今見たものが信じられない。心臓がばくばく音を立てているのが分かった。入ってきたニッカが不審げな顔をして尋ねてくる。
「どうしたんですか。顔が赤いですよ」
「え……え、そうかな。疲れたかも」
「ミュアも倒れたら、僕はお手上げです」
「そうだよね、気をつける」
「……本当に大丈夫ですか?」
微妙に噛み合わない会話は、単にニッカを心配させただけのようだった。平気平気とミュアは手を振り、ニッカにも砂を払うことを勧めて、今度は自分が外に出る。それは動揺を隠すためでもあった。
階段に腰掛け、ざらつく生温い風に吹かれながら、ミュアは改めて自分の見たものを考え直す。見間違いはたぶんない。だとするなら、何かの間違いか、もしくは理由があるのだ。そういえばセピアも同じように額を隠している。同じものがあると考えて良いと思う。そして、セピアまでもが自分の責任でそんな目に遭うとはとても考えられない。
「そうよ、信じてあげないと」
ミュアの心の中は、最終的にはそう結論づけられたことで落ち着いた。自分の勘は結構当たるのだ。一緒に旅をしている時はもちろん、初めに脅された時ですら、アピアから悪い印象を受けることはなかったのだから。
「もういいですよ」
ちょうど中からニッカの声がして、ミュアは立ち上がる。ちょっと事情を聞きにくくなったことは確かだが、別に今までと変わりなく接していけばいいことだ。
その時、ミュアは砂地の向こうに人影を認めた。
最初はシードが戻ってきたかと思った。けれどいくら何でも早すぎるし、見える人影が増えるに至って、あまり望ましくないことが起こっているのを察する。ミュアは小屋の中へと飛び込み、ニッカに来訪者の存在を告げる。
「やっぱり盗賊なの?」
彼らにはミュアたちがこの小屋に逃げ込むだろうことは見当がつくはずだ。シードは失敗したのだろうか。
しかし窓から様子を窺ったニッカは、首を横に振った。
「盗賊じゃありませんよ、あれは……アピアの追っ手です」
その間にも、小屋は三足族たちによって囲まれつつある。
その数は十人ほど。彼らは顔を布で覆って隠し、目だけを覗かせている。
薬がよく効いているアピアは目覚める気配もなく、シードもまた帰ってくるとは思えなかった。