セピアの言い分は、ミュアに釈然としない気持ちを抱かせたが、反論をするのを彼女はためらった。自分は部外者に過ぎない。当人たちにしか分からないことはある。それに、自分たちは確かに大したことのない子供の集まりで、迂闊に助けにいってセピアまで捕まってしまうことを思えば、少し時間はかかっても大人のちゃんとした味方を得て奪回する方が正しい道なのかもしれない。
そう考えても、もやもやした気分は収まらない。自分は何かを見落としている。
「少し話がずれるんですけど」
その時、突然黙っていたニッカが手を上げて発言した。
「僕がお話しさせていただいても宜しいですか?」
誰にも反対する理由はない。無言の同意を得て、ニッカは喋り始める。
「さて、ミュア」
「え、私?」
てっきりニッカ本人の話か、セピアへの質問が始まると思っていたミュアは、いきなり自分に振られてびっくりする。
「もしミュアがすでに存在する国の王様に今からなろうと思ったら、何をしますか?」
しかも、素っ頓狂な質問をされた。
「何で?」
「いいですから」
「え、えーと……王様をやっつける?」
良くはないが、仕方がないので考えて返事をした。我ながら単純な答えだが、ニッカは納得したように頷いて見せる。
「それが一つですよね。でも、やっつけた後がすごく大変です。もう少し平和的に考えたら、どうです?」
「ん、じゃあ、王様と結婚する」
そう答えた瞬間、首筋を何か刺々したものが撫でた気がして、ミュアは思わず振り向いた。しかしそこには廊下の暗がりしかなく、首をかしげながらミュアは顔を元に戻す。
「それから? それだけでは王様にはなれませんよね」
「それから……王様を殺す、のかな?」
「ホリーラなら、それで王になることも可能ですね。でも」
ニッカはこつりと自分の額を叩いてみせた。
「リタントでは、選定印がない者は王になれない。絶対に」
ホリーラのように、配偶者にも継承権が与えられる訳ではないのだ。ミュアはその意味をしばらく考え、やがて不満げな顔になる。
「それじゃあ、どうやったって王様にはなれないじゃない」
「そうですね。制度を変えない限り無理です」
そこでニッカは不意にセピアの方を振り向いた。硬い顔で二人の会話を聞いていたセピアはびくりと身を震わせる。
「もし、印を受けた人間が全員亡くなった場合はどうなるんです?」
「一度あったみたいだけど……その時はすぐに新しい継承者が生まれたって」
「なるほど。そして、その人間がどこに生まれるかは誰にも分からない、ですね?」
セピアの頷きを得て、ニッカは立て板に水のごとく語り出した。
「つまり、王位を簒奪したい者にとってその選択は愚かだということ。継承者が自分の陣営に生まれるとは限らないのだから。即ち簒奪者にとっての選択は一つしかない」
一拍の沈黙の後に、唯一の答えは述べられる。
「正統なる王を傀儡に仕立てること」
言われれば、それしかないのは理解できる。けれどわざわざこんな風に勿体つけて言わなくとも、それは誰もが何となく分かっていたことのはずだ。それがどうしたと尋ねるミュアの視線に、しかしニッカは首を横に振る。
「いえ、僕が本当に聞きたいのはこの先なんです」
座っているセピアの膝に乗せられた拳がきつく握られているのに、ミュアはその時気づいた。
そう言い放った途端、シードは戸口から腕を外し、踵を返した。
「え、ち、ちょっと、シード!」
そんなことは聞いていないミュアが驚いて引き止めようとするが、彼はつれなく返す。
「俺はもうお前らとは一緒に行かないって言ったろ」
「待ちなさいってば!」
明かりのない廊下の暗がりに彼は消え、やがて荷物を持って戻ってきた。
「じゃあな」
そしてミュアの制止も聞かず、短い挨拶と共に家を出て行こうとする。ニッカの問いかけがなければ、彼はそのまま森の中に消えていったことだろう。
「アピアを助けに行くんですか?」
それは殊更シードの神経を逆撫でする質問だった。
「はあ? 何で俺がそんなことしなきゃいけねーんだ!?」
てき面に反応し、シードはニッカに噛みつく。
「理由は十分にあるじゃないですか」
対するニッカは平然とした顔でそう受けた。シードにとってはそんな風に思われているというのが面白くなく、完全に否定してからでないと去る気になれない。
「三足族を助ける理由なんて一つもないね。一体どんな理由があるのか、教えてもらおうじゃねーか」
いつもの通り小難しい屁理屈でねちねち攻めてくるだろうと、シードは高をくくっていた。そんなことで誤魔化されはしないと身構える。それ故に、がら空きになっていたのだ。
「貴方がそう望んでいるからですよ」
一番単純で、一番大切な、その部分が。
「違いますか?」
即座に違うとは返せなかった。
「……畜生」
悪態は負け惜しみにしかならなかった。
ニッカを突き刺すような視線で睨みつけ、シードは彼に手を伸ばす。
「そいつを寄越せ」
ニッカは膝に乗せていた剣を手に、シードへと歩み寄る。そしてさも当たり前のようにこう告げた。
「僕も行きますから。シードだけじゃ、見当違いの方向に走っていっても気づかなさそうですし」
「余計なお世話だ。俺一人で十分だから、来るなよ」
「自分でやったことの責任ぐらい取らせてください」
シードはそれに答えず、ただ鼻を鳴らした。それからぐるりとセピアへ首を巡らせる。
「おい、セピア」
そして、初めてその名で呼びかけた。
「お前はこのまま、そのセリークとやらに行って、それでいいのかよ?」
問われたセピアは目を逸らす。
「けれど、それがアピアの望みで……」
「あんな奴がどう考えようと俺は知らん」
シードは腕を組み、さっきまでの苛つきが嘘のように落ち着いた態度で重ねて問い質した。
「お前自身の気持ちはどうなんだって聞いてんだよ。奴を死なせて、うまく王様になって、それで良かったと思えるのか?」
それは、聞かれるまでもないこと。
「嫌だ!」
少しの躊躇いもなく、セピアは叫んでいた。一度口に出してしまうと、思いは堰を切ったように溢れ出す。
「嫌だ、やっぱり嫌だ、いなくなっちゃうなんて嫌だ、もう会えないなんて嫌だ!」
幾度も幾度も言い聞かされた。これが一番正しいやり方なのだと。
だから、覚悟しろと自分にずっと言い聞かせてきた。泣こうが喚こうがそれは覆らない。それはただアピアを困らせるだけの、子供じみた真似だ。平静に送り出すのが自分の務めなんだと。
でもやっぱり。
これは泣いても良いことだ。泣かなくちゃおかしいことだ。覚悟も納得もいらない。
ただ、嫌だ。
大粒の涙をこぼし、しゃくりあげ始めたセピアの頭を撫でるように優しく掴み、シードは囁く。
「よし、行くぞ」
セピアは頷き、シードは彼の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
一方、呆れ果てた顔をしているのがミュアだった。彼女は両手を腰に当て、大きなため息と共に諌めの言葉を吐く。
「貴方たちね、今から追いかけて間に合うと思う? 相手はまず間違いなく車使って全速力よ。無茶とか無謀って言葉を聞いたことはないの?」
「聞き飽きた」
ひらひらと手を振り、シードはミュアの小言を聞き流す。
「大体、お前についてこいとは言ってねーよ。お前は心置きなく巡礼を続けてくっ」
突然鼻先を思いきり弾かれて、シードは言葉を詰まらせた。全く痛くはないが、妙に腹立たしい。
「何しやがる!」
突っかかってくるシードに、再び弾く形をとった右手を突きつけつつ、ミュアは一つ一つ言い聞かせるように話した。
「いい? 私は最初からそのつもりで話を聞いてたのよ。どっか行けなんて、貴方が言うことじゃないでしょうが」
「結局どうしたいんだよ、お前は」
「一緒に行くって言ってるの。セピアを変な感覚に染められたら、堪ったものじゃないわ」
「僕は心配してもらえないんですかね」
「ニッカは自己責任よ」
そしてミュアは三人それぞれに指を突きつけながら申し立てる。
「大体ね、忘れてると思うけど、貴方たち全員、勝手に私についてきたんだからね」
「行きたいなら最初から素直に言いやがれ……」
「何か言った?」
面倒くさいのでシードは首を横に振って知らないふりをすると、ニッカの手から元々自分のものだった剣を奪い取った。それを腰に提げながら、誰に言うともなく宣言する。
「急ぐぞ。奴らが壁を越える前にふん捕まえてやる」
引き止める者はもう誰もいなかった。