Writer:Oumi

過去録

嘘なんてつく気もない

だからあんまり明るい話じゃないよ! むしろ暗い! 主に後半が!

実のところ「明日から本気出す」とだらだらしていたら、本気とか言ってる場合じゃなくなった上に、仕方がないので企画変更して作ろうと簡単な方のFlashソフトを立ち上げたらアクティベーションし直しになってて、キー取得しようとしたら登録してあるメールアドレスが古いものでしかもサポート期間切れてて変更も出来ずに使えなくなって、こうなったらと慣れぬAdobeFlashと参考書を引っ張り出して何とかなるかと思ったらならなかったのでphpにしました。言い訳終わり。

あと、本日の雄はご存知円谷とアイレムですが、アイレムが何もやってない自粛かよといぶかしく思った貴方に、アイレムそれなりに好きっ子な自分が、ここ最近のアイレム情勢の解説をするよ。

絶絶4の度重なる延期(3/10→発売日未定)
 ↓
震災
 ↓
絶絶4発売中止発表
 ↓
絶絶シリーズ販売打ち切り(3のDL版すら差し止め)
 ↓
バンピートロット2開発中止発表

つまり、正式発表はまだないものの、八割方アイレムはゲーム事業撤退と思われる……。二度目の実質倒産。会社自体は安泰だけど、ゲームファンには何の意味もない。
本事業の大儲けの影で売れないゲームを作らせてもらっていたものの、そろそろ成果を出せと言われて作っていた絶絶4がすぐに出せなくなり(資金回収不能)、これが契機と仕分けされたと読むのが妥当なところでしょう。
……世知辛い。
何とかしてあのカオスで無駄な作り込みばかりしてある割に廃人仕様ではない箱庭世界を引き継がせることはできないのかな。まあ……無理だろうな。スペランカー先生のアニメなんか作っている場合じゃなかった。
ちなみに本事業はもちろんエイプリルフール事業です。

2011年4月1日(金)

結果所感 その6

今日は、ステストの「lispha」を時間が空いたら起動して遊んでいるけど、事あるごとに詰まってセーブデータを捨てている。一度、すごく順調に進んだのに変なところでセーブしてハマった。相変わらずの素敵なリソースゲーム。さてクリアできるのだろうか。

そして本題の結果所感ラスト。
と思いましたが、「ユリリエが入っていない」とのご指摘をいただき、見直したら確かに入ってなかった。何だと。彼女を外すと恐ろしいので、三十位までにして次回最終回に変更します。

ということで二十一位〜二十五位。
大体もぐら回。


二十一位 ドゥナット/も☆ぐら
……あれ? 何かがおかしいですね。どうしたんでしょう、大人気のドゥナットさん、貴方のところだけぽっかり何かが空いているような気がするのですが。可哀想なので、先日優遇しておいてあげました。
という訳でおしゃれ毛マスターがも☆ぐら選手権のトップを飾りました。も☆ぐらのシナリオは何か真っ当に愛情EDにしてみようかなという悪い気持ちが頭をよぎりましたが、想像してみたら気色悪かったので取りやめました。

二十二位 モル/も☆ぐら
実はひそかに注目していたのが、ここのも☆ぐら組の激しい順位争いでした。最初はモルが一番だったけど、じりじりと二人に追いかけられて抜かされた印象。
も☆ぐらのモルシナリオは書いてて楽しかったけど、喋らないので面倒くさかったです。やっぱり愛情EDは無理でした。何か喋れ。

二十三位 トカッセ/も☆ぐら
唯一本編に出てこない人(?)トカッセさん。他二人を追い上げましたが、一歩足らず。
個人的には、彼は紳士ですが性質は獣です。そんな思いがも☆ぐらシナリオにはこめられています。たぶん。

二十四位 お休みを与えて/サニャ
膝枕! 膝枕!
そんな思い(あるいは邪念)だけでこのイベントは書かれました。確か。
でも確か膝枕してくれるにも色々と条件を揃えないと駄目だったはず。その辺りにはそう簡単にサニャの膝枕を与えてたまるもんかという思いが詰まっています。

二十五位 エンディング・殺害/グレオニー
本当にグレオニーは性格に反して意外性の人です。エンドのところでも言ったかもしれないけれど、これがそんなに反響を受けるとは思ってませんでした。だからランダム性のある御前試合の結果に発生が依る条件になってる訳で。見られたらラッキーみたいな感じで。
良く考えれば、殺害EDこれしかないんだから、もっと簡単にすべきだったか。でも「どうやって死ぬか」という問いを与えた時に、彼が返してきた答えがこれだけだったから仕方ない。

2011年4月3日(日)

結果所感 その7

近頃のどたばたの中で、「出荷自粛」というのは流通に乗せるのを止めてもらうだけで直接生産者に問い合わせれば売ってもらうのは可能と知り、ちょっと茨城から野菜を取り寄せてみた。

ここのは卵も入ってる。ほうれん草は好物なのでもちろん入れてもらいました。
有機野菜って結構な量を定期的に買うプランしかないのかなと思い込んでいたので、少量で売ってくれるところも多いことを、調べて初めて知りました。収穫。スーパーだと好きな(調理の簡単な)野菜ばっかり買ってしまうから、たまにこういうのは楽しい。
ここ一連の災禍は、大きいことから小さいことまで、自分がどんなに多くの事を知らずに生きてきたのか思い知らせてくれます。世界は広くて難しいな。

さて、今回で最終。
結果所感三十位までです。

二十六位 城下へのお忍び/ローニカ
侍従特権、二人きりデート! ……実際、公式にデートっぽく過ごせるのって侍従組だけじゃなかったっけ。他はお伴とかついてるし。
珍しく城外に出られるイベントでもありますね。この実現までに結構ローニカは苦労していると思われるので(主にリリアノににやにやされるという意味で)、ありがたく楽しんでください。

二十七位 自然の振舞い/グレオニー
うっかりグレオニー嵐を呼ぶ男。
とりあえずグレオニーの外イベントは雨を降らせておけ、という好例。
サニャの敬語ブレイクイベントと比べると重みが少ないのが特徴ですが、彼はこれで良いのです。他のところで重いしね。

二十八位 エンディング・裏切/ユリリエ
キャラ別最下位の陛下が既に出てきていたので、まさかまだ出ていないとは気づきませんでしたユリリエさん! そうか、となると、かなり票が分散したんだな。そして一位が裏切EDとは。
エンド投票所感に書いた通りに、普通に皆と同じように裏切ED書こうとしたら彼女が暴走したので、別に名前とか意図してつけたものではなくフィーリングです。名は体を表すというのか。

二十九位 詩歌披露会/タナッセ
ミーデロン大活躍回(残念な意味で)。
むろんタナッセのために用意したイベントでしたが、いつの間にかサニャも参加してました。さりげなさが可愛い。
庇うのではなく、むしろタナッセをこてんぱんにすると詩人フラグが立つ仕組みなので、一部の人にはたまらないのではないでしょうか。
コメントにもあったけど、地味に分岐が多いですねこれ。詩作の結果とかだけでもかなりある。

三十位 すれ違いの果てに/ヴァイル
辛いイベントがラストに来たなあ。
初期の頃は回復させても放置状態になってしまっていたのは、イベント発生時期をずらしたために調整不足で時間切れみたいな感じだったはず。不足というか、調整忘れといった方が正しいか。
イベントを進める中で、選択としてルージョン登場もありか、と分岐を作りましたが、これ分岐があること知らずに見られる人はいたのだろうか。

以上、簡単ですが、所感終了です。
もっと裏話とかしようと思ったけど、正直あまり覚えていないことに気がついた。そんな春の日。

2011年4月6日(水)

結果所感 ラスト

はははは、前回で終わりだと思ったろう?
だがしかし、今回まであるのです。
何故なら、主人公コンテスト(ではない)の所感があるからです。

正直、参加してくれる方はいるのだろうか、と疑いながら企画しましたが、たくさんのご参加をいただいてありがたい限りです。
思ったより、色々な容姿の主人公がいて楽しかった。結構、髪の色って薄い感じのイメージも多いのですね。逆に黒も多いか。基本的に主要キャラとかぶらない髪色が多いだろうなと思っていました。髪・服のどちらかに赤系が入ってる子が多いのは、「かぶらない」の現れですね。

本編ではまったく容姿の出てこない主人公ですが、自分の中のイメージは……明確なものはないなあ。体型的にヴァイルと同等、ぐらいで。
で、まあちょっと無理だろうと思ってましたが、可能だったらモンタージュ式で主人公作れたら楽しいなと考えてはいました。しかしグラフィックの用意&画面に入れるところがないことにより、やっぱり不可能ですね。システム的にはそんなに難しくないのですが。スチルないし。とはいえ、表情も入れられないから、逆に想像を狭める感じになってしまうか。表情選択とかわざわざさせるのも手間ですし。難しいところです。

あと主人公のデフォ名が「レハト」なのは、「ヴァイル」がドイツ語的響きなのでたぶんバランスをとったんだと思います。おわり。

2011年4月11日(月)

予言してみる

案の定、近頃は地震予言カルトがぽんぽこ生まれてきているようで。何だかなあ、もう。
最近かしましかった人のは先ほど見事外れた様子ですが、どうせ次の手は「明確に断言した数値をごまかす」「具体的に宣言したものを抽象的概念にすり替える」「何らかの意図のもとにわざと外したと言い張る」辺りだろうなあ。
大体、地震なんぞ曖昧な範囲の予測もらっても回避しようがない訳で(元から避難できる状況の人は一時避難しておいた方がいいに決まってる)。どちらにしろ大きな余震を用心しながら日々を過ごすしかない。
・現在地の避難経路を必ず把握する
・崩れやすいなど危険な場所はなるべく回避する
・避難の準備などは万端にしておく
など、地震予知などに惑わされず備えが何より大切だということだけは間違いありませんね。
……まあ、何だ、きっとこれからかの人の元に「選ばれた者たち」が集まってきて共同生活とか始めちゃって、五年後ぐらいに週刊誌に載ったりするんだろうな。このケースのパターンはまずそれ。
あ、これ予言です。

放射性物質に関する「ケガレ思想」もなあ。今まで隠しつつも根っこに脈打ってきたものが明確化してしまった感じで気が重いばかり。
日本の精神文化のかなり基層に根付いているために、ケガレというのはすごく難しい問題で、こればかりは回避が困難すぎる。何か新しい浄化儀式が絶対に必要だ。きっとそれは「カガク的」な衣を纏って表出するのだろうけど。
個人的には「ケガレ」の本質は忌避感情ではなく、むしろ尊崇だと思考しているのですけれど、ここのところ踏み込むのは怖いので大学とかでは触れなかった。
はっきり言ってしまえば「ケガレ=カミ」だと考えてます。異界の力。
その辺りを創作物でどうにか描きたいな。どうやって表すかは、すごく面倒くさい作業になるだろうけれど。

2011年4月15日(金)

ケガレとカミについて 1

前回のケガレの話はもっと煮詰めてから何らかの形で出そうと考えてましたが、話の流れで触れてしまったので、とりあえずここで簡単にですが自分のためのマイルストーンとして考えをまとめておこうと思います。

最初に。「ケガレ=カミ」論は特に自分のユニークな思いつきという訳ではなく、新谷尚紀がそのものずばり「ケガレからカミへ」という著書で書かれています。これを見つけた時、「やっぱりそう考えている派はいたのか」と喜び勇んで読んだのですが、あまり題名のことには踏み込んでいない内容だったなというのが正直なところ。調査されている追いかけ祭はすごく面白かったのですけれど。
そして、今のところこの本以外に「ケガレ=カミ」論に出会ったことがないため、不完全燃焼な感じでずっと抱え続けてきました。学者でもないので、ざっくりとした思いつきレベルでしかありませんが。

まず、「ケガレ」とは何か、という簡単な話から。
民俗学をかじった方はご存知かと思いますが、かつて「ケガレ論争」というものが巻き起こりました。桜井徳太郎と波平恵美子がその主な中心となりましたが、明確な結論はまだ出ていません(というか統一見解が出るものでもないでしょう)。
ハレとケ - Wikipedia
ケガレとは何か。
桜井は「ケ(日常)」のエネルギーが「枯れ」た状態とし、それを取り戻すために「ハレ(祭りなど)」があるといった説。ケ→ケガレ→ハレ→ケという日常のサイクルがあるというものです。
波平はケガレとは何かの移行状態ではなく、「ハレ(清浄)、ケ(世俗)、ケガレ(不浄)」は区分でしかないという説を唱えました。
個人的には波平説に与します。何故ならケガレは「つく」ものであり、「払う」ものであるという事例が多いことから。数々の祭や儀式も「流す」「落とす」を主に据えたものは少なくありません。ハレたる祭にしても「カミから何かを与えてもらう」というよりは、「カミを鎮める」ためのものであるのが本来の在り方のはず。
故、「ケガレ」は「何らかの原因で人につき」、「ハレ」によって「解消される」類の概念である、というのが第一の前提です。

では一体、何が「ケガレ」とされるのか。
「ケガレ」には有名な三つの区分がありまして、それは以下のものです。
黒不浄…死
赤不浄…経血
白不浄…出産
で、この中でまだ弱い不浄は何かというと、実は黒不浄です。仏教だとケガレとして扱わない宗派もありますしね。だから葬式は仏教でやる(というか元々神道は個人に関わる宗教ではないから当たり前なのですが、まあそれは別の話)。
となると、本質的に言えば「ケガレ」というのは女性にまつわるもの、な訳です。別に男女論をぶちたい訳ではないのですが、どうも偏りすぎています。
何よりどうにも解せないのは「白不浄」。
出産は共同体の維持のためには絶対に欠かせず、今も昔も変わらず基本的に喜ばしく歓迎される性質のものであるはず。保護のための隔離がいつの間にかマイナスの意味に転じるのはよくある現象ですが、それだけだとどうも弱い。
では、どうして出産は忌避されるものとなるのか。長くなりすぎたのでそれは次回。

今後は大体、ケガレの性質・聖職の変遷・異界とのつながり・カミの居場所・ハレの役割、みたいな話をして締めたいと思います。
しかし長くなりそうな気もするので、あと二、三回ぐらいかかるかも。

2011年4月18日(月)

ケガレとカミについて 2

さてケガレとカミ話、第二回。
そういえばケガレ論争といえば、波平は「いくら国学からの経緯があるとはいえ、何で民俗学は言葉遊び重視なんじゃい」(ひどい要約)という批判もしていて、それにも結構同意。下手なダジャレかよ、というこじつけも多くて、個人的には同音異義語から意味を探ろうとするのは本質を見逃すことが多いんじゃないかと思ってます。でも気付くとやってしまう言葉の魔力。

さて本題。どうして出産は「不浄」として分類されるのか。
その前に、もう少し「ケガレ」とされるものの性質について、そして何が「ケガレ」とされるのか、詰めていきましょう。ケガレに共通する性質は大体以下の三つが上げられると思います。

【ケガレの性質】
1) 生活の中で「つく」ものである
2) (肉体的/精神的)接触により「うつる」
3) 「はらう」「ながす」などの行為で落とすことができる

日常累積の有無や、うつり方に多少の差異はありますが(例えば憑き物筋は遺伝する)、まあ大体こんなものかと。
で、その特徴は大体以下の二つに分類できます。

【ケガレと見なされるものの特徴】
1) 人の生命力が弱った状態
2) 共同体の外側に属するもの

1が前回触れた「三不浄」で、2が共同体により様々に変化するものになります。後者の例としては、農村だと旅人・猟師・山の民・村の境界外・お金などが上げられますね。自分が桜井論に与しないのも、「気枯れ」だと前者はぴったりですが、後者がうまく説明できないからです。

さて、性質と特徴を見るに、「ケガレ」観に伝染病が大きく寄与していることは間違いないのは誰でもすぐに分かると思います。しかしながら、やっぱりこうまとめても、出産が不浄扱いされる理由はいまいち分かりません。体が弱る=病気と同じ扱いとなり、それがいつしかケガレに移行したのでしょうか? 死に至ることが多かったために、同一視されたのでしょうか?
そうではない、と自分は考えています。死よりも強い禁忌とされた理由はあるはずだと。
もっと言えば、上で特徴を二パターンに分けてみましたが、実はケガレというものは一つに集約できるのではないのでしょうか。

すなわち、2)の共同体の外側に属するもの、言い換えれば「異界に属する力」こそがケガレの正体ではないのか、それが結論です。

何だかすごく長くなりそうな予感を覚えつつ続く。

【おまけ うんこのはなし】
ご不浄といえば=うんこですよね。三不浄の中には含まれてませんが、無理に分ければ黒か赤なのかなあ。ひょっとして白かもしれない、出る場所的に。
そういえば、説明してませんでしたが、「ケガレ→カミ」の移行はごく普通の民俗現象です。有名なのはえびすさんとかね。ただし自分は「ケガレ=カミ」なので、ちょっとずれるのです。今しているのはそこのお話。
で、うんこも実は有名な話で価値あるものに化けたりします。厠神と思った人もいるかもしれませんが、あれは別にうんこの化身ではないです。たぶん。
その有名な話とは「大歳の客」と呼ばれるタイプの話です。
おおみそか、貧乏な人のところに、みすぼらしい客人(六部だったり乞食だったり)が訪れる。貧乏な人は親切なので、炉端で一夜を過ごすことを許してあげる。しかし客人はそこで死んでしまったり、恩知らずにも囲炉裏の中にうんこをして去っていったりする。しかし死体/うんこは何と黄金になっていた。みたいな話です。最初から棺桶(しかし中は黄金)が運び込まれるバージョンもあります。
「大歳の客」は小松和彦「異人論」に詳しいので、興味ある方はどうぞ。こんな牧歌的(?)な話ではなく異人殺しがメインですが。

2011年4月21日(木)

ケガレとカミについて 3

ケガレとカミ話、第三回。
赤ちゃんはどこから来るの回。

そんな訳で、「ケガレ=異界の力」論を前回ぶちました。では、それと出産はどうつながってくるのか。
「オシチヤ」でもモチーフにしましたが、それは人がどこから来てどこへ帰るかという問題に行き着きます。人それぞれ主張があるでしょうが、とりあえず最大公約数的に「あの世から来てあの世に帰る」と表しておきます。
さて、人は死ぬ時は一人です。とりあえず。けれど生まれる時は絶対に一人ではありません。つまり母親とは、もっと言えば妊娠する可能性のある女はすべて「異界につながる装置」なのです。

ここで少し「カミ」の方に話を移します。
「カミ」とは何でしょうか?
自然崇拝・災害の擬人化・英雄崇拝……色々ありますが、結局のところ「外つ国の力」に集約されると自分は考えています。
そう言われるとぴんと来ない人も多いかと思いますが、では普段カミがどこにいると考えられていたか、ご存知でしょうか。
神社、と答えた方は不正解です。いまやそういう解釈になってしまっていますが、神社は元々カミの住処などではないのです。そこにカミはいません。何故ならカミはハレの時に「呼ぶ」ものだからです。元より原始神道には神事の建物などなく、祭のたびに祭祀場を卜定したといいます。故、どんなに本殿が立派だろうとも、伊勢神宮で最も重要なものはカミを降ろす場、「心御柱」なのです。
しかし仏教の影響もあってか、カミにも社殿が建てられ始めます。形が出来てしまえば、人の認識はそれに縛られるのが習いです。大体、いちいち呼び出すのは面倒ですし。
そんなこんなで、カミは神社という場に縛られることになったのです。

カミとは外から訪れる大きな力であり、人の手に負える代物ではありません。ですから、ハレの時のみ寄っていただき、事が終わればすぐに帰っていただく、それが人とカミとの本来の付き合い方でした。
そして、付き合い方を間違えると、ご存知の通りカミは祟ります。疱瘡神などの事例を引くまでもなく、病はまたカミでもあります。力は良い方にも悪い方にも働き、従いカミとケガレは表裏、混じり合った存在なのです。

では、何故「カミ」は「ケガレ」を嫌う、ということになっているのか。
女性と聖職の歴史など踏まえながら、次回推察していく予定です。次回か次々回で終わるつもり。

【追記】
カミは神社にいなかったがいつの間にか常駐しているように扱われ始めた、という話は確か「定本 柳田國男集」で呼んだのですが、どの話かすっかり忘れました。神社に投げるのは元々金ではなくて米でしたよ、という話だったはず。疑問のある方は自分のあやふやな解釈よりそっち当たった方が確実なので、是非探してみてください。今、目次を見て確認してみたのですが、たぶん10巻のどれか。「祭場の標示」か? この巻は有名な「先祖の話」とか入っているので全部読んでおくのお勧め。
「カミ」は共同体の中だけのものだったのに、お伊勢参りなどの観光ブームで外に開かれたものに変化していった、ってのも同じ巻の中だったっけか。「参詣と参拝」かな。随分記憶が曖昧。

2011年4月23日(土)

ケガレとカミについて 4

ケガレとカミ話、第四回。
神職と女とカミと。

さて、前段で自分の考え方の前提が出揃いました。
即ち、女がケガレとされるのは「異界につながる装置」としての役割から。
そして、ケガレもカミも「外から来た大きな力」としての同質の存在だということ。
それでは、どうして「カミ」は「ケガレ」を嫌うとされているのか。そこに踏み込んでいきます。

元々が同質ならば、「カミ」と「ケガレ」はいかにして分かれたか。それは女とカミが切り離されたから、ではないでしょうか。
洋の東西を問わず、古来の宗教形態では女性が宗教的指導者となるケースは少なくありません。しかし、時代が進んで宗教が教団化していくと、次第に組織から弾きだされて主体ではなく補助者的な役割に落ち着いていきます。
これは、女性の形質的に「憑依型」が向いているせいがたぶんあるのでしょう。組織は大きくなればなるほど個人の資質に負う部分をそぎ落としていかなくてはならないため、「憑依型」はカリスマとして崇められても人々の規範にはなりえないのです。
日本でもその流れは例外ではなく、例えば明治の法令によって、神職につけるのは男子のみとされていました(現在は女性も可)。ではその前はどうだったかというと、女性聖職者は存在しましたが、やはり例外的な扱いだったはず。まあ、明治にて国家神道として再編されるまでは、「おらが神様」の乱立状態で仏教とも入り混じり、混沌もいいところでしたし。それを無理やりランク付けして名前統一して祭儀も統一してしまったために、失われてしまったものは多く、実質は分からないことが多いです。
閑話休題。では、もっと古い形態の神道祭祀は残っていないかというと、古い形を残しているのではないかと言われているものがあります。沖縄の祭祀形態です。
知っている方は多いと思いますが、沖縄の祭祀においては霊的指導者は女性であり、霊場であるウタキを管理するのはノロと呼ばれる公的な女性祭司です。男性が世俗を司り、女性がその霊的守護者となる、というのが基本的形態になっています。いわゆる「妹の力」ですね。彼女らはやはり「憑依型」の神職であり、カミからの指名によりその任につくとされていることからも、その傾向が読み取れます。

つまるところ、生命を宿し産み落とす女性が地母神の祭司となるのはごく当然の成り行きだった訳です。しかし、その役割は様々な理由で徐々に奪い取られていった。とはいえ、霊力の源である「産む力」がなくなる訳ではなく、ここで大きな矛盾をカミの構造は抱えることになったのです。
システムに組み入れられない、制御できない力は調伏すべき「悪」となるのがこの世の習わしですが、出産は社会を維持するために必要不可欠なもの、そのジレンマにより「ケガレ」という非常に中途半端な位置づけをせざるをえなかった、それがケガレの構造の一つなのではないでしょうか。

次回で終わり。幾つかの仮説と、ケガレとハラエの対比など。

【おまけ】
公式の宗教行事から追い払われた女性達がどこへ行ったかといえば、それは当然民間の宗教者となります(日本だと歩き巫女とかイタコとか)。また、古いタイプの地母神信仰だと巫女は娼婦を兼ねていたりして、その名残があるといわゆる「淫祠邪教」扱いを受けたりしますね。
西洋にていわゆる土着信仰による農耕儀礼がどのように行われ、後に悪魔信仰として糾弾されたか、という話を扱った「ベナンダンティ」という本は非常に面白いので一読をお勧めします。

2011年4月27日(水)

ケガレとカミについて 最終回

長々と失礼しましたが、今回で終わりです。
ケガレとカミが同質ならば、どうしてカミがケガレを嫌うとされているのか、幾つかの仮説。結構適当めに。

【喧嘩する説】
同じ外からの力とはいえ、全くの同質ではないと見なされるだろうから、ゴジラvsモスラみたいに戦いが始まってしまうのでケガレはカミに近づかせないよ説

【帰っちゃうよ説】
ケガレが異界とつながった状態ならば、その状態のままカミに近づくと、そこからカミが戻ってしまう。カミが「呼ぶ」ものでなく神社に「いる」ものとなったことと、つまり「呼ぶ」のに最適な憑依系の女がカミと切り離された時期が一致するだろうことを考えるとちょっと面白い説

【強くなりすぎちゃうよ説】
カミとケガレが融合して何かすごく強くなっちゃって制御できなくなっちゃうから近づけると危ないよ説

個人的には「帰っちゃうよ説」が本命なのですが、まあこの辺りはこじつけかな。

あとカミとケガレ(出産)の対応というものが幾つかあって、まず一つは言葉。前にダジャレとか言ってしまった手前あれですが、例えば「参道(産道)」と「宮(子宮)」。
もうひとつ、ケガレを落とすハラエの儀式のことにも触れると、中でも多いのが「水に流す」というもの。そして水と出産は深いつながりを持っています。破水や、植物を育てるのに水が必要など、生命の誕生と水は切り離せないものなので。水によってこの世界にやってきたものは、水によって異界に戻る、それが理という訳です。桃太郎を筆頭に、各種おとぎ話でも色々と思い当たる場面がありますね。

そんな訳で、現時点でのケガレ=カミ説の諸々をまとめてみました。こうやって書き出してみると、まだ色々と詰めが甘いところが多いなと気づくこと多し。
個人的にはなかなか有意義でした。
では、長い間おつきあいありがとうございました。次回から通常営業に戻ります。これも通常営業の内のような気もしますが。

2011年4月30日(土)

Akiary v.0.51