Writer:Oumi

過去録

パンデミック ver1.16

変異種ルール導入時に起こるバグをご指摘いただいたので、修正してパンデミックのverを上げました。拡張版のルールは組み合わせのケースが多く、検証が洩れてる可能性が多大なので見つけてくださると本当に助かります。ありがとうございました。
しかしこんなに面倒くさい実装良くやってたな、当時の自分。自画自賛。というよりも、何か大きなミスをしてそうで怖いのが先に立つ。

そういえばずっと前になってしまうのですが、教えていただいた「ゼロの怪物ヌル」を借りて読み直しました。そうか、こういうオチだったのか。それは覚えていないかもしれない。
それにしてもかなり本格的なDNAの解説つきだった。しかし起こる事件はあんなの、というギャップが愉快なところなのかもしれない。
昔の子ども向けの本って、何だか独特の文体の雰囲気があって素敵ですよね。似たようなタイプの作品で、筒井康隆「緑魔の町」は大人になってから読んだのですが、言い回しのせいか全てがつのだじろうの絵で再生されて、色んな意味で大変面白かったです。
うしろの百太郎とかひどいよね。あのオチ。面白すぎる。大好き。まあこれも大人になってから読んだので、子どもの時だと嫌な不気味さを感じて怖かったかもしれない。不条理さかげんが。

2011年5月4日(水)

ちょっとドイツ行ってくる

まあ色々思うところはありますが、全ての手配を震災前に終えていたこともあって、予定通りちょっと出かけてきます。
そんな訳でしばらく留守します。もし出来たら、Twitterの方で何かくだらないことを書くかもしれません。
ここだと書くまでに色々手順がいるし、写真なんかは気軽に載せられないので。
でもわざわざ海外パケ放題とか使う気はないので、ホテルなんかで無料Wifiが使えるところぐらいかな。前半ホテルは無料じゃないので、日本出たら後半までだんまりかと。
城に泊まるので、資料写真がたくさん撮れるといいな。あとボードゲームを買うよ。買えれば。

そして、ヘルシンキで連れと合流するまでは一人飛行機のため、ゲーム選定に余念がなかった。
ボタン音がうるさいし「いてっ」とか「ひどっ」とか口走ってしまうので、モンハン3は×。
ダンガンロンパは最有力候補だったけど、体験版をやってみたら音ゲー要素が結構あって、これもボタン音の関係で×。
何かあった時、即座に止められるものが良いので(スリープはあるけど)アクション系は×。
そんな検討の結果、「タクティクスオウガ」に決定しました。……実はやったことなかった。いつかやりたいソフトのままで、機会を逃し続けていた。やれば絶対面白いし性に合うだろうと分かっていながら。そういうのってあるよね。
とりあえず「僕にこの手を汚せというのか」とかぼちゃ魔女しか知識はありません。
念のためのサブはADVで絞って「銃声とダイヤモンド」です。まあオウガだけで時間は過ぎるだろうけども。

そうそう、この日までにクリアしたいと思っていた、2ndGの村クエは無事昨日最終依頼を終えてエンドロール見ました。
一ヶ月ぐらいやる気が失せてこのままFOかと思っていたけど、これで一息ついた。まあ集会所G級は……いいかな。一人で固いの辛い。
防御捨てて走り回って逃げまくる戦法なので、何よりティガレックス二頭が辛かった。辛すぎた。ティガ苦手。

そんなこんなで行ってきます。

2011年5月5日(木)

ドイツ北上行1

ご無沙汰しておりました。
何というトラブルもなく、無事に戻ってまいりました。
ドイツはとにかく暑かった。直前の天気が最高気温10度ぐらいまで下がってて、これはまずいと厚着を持っていったら、むしろ夏の服装でも良かったぐらいに。でも朝は冷え込む。というか気温の変化が激しかった。何故か太陽の光が一番突き刺さるのが17-18時ぐらいだという。でも太陽が沈むのが21時なことを考えると、日本の14時ぐらいに相当するのだろうか。太陽の位置は低いけど。

今回の旅程は、他人の希望するルートを受け取って具体的プランを自分が練るというものだったので、大枠は変更できずにその周辺で自分の希望する場所を付け加えるといった感じでした。
そのルートはフランクフルト→リューベック→ベルリンの北上行。
そして、自分が希望したのは古城ホテルでの宿泊です。ホテル探しも自分なので、FAXやTELを使わず、ネットで予約できるところを。
で、泊まったのがこの二つ。


トレンデルブルク城。いかにもな中世の山城。「ラプンツェル」グリム初版本の挿絵のモデルになったところ。

ツェツィーリエンホーフ宮殿。ポツダム会談が開催された英国荘園風の宮殿。古城といえどもごく新しく20世紀の建築。

どちらも「古城ホテル」という言葉で喚起されるイメージとはちょっと離れてますが、それぞれ面白かったです。
というか、フランスのシャトーホテルはともかく、ドイツの古城ホテルは本当に古城なところが多いからなあ。自分はそっちの方が嬉しいけど。

さて、今日はもう眠いのでここまで。
またこの辺りは詳しく書くかもしれませんが、次回はとりあえずドイツの動物。

2011年5月13日(金)

ドイツ北上行2

タクティクスオウガはようやく一章終わりました。
色々フラグをばっきばきに折っている予感を抱きつつ、一応善人ルートなのかな、これは。素直に選んでいくと非常に玉虫色の対応になる半端な人生。一応視野の狭いお子様から始めるロールプレイ。なのかもしれない。
そして、vs死者のところは無視しても良いからあの難易度なのか。無理無理クリアしてしまった。

さて、予告通りに2はドイツ動物話。
とはいっても、かなり想像を覆された結果でした。
だって、ドイツ=森林が国土のかなりを占める森の国のイメージではないですか。昨今は環境破壊が進んでいるとはいえ、まだまだ生い茂っているではないですか。行くところはほぼ街とはいえ、ロンドンは街中の公園にリスやら雁やらがうろうろしていて、餌くれ餌くれって寄ってくるのが日常じゃないですか。日本だってちょっと郊外いけばタヌキやらサルやらイタチやら鹿に遭遇するじゃないですか。
見なかった。そんな大型の生き物。哺乳類はウサギを除いて野生は皆無。
その代わりいたのは大量の小鳥。うるさいうるさい。しかし大型の鳥はいないのです。皆、小さいのです(カラスさえも)。
そして、餌をねだってくるのはスズメとハト以外にはいない。野生は野生、人間とは交わらないぜ、という姿勢を貫かれました。
何より本当に一度も(いけす・水槽を除いて)魚を見かけなかったのがおかしい。水辺にはたくさん行ったのに、どこも茶色く濁っていて生き物の影がない。色は土質のせいもあるのでしょうが、小魚すら見当たらなかった。鳥が狩りをしていたので、いるはいるはずなのだけど。

しかし、どこに行っても見かけた動物もいる。犬。ドイツではかなりの数の食堂やホテルで犬はOKなのです。皆、犬連れで楽しんでます。リードなしで、飼い主の後をちょこちょこついていく小型犬も多いです。可愛い。さすがイギリスと並ぶ犬王国(イメージ)。犬アレルギーには地獄の国ですね。
逆にネコはほぼ見なかった。都会では家の中のみで飼っているのでしょう、きっと。唯一トレンデルブルクではたくさんの飼い猫が気ままに散歩してました。

後は写真。


都会フランクフルトの金融街ど真ん中に生息する野生のウサギ。何かをもぐもぐしていた。


パイから飛び出してくる奴です。ワイン畑を飛び回っていた。


トレンデルブルクの散歩ネコ。「撫でてもいいのよ」と嫌々ながら触らせてくれた。でぶだったので、妊娠中かもしれない。


何カモかは知らないけど、小さなカモは良くいた。カモメもいた。が、大きな雁はいないので物足りない。


これはカラスか否かという物議を醸した謎のツートン。顔はカラス、鳴き声はカラス、歩き方はカラス? どうやら亜種でカラスに入れるか怪しい奴らしい。


何ガモかさらに分からない。ずっと茂みにじっとしていたので、たぶん抱卵中か? 側でオス?が餌取ってました。


ツェツェーリエンホフ宮殿に飛び交っていたツバメ。宮殿の壁の穴に巣を作っている様子。見張りか。

ところで、コーギーみたいな小型犬だけどちょっと違うあれは何だろう、と前を走る犬をひそひそ見ていたところ、飼い主さんから「リバードッグ!」という声が飛びましたが、結局何の種類か分からなかったというか犬種名なのかこれは。泳ぐ犬というだけなのか。名前なのか。「リバードッグ?」って聞き返したら、「ヤ!」と返ってきたので聞き間違いではないはず……。ドイツ犬難シイネ。

2011年5月15日(日)

ドイツ北上行3

前回の写真で、カラスをコクマルガラスだと書いていたのですが、あれから色々調べたところ、どうもヨーロッパにいるニシコクマルガラスだと大きさと瞳が異なるっぽい。ということで再調査して、たぶんハイイロガラスの方かなと当たりをつけました。修正しておきます。ドイツ鳥難シイネ。

今回は何にしようかと思ったけど、ドイツの食べ物。
ビールとソーセージとジャガイモ、というのが一般的なイメージかと思われますが、まあそんなものです。
全体的に余計な味付けがないので「食べられない」ってことは全然ありませんでした。大体が素材の味でおいしかったです。フランスやイタリアのソース系料理が好きな人は物足りないかも。
まあしかし、バリエーションは肉魚芋みたいな感じなので、飽きることは飽きる。サラダを食べても野菜分というか繊維質が圧倒的に足りない。
そんな訳で、二度ほどイタリア系にも行ったし、アジアンヌードルの塩焼きそばなランチボックスも食べました。どれもなかなか美味しかったのですが……問題は量。ヨーロッパはどこでもそうだけど多い。二人で一つが適量。
そんな訳で、ちゃんとしたレストランにはほぼ入らず、オープンエア系のところでシェアしながら食事をすることが多かったです。

さて、今のドイツの旬はというと、シュパーゲル(白アスパラ)と苺。
これは絶対食べるぞと意気込んでいたので、最初のライン川、リューデスハイムで看板を見て即いただきました。ここのレストランが当たりで、旬の味を堪能。惜しむらくは、白アスパラガスのクリームスープを飲み逃したこと。すごくおいしかったらしい。飲みたかった。その後、レーマー広場で飲んだジャガイモのスープは酸っぱくて外れだったので余計。まずくはなかったけど。
後にベルリンのホテルはキッチン付きだったので、白アスパラを買ってきて茹でて食べたけどこれもシンプルで美味しかった。旬に勝る調味料なしか。苺もその時食べましたが、酸味のある感じでした。日本のはべた甘だからなあ。

後は飲み物。
まあビールですよね。自分はビールが苦手なので、もっぱらワインでしたが。
しかしベルリナーヴァイセというシロップ入りのビールには挑戦してみましたが、何とも言い難い味でした。かき氷のシロップ入り後味ビールみたいな。
後はコーヒー系。やっぱりイタリアンコーヒー最強。どこいってもそれです。世界でイタリア系に浸食されていないところってあるんだろうか。ところで自分は知らなかったのですが、ラテマキアートってガラスコップで出されるのが正式なのでしょうか。どこでもそうだった、というか持ち手があるならともかく、すとんとした普通のグラスで熱いのを出されるので最初戸惑ったよ。アイスかと思った。もちろんアイスコーヒーなどメニューにないので、そんな訳ないのですけど。暑い時にはそれが困りもので、甘くない冷たいものがアルコール除けば水ぐらいしかないという……。アイスティーは存在するみたいなんだが。

いい加減長くなるので今日はここまで。
あまり食べ物の写真を撮らないので数がないのですが、白アスパラは撮っておけば良かったな。


ドイツ名物Eisbein(豚塩漬け肉煮込み)とビール奥にあるのがシュニッツェル。手前にあるワインはEiswein。ややこしい。
アイスバインはこの写真だとそんなに大きくないように見えるけど、実際は子どもの頭ぐらいあって笑った。


上のメニューはポツダム郊外のMEIEREI醸造所でいただきました。


トレンデルブルク城のウェルカムケーキ。ただ、残念ながらお腹いっぱいで食べられませんでした。





トレンデルブルク城の朝食。朝食の中で一番豪華だったのはここで間違いない。品目を示す紙にそれぞれキャラクターが描かれているけれど、何故か一つだけディズニーのピノキオが混じっていた。何故。

2011年5月17日(火)

ドイツ北上行4

最初に書き始めた時はそんなに書くこともないかなと思ったけど、何だかいっぱい書くことあるみたい。ということで、備忘録代わりにしばらくお付き合いください。
今回はドイツの企業の話。

ドイツはもちろん色々な世界的企業を有している国ですが、思ってもみなかった企業がドイツ発祥だったという発見がこの旅で幾つかありました。
まず、フランクフルトの駅で降りてすぐに目に飛び込んできた看板、Braun。そうシェーバーのです。改めて考えれば、Brownじゃない。ドイツ語綴りだ。そうか、ドイツだったのね。
もう一つ驚いたのがNIVEA。ドイツだったのか……。すっかり花王の商品ライン名だと。ベルリンの目抜き通りにアンテナショップがあるとのガイドブック情報で気づかされました。
あと、やたらESPRITの勢力が強いなあと感じました。デパートでも路面店でも。名前がフランス語なので、アメリカか日本だと思っていたら、ドイツだったのか。まあ服屋で一番見かけたチェーンはH&Mでしたけども。これはどこ発祥だっけ、と調べたらスウェーデンなのですね。

逆に騙されたのがハーゲンダッツ。フランクフルトの駅構内で見かけて「あ、そうか、名前からしてドイツだ。本場本場」とか喜んでいたら、アメリカ企業だったぜ……。意図してつけられた嘘ヨーロッパ語調に騙されたぜ……。二回も食べちゃったぜ……。マンゴーソルベおいしかったからいいけど。
ちなみにドイツのハーゲンダッツはイタリアコーヒーブランドのillyと提携しているらしく、どこでもコーヒーも飲めます。調べてみたら一応日本でも提携してるのか。あちらは分かりやすくillyのロゴがはっきりついてたからなあ。

さて、ドイツで誰もが思い浮かべる有名なものといえば、調理器具やテーブルウェアだと思います。やっぱりデパートとか行くと充実度がすごいです。WMFとかヘンケルとかFislerとかもう様々。単機能の道具もたくさんあって、「これは単機能すぎるだろ」と強く思ったのは「白アスパラピーラー」と「苺のヘタ取り器」です……。ペティナイフでやれ。あ、業務用なのかな。家庭用品店だったけど。
そんな中、もちろんナイフ類も用途別に豊富に取り揃えてあるのですが、混じる日本製包丁。もちろん高級品の証、ガラスケースの中でした。日本刀を思わせるくっきりした刃紋はさすがの美しさだったな。見たのは貝印が海外のみで販売してる「旬」って奴みたいです。

あとドイツの産物といえば、自分にとってはこれを目当てに行ったボードゲーム。あまり自由時間が取れなかったので、見られたのはデパート二つ(カウフホーフ&Kadewe)だけだったのですが、流石の豊富さ。まあ子ども用が多いのですけど、それでもどちらも一コーナー(棚十個分ぐらい)はあったからなあ。結局買ったのはケルト・カルカソンヌ・ラミィキューブ・カタンダイスというドイツ大賞ものばかりな冒険心のなさでした。Dixit2がなあ。カウフホーフの方は1が見本に広げてあって期待したのになかった。
実はもっとマニアックそうなゲーム専門店の前を通りがかったのですよ。ディスプレイに思い切りゲームが飾ってあって。でも、その時は遊覧船の時間が迫っていたので覗けなかった。無念。ベルリンのアレクサンダープラッツのこの辺りにあったので、行く機会のある人是非。


ドイツ人大好きマジパン屋さん。

2011年5月19日(木)

ドイツ北上行5

今回はそんなに田舎に行った訳でもなくほぼ都市にいたので、現代の建物もそれなりに見ました。
そこで今回は現代建築編。

まあ、一言で言うなら、ガラス張りすぎ。
何だあの全面ガラス張り建物の多さは。新しければ新しいほどその傾向。ベルリンで遊覧船に乗り、博物館島から政府関係の建物までのコースを行ったのですが、もう後者はガラスガラスガラス。中は丸見え。
かの有名な国会議事堂のドームなんて序の口だった。ちなみにそのドームは今は事前予約が必要なのですが、どうも議会中だったようで予約設定がありませんでした。残念。
話を戻して、確かにガラス張りの吹き抜けは綺麗です。結構好きな建物タイプです。でも、あまりの多さに「北国だから日の光が貴重」とかいうレベルじゃない異様さが。偏見かもしれないけれど、やっぱり東ドイツのイメージ払拭はあるのかな、と思ってしまいます。クリーンで隠し事なく透明です、みたいな。後に書く予定ですが、博物館・美術館・大聖堂もちょっとイギリス・日本と比べて違和感がありました。

まあ、それとは関係なく単にガラス好きなだけだとも思いますけど。ベルリンではアパートメントホテルに泊まったのですが、そこのオフィスも壁一面窓で、しかも東向きで朝日がもろに差し込んで灼熱地獄と化してました。お兄さんはあそこで仕事して熱中症にならないのだろうか。
そうです、やたら晴天に恵まれたせいか、ドイツは地獄の暑さだったのです。朝方は寒いけれど、日中〜夕方は夏服でいけました。ドイツ人どもは上半身裸になって、ビーチバレーや日光浴をエンジョイしてました。もちろんビーチといっても、北方にしか海のないドイツ、川の横に作られた偽ビーチです。……何かそれが微妙にチープな造りでもの悲しかったのが印象的。だってすぐ隣に鉄道の高架があるし。日本も人のことは言えないようなスポットがいっぱいある気もするのは置いておく。

さて、ドイツといえば、バウハウスなどで建築デザインの評価も高いと思いますが、個人的感覚からいうと、近代ビルのセンスとかもイギリスの方が性に合ってる気がしてならない。確かに曲線を多用した造りとかは面白いと思うのだけど、遊び心が少ないか何かずれてる感じが。よく言われる生真面目……ともどうも違うんだなあ、ドイツの印象。
あ、遊び心といえば、どうしてドイツ人は屋根の上に変なオブジェを置きまくるのですか。特にディフォルメきかせた人形系オブジェが多い。結構好きだけどあれ、時たまびっくりする。
まあ、今回はあまり近代建築関係は気合い入れて見てないので(バウハウスも見てない)、結論は保留します。

近代系もあまり写真撮ってなかった。オブジェとか撮っておけば良かった。



全面ガラス張り大好きドイツ人。正直ちょっと異様です。



これらは遊覧船から見たのですが、どう考えても上階のガラス張りの通路を歩くミニスカートの女の人のパンツが見えると思います。ありがとうございました。



これは是非実際に見てもらいたい。写真と実際では全然印象が違うと思うので。戦慄します。それにしても隣の高級ホテルの窓からこの風景ってどうなんだ。

2011年5月21日(土)

ドイツ北上行6

準備が終わったので、こちらの旅行記?が終わるのを待たずに素材ページに今回の写真を上げました。太陽が眩しすぎて遠景が露出しすぎてしまっていたり(特にライン川)、同じような写真が何枚も続いたり、分類するのが難しくてかなり適当に分けてしまったりしていますが、何かに使えたら使ってやってください。おっぱいもろ出し装飾とか。何であんな出し方をしているのか。しかもあるのが市庁舎。

さて今回は少し触れた美術館・博物館・教会系の展示物の話をしようかと。
とはいえ、今回は街歩きがメインだったので、教会はともかく博物館系の箱物展示はあまり見ていないのですが。ベルリンの絵画館とペルガモン博物館ぐらいか。で、どちらも何かこう言っては申し訳ないのだけれど、肌に合わない博物館だったのです。
もちろん所蔵物は素晴らしいに決まっていて、量も凄い。どちらも一流のものがごく間近で見られます。
でも箱がそぐわない印象を受けるのです。どうにも無機質というか、空間の演出に欠けているというか。場に満ちているものが感じられない。
絵画館など科学的手法展示とやららしく、確かに小部屋が延々と連続する造りは初めて見ましたが。きっともっと美術に詳しければ感心する手法なのかもしれない。あと、単純に量が多すぎて途中で飽きたってこともあるし。
ペルガモンは、せっかくのあれだけの規模の遺跡、もうちょっと演出して置くことは出来なかったのかと思うばかり。大祭壇もイシュタルの門も何かのっぺりとした白い壁の前にただ置いてある、という感じで。こんな感じ。正直、目玉のはずの一階はほとんどがハズレでした、自分の感覚では。その代わり、二階のイスラム展示が良かった。あれでかなり気分が持ち直し、博物館に来たなー、という心持ちで出ることが出来ました。

前回と合わせると、少なくとも近代的な建物に関しては断然イギリスびいきだ、自分は。イギリスではたくさんの博物館を見ましたが、こういうハズレ感はまずなかった。
そしてセンス的な問題だけでなく、もっと実際的な問題が上記二つの博物館にはありまして、すごく不親切だったのです。建築デザインのドイツだもの、ドイツ語は分からなくても洗練されたピクトグラムや通路順の案内などがあるよね、という思い込みは見事に打ち砕かれました。
というか、絵画館なんてチケットブース周辺に館内案内図がない。パンフもない。案内表示もない。どこから展示室に入ればいいのか分からない(メイン展示室の入口がすごい隅の方にさりげなくある)。後、ドイツ工事多すぎ。道を歩いていても、教会や美術館に入ってもとにかく工事にぶつからないことがない。
ペルガモンはチケットブースの先に地図パンフはあったものの、何か荒れてて英語版が品切れという有様。音声ガイドは日本語版あるというのに、パンフの日本語版はなく仕方がないのでドイツ語版。音声ガイドでは道案内にならんのです。
展示も順路が親切に示されている訳でないため、部屋番号順に見ればいいのかもしれないけど、部屋番号もすごくさりげなくしか書いてないという。
文句ばかりですが、本当どうなんだこれは、と疲れてしまいました。
厳格で規則に厳しく几帳面なドイツ人、という一般的なイメージはあくまで「ヨーロッパの中で」の相対的なものなのかもな、と思わざるをえない。駅のエスカレーターとか平気で故障したまま放置されてたりするしね……。
あ、でも基本的に旅行者に親切、というのは本当です。良い人たちばかりでしたよ。

そうそう、絵画館の後に近くのベルリン・フィルで無料コンサートを聴きましたが、これは素晴らしかったです。ランチコンサートといって、週一回ホワイエ(ロビー)を解放して誰でも気軽に聞きに来て、という催しなのですが、すごくたくさんの人が集まって音楽を楽しむ様は、クラシック文化が根付いているのを感じさせられました。色んな人がいたしね。皆で床に座って聞くような肩肘張らない形式です。あまりに満員なので写真を撮るのは気が引けたのですが、一枚ぐらい撮っておけば良かったな、これも。

あと、ライン川沿いのリューデスハイムで「拷問博物館」を見つけてしまったのですが、時間が少なくて入れませんでした。あれは今でも惜しまれます。ローテンブルクの方は有名ですよね。しかし「Torture」って単語だけで「拷問博物館だ!」とすぐ分かる自分もどうかと思う。


初日にホテルでこの消火栓を見つけた時は「さすがドイツだな、洗練されてる」と思ったものだった。

さて話は尽きませんが、そろそろお城の詳しい話をして終わりましょうか。

2011年5月22日(日)

ドイツ北上行7

後は城の話をして終わりにしようとか言っておいて何ですが、前回に含めるつもりだった教会・聖堂関係の話をすっかり忘れていたあげく、いくつか抜け落ちたところもあったので、今回はそれらを含めて+素材に映っている変な小物なんかの補足系を書こうと思います。
その後、泊まった城の話を各一回して、街の話をして終わりな感じのロードマップで。

まずフリー素材の撮影場所のtitleについて。変な感じに英語ドイツ語入り混じっている(しかもウムラウトは消えている)のはご勘弁ください。統一するのが面倒くさい&全部英語にしてしまうと逆に分かりにくいといった理由です。主に前者。

では、前回分で抜け落ちたところの補足。
まずベルリン・フィルの状況をもうちょっと詳しく書いておくか。自分たちは大体三十分前ぐらいに着いたのですが、ほとんど良い場所は取られていた状態でした。良い場所というのは、階段とか正面とかの座れるところです。床です。椅子席は有料なのかな。てっきり予約席かと思ってスルーしたのですが、最後まで埋まってませんでした。だったらいくらか払っても良かったかも。
入口で、まず小さな緑のチップを渡されます。で、それを十歩ほど歩いたカウンターで回収されます。この制度の意味が良く分からなかったのですが、人数カウントなのかな? 回収と同時にペラのプログラムもくれました。
中は本当にカオスです。若い白人が多目ですけど、老夫婦もたくさんいるし、アラブ人らしき人が演奏中何だかうろうろしてました。床に完全に横になって寝る体勢の人もいます。警備員や係員が一応見回って、邪魔な人は注意してましたが。
自分たちは二回のバルコニーにもたれて座りながら聞いたのですが、やけに隣のスペイン人(?)老婦人がこちらを気にしてるなと思ったら、どうもプログラムを入手できなかったらしい。「見せてくれない?」的にお願いされたので、「どうぞ。他にもありますから」的なニュアンスで匂わせて、それはさしあげました。
その日の演奏はバイオリン中心で、アンコールまでありましたよ。ベルリンに行く機会があったらこれも是非行くと良いと思います。

次が書き漏らした聖堂の話。
何が書きたかったかというと、ベルリンの教会や大聖堂がどうも自分の見てきた「教会」のイメージとはかけ離れててちょっと考えてしまったからです。
ベルリンではカイザー・ヴィルヘルム記念教会とベルリン大聖堂を見た訳ですが、どちらも大空襲でひどい損害を受けた場所です。大聖堂は煤けてますし、カイザーの方は崩れかけてるのが売りです。今はその補強工事のために全部覆ってあって見られなかったのですが。で、どちらもさすがに中は改修されていて新しい訳で、その新しさが違和感の元なんだろうなと。

まずはカイザー・ヴィルヘルム記念教会。
まあこれはこんなですから。

斬新だけど、これはありだなと思います。祈りの場としては落ち着かない気もするけど。
入口で「一ユーロ寄付してくれたらりんご一個どうぞ」みたいなことをやっていて、面白いから寄付して欧米人みたくかじって歩いていたら、中からすごい小さな芋虫が出てきたので捨てた思い出。

で、どうももぞもぞするのがベルリン大聖堂です。
観光の目玉だけあって中は立派だし綺麗です。しかし何か妙だと感じてしまう。何故だろうと思ったら、イエス像や十字架があるべきところに「絵」があるからだと気づきました。しかも絵画館で飽きるほど見たタイプのひどく近代的な写実系。

寡聞にして自分はこういうタイプの聖堂を他に知らない。これはステンドグラスタイプですが、小礼拝堂の方はそれこそまさに額縁に入った絵が正面に据え付けられてました。
良い悪いじゃなくて、ホーエンツォルレン家はこういうセンスの持ち主なんだなと感じ入ってしまいました。正直に言えば、あまり好みじゃない。たぶん先回から書いているイマイチ感はそこから来ている気がします。名前も言いにくいし。関係ないか。
で、この聖堂、入ったはいいけど出るには決められた順路、地下墓地とお土産屋を通らないと出してもらえない。そこも何か散文的な造りで……基本的に自分は地下墓地は好きなのに雰囲気がないし、お土産屋はせっかく聖堂なんだから教会的なものを置いてあれば良いのにごく普通のベルリン土産屋でかなりの減点だったこともあったり。どうも全般的に「信仰の場」の空気がないんだよなあ、この空間。東ドイツだったせいだろうか。
祈りの場の空間として印象的だったのは、カンタベリー大聖堂かな。ゴシックが好きなだけかも。

さて、後は素材の中で良く分からん写真の解説をば。素材には出してない写真も一点。


これは何かというと、ライン川両岸はずっと葡萄畑なのですが、それがあまりにも急斜面かつ全く働いている姿がなかったので「どうやって耕してるんだ? 機械? 人力? それともあれは偽葡萄か?」という我々の疑問に旅も終わりの頃答えが現れた場面。とりあえず落ちたら死ぬ。と思われる斜面もあったのに。人力か……。


トレンデルブルクの教会。明らかに顔。


リューベック聖マリエン教会の死の舞踏(ダンス・マカブル)をモチーフにしたステンドグラス。疫病がもたらした影響は大変興味ある題材。


同じく聖マリエン教会の前にある酒好きの悪魔の像。皆が角に触るのでピカピカです。


リューベックの大聖堂の前に朝早くいた謎の二人組。芸人なのか解説ボラなのか役者なのかただのコスプレなのか。まだ大聖堂開いていないのに。
コスプレといえば、カッセルの駅でユカタ姿(着付けはアバウト)のドイツ人とすれ違ってしまった。向こうはこちらを日本人と認識したか、ちょっと恥ずかしそうだった。


ノーコメント。

2011年5月25日(水)

ドイツ北上行8

さて、予告通りの城話をします。
今回は13世紀に建てられた正真正銘の古城のトレンデルブルク城の方を。
とは言いましても、ずっとここに城として有り続けた訳でなく、中世後期辺りに放棄されて廃城になっていたものを買い取り、修復したという経緯がある様子。近くのザバブルクも同じ道をたどっているところからして、むしろ現代に残っているということはさほど要所ではなかったということなのかもしれません。
造り的にも、大きな紛争に巻き込まれたということはなさそうな、こぢんまりとした佇まいです。領主が本住まいとして使っていた訳ではなく、狩りの遠征の時などにたまに訪れた感じなのではないでしょうか。平時は見張りの兵士たちが詰めていた、って雰囲気かな。

うろ覚えの記憶を引きずり出して、書いた構造図がこちら。

居館に泊まったので、使用人棟の中は不明です。あと、スタッフスペースの構造も不明。それに上の客室の構造を考えると、縮尺もちょっとおかしいのですが、まあ大雑把にこんな感じだったってことで。気にしない。

玄関ホールには幾つか中世を思わせる装飾品が置いてあります。(1)(2)はまあ定番のプレートメイル。ご存知の方は多いと思いますが、実は中世の鎧ではない板金製です。中世の定番はチェインメイルとサーコート。(3)にはタペストリーと大きなふいごが(4)は休憩スペースみたいですが、当時の部屋の再現かな。ちなみに談話用個室?ぽいところには、何故か全身骨格模型さんが服を着て座ってました。何故。

地下には騎士の宴会場があるようでしたが、当日使用していたし、時間も少なく見ることは出来ませんでした。残念。

さて、泊まった部屋は居館の三階でしたが、微妙な謎が多い部屋でした。
間取りはこんな感じ。

館のここに当たります。

四階もあるのですが、覗いてみたらガラス扉に阻まれた。構造からして窓も小さいから客室じゃなさそうだし、ひょっとしてあそこがエステ室(あるらしい)だったのかもなー。

部屋はまあ大体こんな感じで。恥ずかしハートシーツです。全部の部屋にこうメイキングするらしいよ。安い部屋ですが、一応天蓋つきベッドですとも。

そして、唯一の窓は出窓で、固定式の机とベンチが備え付けてあります。この造りは中世っぽいですね。各地の再現図で良く見た覚えが。
だがしかし、面白いのはこの窓が避難経路として指定してあること。万一火事が起こったら、この出窓をよいしょと乗り越え、このはしごで逃げなくてはならないのです。フロア全員が。

なかなか困難な作業だぞ、これは。そのため、部屋の扉を開けっ放しにするとブザーが鳴り出すというちょっと面倒くさい仕様になってました。たぶん誘導用。

さて、しかしこの部屋最大の謎はそこではないです。これらの写真の隅にあるものが問題。そう、部屋の中に階段。
それだけだと「ロフトがあるんだ」と思われるでしょうが、そんなものはありません。階段の先には何故かカーテン。そして扉。当然ながら開けてみると、真っ暗な空間にはしごが上下に続いていました。……何だこれ。避難経路は別にある。宿の人は特に説明もしてなかったし。何だこれ。すごく隠し通路くさいのですが、下の部屋の暖炉とかに出現できそうなのですが。さすがに怖いので上り下りはできませんでしたが。というか夜中に誰かここから出現しないかドキドキで眠れませんでしたよ。ぐっすりでしたが。
そして、旅行の時は毎回早寝なので五時ぐらいに目が醒めてしまい、せっかくだから城の回りを散歩だと外出しようとしたら、城の正面入口もレストラン入口も施錠されていて出られなかった悲しい思い出。

あと、シャワーブースと洗面所が入口のところで隔てられている造りも謎でした。スペースの問題なのだろうけど、バスローブ置いておく場所がないんだがどうすれば。仕方ないので椅子を外に移動させて置きました。

そういえば客室外の公共スペースには武器とか鍋とか装飾としてぶら下げられているのですが、雰囲気的にナポレオン戦争辺りのものな感じかなー。メイスとかはともかく、鍋とか笛は使ったものっぽかったので。

まあともかくも、あまり中世の雰囲気というのは構造以外にはないかなと感じたのですが(大幅に改装してあるしね)、なかなか手頃な雰囲気の城でした。
ちなみに殺伐とした城だと、ドーヴァー城が重苦しく薄暗い雰囲気を残していて素敵です。

2011年5月27日(金)

ドイツ北上行9

では、今回はもう一つの城、ツェツィーリエンホーフ宮殿のこと。
とは言っても前にも書いた通り、ここは20世紀初頭に建設されたイギリス荘園風の邸宅で、古城ホテル(burg hotel)ではなく宮殿ホテル(schloss hotel)であり、宮殿といってもそんなに豪華って訳でもない場所です。サンスーシーとは比べものにならない。しかしながらポツダム会談が開かれた場所であり、東ドイツへのソ連の影響、というものがまだ生々しく残る場所ということで興味深い場所でした。

その前にサンスーシー宮殿を見学しましたが、まああそこはさすがにすごいですね。普通の部屋のけばけばしい装飾は置いといて、図書室と最後の動植物の部屋は良かったなあ。しかしそれにしてもベッドが皆アルコーヴベッド(こういう壁に埋め込まれたの)だったのだけど、基本的に大きい西洋人があんな狭いところで落ち着くのだろうか。狭いから落ち着くってのはあるにしろ。

その後、辺鄙な場所にあるツェツィーリエンホーフ宮殿へとタクシーで移動した訳ですが、運転手さんが観光案内したがりタイプでした。今までのタクシーは皆無言で走らせるタイプだったので初めての遭遇。
で、宮殿の横の高級っぽそうな住宅街に差し掛かった時に彼曰く、「この辺りはすべてソ連軍に接収されていた」。そして特に大きな邸宅のところで「見ろ、レッドスターだ。ここはKGBが使っていたんだ」とのこと。
宮殿の東側に湖があるのですが、そこまでが西ドイツで、「壁」があったのです。何だかもう崩れて長い時が過ぎ去った感じでいましたが、よく考えればまだ22年、中高年にとっても生々しい記憶なのですよね。大学生ぐらいの子だって壁の記憶はないものの、その後のごたごたは肌で感じてきているでしょうし。
ベルリンの街が工事だらけなのもむべなるかな、変わり続けている最中なんだろうな、と。
まあそんな深刻な話をそのおじさんはしていた訳でもなく、「湖の向こう側はヌーディストビーチになっているがどうだ」というたぶん彼にとって定番のオチを披露してくれましたが。しかも次の日の朝、散歩していたら湖岸に泳ぐ人発見してしまって何ともいえない気持ちに。ヌーディストかどうかは知らないけど、こんな早朝にあんな湖でよく泳ぐな……と思わざるをえない。昔、ハイドパークの池の一部が水泳場になっているのを知った時は唖然としたものです。

さて、ようやく宮殿本体の話。
けれども実は時間がなくてポツダム会談の会議場とかの博物館部分は見られなかったので、あまり書くことないような気も。
あ、一つ実感したことがあって、宮殿がイギリス式ってところ。何がイギリス式かって、庭園の造りが。特にこういう刈り込みですね。

ドイツで電車の窓とかから一般家庭の庭などを見て思ったのは、結構生やしっぱなしスタイルというか、自然の形で庭木も残すのが主流なのかな、ということ。庭園もそうですね、人工的な手入れが少ない。後、意外に思ったのが、ヨーロッパでは多い窓から花かごの風景を街中でほとんど見かけなかったこと。パブとかでは定番の風景だと思ったのだが。そういう細かい印象との差異に気づかされる旅でした。
ただし、クライガルテンと呼ばれる賃借家庭菜園が盛んなのは車窓からもすごくよく分かりました。それらしきものがいっぱいあった。あとトランポリン大好きなのもよく分かりました。何でどこもかしこもトランポリン常備なんだ。
あ、車窓からと言えば、畑ばかりで家畜が珍しいのも意外でした。見つけても牛・馬ばかりで羊がいない! イギリスちょっと田舎に出るとあんなにいるのに! たぶん走った場所の問題でしょうけど、色々違うなと唸ります。

宮殿に話を戻そう。
neuer gartenという大きな公園の中にあるだけあって、とにかく小鳥がいっぱいの場所でした。朝の散歩は気持ちよかったです。それだけに慌ただしく一泊だけなのはもったいないところなのかも。長く滞在してゆっくりするべきところなんでしょう、本来の使い方としては。
でも一階の部屋は観光客が覗き込んできたりするから、なかなか落ち着かないらしい。有名な場所の功罪か。
それにしてもneuer garten内には謎のピラミッドとかオベリスクとかあって何ともいえない気持ちになる。西洋人エジプト大好きだよね……。ふんころがしとか大好きだよね……(スカラベのマジパンがあった)。

2011年5月30日(月)

ドイツ北上行10

さて、以前にも書いた通り、今回で簡単に街の話をしてこれでこの一連の雑記も終わりにしようと思います。
その前に、この旅で拡張版を手に入れそこなったDixitのiPhoneアプリが6/1まで無料配布中らしいので、気になる人は手に入れておこう。ゲームの性質上、対人戦しか出来ないので遊ぶ機会が来るかどうかは微妙ですが。誰か一緒にやりますか。オンラインのやり方まだ調べてないけど。

それでは最後に街の話。
これは最初に書くべきだったと後悔してますが、今回のルートはフランクフルト(リューデスハイム)→ハン・ミュンデン/トレンデルブルク→リューベック→ベルリン(ポツダム)というものでした。地図で見ると大体こう。

北上してターンして東ですね。
自分だけかもしれないけど、ドイツの都市名に聞き覚えはあっても位置関係全然知らなかったから、今回の下調べで初めて大枠を掴みました。首都や大都市といっても、ローマ・ロンドン・パリなんかとは違い、どうもイメージを掴みにくい。ドイツという国全体で見れば固有イメージがあるのだけれど、個々の都市に強いイメージがない。それを表すようにドイツの観光といえば周遊型の慌ただしいものが主流。
もちろんその原因はドイツの辿ってきた歴史にあるということは知ってます。この国はとても長い間、特に土地イメージの基盤となる中世期に一つの国であったことがないんですよね。あくまで小国の寄せ集めで、個々の領主の力が強く(選帝侯!)独自の文化をそれぞれが育てていてた。だから現在も州ごとの独立性が高い。
と、まあ、一通りの知識は持ち合わせていたものの、実際行ってみてここまで鮮やかに街並みが変わるとは思ってなかったと、そういう話です。

写真で一目瞭然ですよね。
これが中部の木組みの街、ハン・ミュンデン。
ここに花かごがないのがすごく意外だった
これが中部の田舎、トレンデルブルク。

これが北部の赤レンガの街、リューベック。

日本の観光宿場町のように一部だけ保存、という訳ではなく、大体街全体がこうです。もちろん新しい建物もたくさんあるにせよ。
大都市のフランクフルトとベルリンにしても、見た場所が偏っているとはいえ、フランクフルトの古いものと新しいものが入り混じった猥雑さに対して、ベルリンは塗り替えていこうという勢いがあると感じました。逆に言えば「塗り込めてしまおう」という雰囲気でもありましたが。
そういう意味では、今回の旅は本当にごく一部を速足で撫でただけのものなので、まったくドイツのことを知った気分にはなれません。また機会があったら是非行きたいです。たぶん何度行っても新しい発見があるんじゃないかと。

そういえば、ドイツ観光といえば南部が基本とは分かっていたものの、今回は本気で日本人との遭遇率が低かったなあ。最初のフランクフルト(ライン川)と、最後のベルリン以外まったく会わなかった。アジア人だなあと思っても中国かベトナムっぽかったり。大体周りは全部白人な感じ。
特にハン・ミュンデンは周りも皆観光客ではあるんだけど、外国人ではなくドイツ人の団体観光客ばかりでした。ドイツ人は旅行好きを実感。たぶん日本人が飛騨高山とか行く感じで来るんだろうな。

その反動か、フィンランドの空港では右も左も日本人だらけでちょっと面白かったですが。売店に飛び交う日本語の上、出国のAll passportの列がAll Japaneseでした。まあ全ヨーロッパから乗り換え客が集合し、東京・大阪・名古屋の便がほぼ同時に飛び立つからむべなるかな。
その空港でトナカイの毛皮座布団を買ってしまって、これからの夏にどうやって保管しておこうか悩む人ここに一人。すごく手触りが良くてつい……。まあ最初は一頭分の毛皮を買いそうになってたからまだましか。小さなのがあって助かった。

そんなこんなで久しぶりの海外旅行だったので文もだらだら長くなりました。五月中に終われて良かった。
またどこか行きたいけど、しばらくは無理かな。何かニュージーランド行かないかとか誘われてるけど。ホビット庄は確かに見てみたいものの、そんなに連続して行けません。と、調べてみたら、ようやく最近「ホビットの冒険」の撮影が始まったのか。……となると、出来たてほやほやのセットがあったり……するのかな(単に入れないかもしれない)。いや、行きませんが。

2011年5月31日(火)

Akiary v.0.51