いつから見られていたのか、彼らは目標がここにいることを確信しているらしかった。等間隔に小屋を取り囲んだ様子からは、逃がさないという意志がはっきりと読み取れる。最初はやり方が甘かった彼らも、回数を重ねて次第に手段が強硬になりつつあるようだ。顔を隠しているのも、どんな強引な手を使っても良いようにだろう。ミュアたちにとっては有難くない。
「車もありますね」
男たちの後ろには鹿車が控えている。
「やっつけれるかな」
ミュアはとっさに近くにあった剣を手に取った。元々シードのもので、あの時以来アピアが持っているものだ。シードやアピアは軽々と操っていたが、実際持ってみるとそれなりの重みがある。自分が使うと成す術もなく振り回されそうだ。
「僕はシードじゃないし、ミュアはアピアじゃない。その選択肢は考えるだけ無駄です」
ニッカにもあっさり却下される。
「じゃあ、どうすればいいの?」
ミュアの問いに、車から持ってきた荷物を熱心に検分していたニッカは振り向いて、その単純な答えを返してきた。
「僕らが出来ることをするだけですよ」
やがて階段を軋ませる音が、そして扉を叩く音と呼びかける声が外から響いてくる。
「おい、聞こえてるな」
「……何ですか?」
ニッカがそれに答えると、相手はストレートに要求を伝えてきた。
「そこにいる兄弟をこちらに引き渡せ」
そこでニッカとミュアは少し顔を見合わせる。セピアがいないことを知らないのだろうか。どちらにせよ、駆け引きの始まりのようだ。彼らが三足族でアピアとセピアを捕まえようとしている、という以上の情報は自分たちにはなく、少ないカードで挑まなければならない。
ニッカは扉の前に立ち、きっぱりとした調子でまず要求した。
「階段から降りてください。そうしてくれないと、交渉は受けかねます」
扉の向こうの男は一瞬戸惑ったようだった。
「声が聞こえないだろう」
「こちらが外に出ます」
しばらく待つと、ぎしぎしという音が響いてきた。薄く扉を開けて人がいないことを確認し、ニッカは外へと出、扉を再び閉める。
先ほど話しかけてきたと思しき男は、階段の下でニッカを待ち構えていた。正面突破を恐れてか、その脇にもう一人大柄な男がついている。
それにしてもこの小屋の底上げ構造は、現在の状況において都合が良い。飛べない彼らが上にいきなり踏み込むことは不可能だ。壁や柱を登ろうとしても、老朽化しているので倒壊する恐れがある。そして階段は並んで登れるのはせいぜい二人までで、ニッカの位置に得物を持った人間がいれば叩き落されるので突破は難しい。
とはいえ、ここで篭城戦など仕掛けたら音を上げるのは間違いなく自分たちの方だし、今だって男たちの中の一人が弓を持って狙っている。打たれたら死んでしまう。
話を聞いてもらえるほどには厄介に、強制排除を食らわない程度に柔らかく。
「僕はニッカ=タイカ=ソールと申します。貴方のお名前は?」
とりあえず名乗るところから始める。それは向こうにとっては不要な段階なので、階下の男はあからさまに顔をしかめる。
「名乗る必要はないと思うが」
「お話しするのに、名前も知らないままでは落ち着かないので」
「……トーニナだ」
ニッカに退かない姿勢を見たのか、本名ではないだろうが男は渋々名乗った。
彼らにとって、自分とミュアは単なる障害物としてしか見なされていないはずだとニッカは考えている。最初にこちらを人間だと認識させるための切り出しだ。そうなってようやく本当の意味での交渉が可能になる。
しかし、相手の要求が人間なだけに妥協するのは難しい。半分あげるから勘弁してください、という訳にはいかないのだ。そういった意味で、交渉が成立することはないだろう。
ニッカに出来ることは可能なかぎり時間を稼ぐこと、そして相手から情報を引き出すことだった。
心配していたのだが、避けた先に曲がってくることはなく、鳥は二人のすぐ近くを駆け抜けていった。しかし、向こうでまた大きく曲がっているのが見える。細かい調整は効かないようだ。
「どうすっかね」
耳をほじって入った砂をかきだすシードの横で、ソリッツは必死で状況を整理していた。
やっぱり乗っていない。改めて通り過ぎる際に確認したから間違いない。あの鳥は勝手に動いている。でも自分たちを狙っている。ならば狙われる理由があるはずだ。それが分からない。
「あ、上の奴を叩き落せば止まるか。止まるな」
一方、シードはごく単純な結論に達したようだった。ソリッツの葛藤も知らず、のこのこと鳥の進路へと出て行こうとする。ソリッツは慌ててその腕を引っ張って止めた。
「だから、上の奴って誰?」
「誰ってお前の仲間だろ。髪の長い奴だったけど。仁王立ちして」
残念ながらそんな仲間に心当たりはないし、そんな乗り方をする人間もいない。これはもしかしてさっきの打ち所が悪かったのかもしれないとソリッツは危惧したが、そんな心配はお構いなしなのがシードだった。
「お前はそこで待ってろ」
ソリッツの手をあっさりと振り払い、進路へと走りこむと羽を広げる。そして、高さを鳥の背に調整すると、そこで待ち構えた。方向を変えることなく、うまい具合にシードへと鳥は突っ込んでくる。さあ来い、と張り切るシードだったが、近づくにつれその顔は不審に歪む。殴り倒す対象、乗っていたはずの男がどこにも見当たらない。
首を傾げるシードの前で、鳥の背に巻かれた布がごそりと動く。その塊は不意に素っ頓狂な声を上げた。
「……シード!?」
背に張り付いていたために地上からはまったく見えなかったそれは、疑いようもなく探していたセピアの姿だった。
「立て!」
認識した瞬間、シードは反射的にそう叫んでいた。気迫に押されるように、セピアもまた慌てて跳ね起きる。だが、全力で走る鳥の上でうまく立てる訳もない。バランスを崩してほとんど転げ落ちんばかりだったが、その時ちょうど鳥とシードはすれ違った。
鳥が舞い上げたもうもうたる砂煙を散々浴びた後、シードと彼に抱えられたセピアはようやく地上に降りることが出来た。
しがみついていた手を緩め、セピアは熱い地面にぺたりと座る。
「ありがとう……」
「何であんなとこに乗ってたんだよ」
シードの問いに、セピアは鳥を奪って逃げてきた経緯を簡単に話した。するとシードは掴むようにわしわし頭をかき回してきた。
「なかなかやるじゃねーか」
どうも怒られた訳ではなく誉められたらしいとセピアが悟った時、騒がしくソリッツが近づいてくる。
「あいつ、行っちゃいましたよ!」
彼の指差す方向を見ると、砂煙が遠ざかっていく。その指は次にセピアへ向けられた。
「つまりそいつが操ってたんすか?」
突然指されてびくつくセピアを見て、シードが答える。
「いや……違う」
違うよな、という目を向けられて、セピアは何度も首を縦に動かした。自分はしがみついていただけで、他に何もしていない。
「でも、そいつを捕まえたら行っちゃったじゃないっすか」
ソリッツは納得のいかない顔をしているが、他の二人も腑に落ちない気持ちは同じである。シードはぽつりと洩らした。
「なんか妙だな」
決定的なことを見逃しているような、落ち着かない感覚。
自分が追うと決めた以上、見つかることをシードは疑っていなかったが、こんな風に降ってくるとはさすがに思っていなかった。幸運だと喜ぶ気にはどうしてかなれない。
「ま、考えても分かんねーか」
しかし、しばし眉根を寄せて考えていたシードがたどり着く結論は、それしかなかった。自分の勘が正しければ、考えるのには何かが足りないのだ。なら、考えるだけ無駄だ。
「お前らが襲ってきた場所と、サレッタと、どっか他の町と、ここからじゃどこが近いよ?」
いきなり全然違う話を振られて、ソリッツは泡を食う。
「え、はい、えーと、ここ……ここ?」
「……分かんねーのか?」
「分かります分かります、たぶん」
責める目線を向けられて冷や汗をかきつつ、ソリッツは自分が離脱する機会を逃したことを実感していた。試しに聞いてみる。
「あの、俺ってもう解放されてもいいんじゃないっすかね」
「何で」
「何でって、そのガ……坊ちゃん探してたんでしょ。見つかったんだし、もうお役御免ってことで」
「別にどっか行ってもいいぞ。ただし、水も食料もやらんけどな」
「えー……」
やっぱり選択肢はないらしい。どこで間違ったか思いを巡らせながら、彼は地図と方位磁石を付け合せる。
「歩けるか?」
「ちょっと休めば、平気」
脱力しきっていたセピアも水を飲んだりしているうちに落ち着いたようだった。とはいえ、昼間からの疲れもあるのかまだ本調子とはいいがたく、とりあえずどこかで休ませた方が良さそうだ。
「おい変更。一番近くの小屋に案内しろ」
シードはソリッツにそう告げると、セピアの脇の下に手を入れて立たせた。そしてそのまま体勢を替え、セピアを背に負う。
「ごめ……」
「謝るなよ。兄弟そろって面倒くさい奴らだな、まったく」
シードの言葉は、セピアのスイッチを入れてしまったようだった。肩を掴む手に力がこもるのが分かる。
「あ、アピアは、アピアは平気?」
「ミュアとニッカもいるし、平気なんじゃないか」
不愉快な気持ちが競り上がってきたので、シードはそれを適当にあしらった。
「大体、あいつは自分で何とかするだろ」
「うん……」
そんな答えで気が休まるはずもなく、セピアの声は沈んでいた。彼はしばらく黙っていたが、やがて囁くほどの声で話しかけてくる。
「ねえ、シード。アピアを助けて」
「は? 何だそりゃ」
「お願い……アピアは、きっと」
そこから先は言葉になっていなかった。泣いているらしいセピアを問い詰める気もなく、シードは胸の奥でため息をつく。
自分の思惑とは別に、事態がどんどん厄介な方向へ転がり始めてるんじゃないかという彼の危惧は、当たることを運命づけられているようだった。
見えぬ導き手はその者の前に立ち、進むべき方向を指し示す。