ほとんど押し入り強盗の勢いで、両手が塞がっているのに構わず窓枠を蹴たぐり倒し、シードは中へと突入した。元々人手が多くない上、詰めていた衛士たちはほとんど奪還に乗り出していたために、その守りは薄かった。奪還側も、突然飛んだシードには対処しきれなかったのだ。しかも塔が最終目的とは思っていなかったので、城へと飛び移られることを警戒して見送ってしまう。
従い、中でシードのところへ駆けつけたのは二人ほどだった。
「貴様、人質を取るとは卑怯だぞ!」
「取ってねーよ」
本人がどんなつもりにせよ、傷つけたら大変まずい状況になる人間を胸の前で抱かれていたら、彼らもうかつに手を出せない。勢いに乗っているシードにあっさりと蹴散らされる。
「で、その何とやらはどこだ」
「地下だよ。あの、ディーディスが出てきたところ」
「あそこか」
じゃあ下から入れば良かったな、などとぶつぶつ言いつつ改めて地下に降りると、宝器庫の前でニッカとサラリナートが待機していた。
「いきなり動かないでほしいんですが。僕ら、シードじゃないんで苦労しましたよ」
幸い、飛んだシードに気を取られているうちに身を隠すことができ、そのまま裏手に回って、壊れた扉から侵入してきたのだ。
「お前らは外で待ってりゃ良かったじゃねーか」
「それなら飛び出す前に、その旨伝えていってください」
「そういうもんか」
ニッカは僅かに眉をひそめたが、それ以上は言わなかった。ここでぐだぐだ説教をしている暇はない。塔に入っている時間が長くなると、外で様子を窺っている衛士たちも突入してくることだろう。
「サラリナート」
アピアもまた、浮かない顔で佇むサラリナートに声を掛ける。
「ディーディスは屋上にいると思う。行ってあげてほしいんだけど」
彼は一連の出来事を目撃していた。いまだ姿を見せないところをみると、たぶん二人とも死んだと思っていそうだ。この騒ぎに気づいて降りてこられれば厄介だ。
サラリナートは迷った様子を見せたが、アピアが目線で促すと、決心したらしく階段へと身を翻す。
「一緒にいるところを、あまり見られない方が良いってところですか?」
下手をすると裏切り者として、必要以上に突き上げられかねない。
後ろ姿を見送りながら聞いたニッカに、アピアは頷いた。
「うん、それにやっぱりサラリナートに宝器庫を開けるところは見せる訳にはいかないのかなって……一応は」
「僕たちは良いのですか?」
「まあ、別に見られたからってどうこう出来るってものでもないし」
アピアの言う意味はすぐに知れた。宝器庫の最初の扉をくぐるとそこは小部屋になっていて、再び扉が立ち塞がっている。その鍵穴も取っ手もない二つ目の扉の前に来た時、彼はシードに自分を近づけてくれるよう頼み、そして己の額をそこへつけたのである。途端、扉全体が仄かに発光したかと思うと、勝手に上へと動き始める。
「その印が?」
「どうせ中のものも、印がなければあまり意味はないしね」
開きつつある扉を見上げたり、半ば開いた口をくぐって裏を窺ったり、興味津々でその仕組みを調べていたニッカだったが、やがて扉が開ききる頃に、わずかに眉をひそめてアピアの方を見やる。
「あのですね、邪推かもしれないですけど、ひょっとしてこれって……」
「ニッカ。言わないでほしい」
彼の疑問を、アピアはぴしりと刺した。
「たぶん薄々は皆気づいてるんだ。でも、これは続いてきたことだから」
「了解です」
肩をすくめながらも、ニッカは引く。
「で、何持ってくんだ」
反対に、まったく気に留めていない風なシードは暢気にそう尋ねてきた。
そこは清潔だが、空虚で暗い部屋だ。窓はなく、前の間と同じような細い隙間から僅かに洩れる陽光だけが明かりとなっており、それだけではぼんやりとしか見えないため、部屋の片隅に置かれた角灯が光を補っていた。配置されたベッドと僅かな家具。入り口に近づくにつれて明らかに緊張を増していたセピアは、ベッドに横たわる人影を見た途端、弾かれたように駆け出そうとする。
「父上、母上!」
しかしセピアの思いは叶わなかった。その突進はベッドの脇にいた大きな影に阻まれたからである。そしてその影の後ろで、彼は椅子に座っていた。
「焦らなくていい。お前はしばらくここで過ごすことになるのだから」
彼はセピアへと視線を流すことすらせずに、そう話しかけてくる。父に似た容姿の、けれど父と違い、はっきりと骨っぽさを感じさせる中年の男性。
「伯父上……」
「兄がいなければ何もできず、のこのこと捕まりに出てきたという訳か。いかにもお前らしい話だ」
正直、セピアはこの伯父が苦手だった。
その訳が今ようやく分かる。ここまで露骨に態度に出されたことはなかったが、時折こんな気配……敵意をぶつけられていたからだ。
「離してやれ。泣き出されてはうるさくてかなわん」
彼の指示で護衛の男はセピアを解放し、セピアは彼の様子を伺いながら、再びベッドに近づく。そこにあるのは、ひどくやつれているものの、ずっと会いたかった顔だった。拘束されているのに加え、起き上がる気力もすでに失われているらしく、彼の目線だけがセピアへと動く。
「……無事だったか」
「はい、父上」
「お前にはあまり事情を話していなかった。……不安だったろう」
「平気です。アピアも一緒だったから」
その声に反応するかのように、突如反対側から叫びが上がった。
「セピア……セピア、セピア!」
半ばすすり泣くような名前の連呼に、セピアは慌てて母の方へと回り込む。そして膝を着き、彼女の目線と自分のそれを合わせた。
「母上、セピアはここにいます」
元々彼女は体も気も強くはない。この生活に参りきっているのは仕方なかった。手を握ると、弱弱しくだが握り返してくる。
「アピアは……アピアはどうしてるの?」
セピアがどうにも答えられないでいると、彼女は再びか細い声を鳴らした。
「あの子にだけは手を出さないで! そっとしておいてあげて! お願い、お願いだから……お願い……!」
彼女の嘆願を受け流すように、ナッティアは顔を入り口へと振り、そこに立つゼナンに短く声を掛ける。
「報告しろ」
「侵入者四名を確認、セピア殿下含み、です。残り三名のうち二名はこの島に、一名はここに、一名は外にて拘束を指示してあります。残り一名は塔へ侵入したため、ディーディス様にお任せいたしました」
「結果は確認していないのか」
「はい。始末の手筈は整えましたが、こちらの拘束を急ぎましたので」
「それが侵入者か」
そして彼はミュアに目を向け、顔をしかめる。
「四名というと、これまでの報告にあった同行者か。本当にまだ子どもだな」
「そうですが、異種族です」
「……そうだな」
ゼナンは、ミュアの羽を乱暴に掴んで見せつけ、ナッティアは重く頷いた。
「始末しろ。もう一人もだ。なるべく楽にな」
ゼナンではなく、案内役の衛士に彼はそう指示する。驚いて駆けつけようとしたセピアは再び護衛に半ばで取り押さえられ、ミュアは観念したのか何か言いたげにナッティアを睨みつけながらも、大した抵抗はせずに衛士に引きずられて部屋を出された。それを見送りながら、ゼナンは感想を洩らす。
「欲しがる方もおられるかと思いますが」
「悪趣味な話はよせ。可哀相だが、見つかれば混乱を呼ぶだけだ。お前は今すぐ塔を確認に……」
その時だった。
奇妙な声が辺りに鳴り響いたのは。
『今こそ見よ。我の頭上に輝くは神の徴。世の支配を任じられた証なり』
聖書の一節、そしてある儀式の前に必ず述べられる口上。
「……アピアだ」
口を塞いでいた手からようやく逃れたセピアが呟いた。
転がってきた小瓶は足に当たり、からからと音を立てて止まった。無意識に掴み取った後、セピアはそれが何の瓶なのかに気づく。
ミュアは止める暇などないまま、すごい勢いで木々の上へと消えてしまった。心配でたまらないが、自分にはどうにも出来そうにない。そして、この瓶はまず間違いなく、ゼナンの懐からこぼれ落ちたものだ。
先ほどのやりとりを思い出し、父母は無事だろうかとセピアは抜けてきた穴へと近づく。一目姿を確認できたら、何とかして逃げ回る方法を模索しなければならない。
しかし、頭の中で幾つも組み立てた計画は、穴の縁に立った瞬間に全てが吹き飛んだ。そっと覗いた途端、中から上を見上げるナッティアと目線がかち合ったからだった。
無意識に、足が床を蹴っていた。
全身を揺する衝撃と、はっきりとした手ごたえがすぐ後に来た。もうもうと舞う埃が差し込む日光にちらちらきらめく中、気がつけばセピアはナッティアを床へと押し倒し、馬乗りになって空いた方の手でその喉首を掴んでいた。
自分が憤っているのか、悲しんでいるのか、それともごく冷静なのか、セピアには判別つかなかった。伯父に言いたいことは色々あるはずなのに、どうにも言葉は出てこない。慌てた感じの護衛が剣を引き抜いて、また戻す光景が視界の端に引っかかる。斬り捨てる訳にいかないことに気づいたのだろう。
「近づくな!」
次には当然素手で引き剥がしに来るだろうと考えたセピアは、反射的にそう叫ぶ。
「近づくと……!」
しかし言葉は続かず、そこで詰まった。自分に彼を押し留めるための何ができるというのだろうか。
そして、実際彼を押し留めたのはナッティアだった。良い良い、というように彼は護衛に向かって手を振ってみせたのだ。それから再び目を合わせ、ただ一言の問いかけを投げてくる。
「殺すか」
彼の目線で、セピアは自分があの瓶を片手に握り締めたままでいることに気づかされた。そこにあるのは手段。
そうだ。
今、この伯父を殺せば、全てが終わる。
……終わるのだ。
次の瞬間、セピアは瓶を手前の壁へと投げつけた。
粉々に砕けた瓶から散らばった粒は床のあちらこちらへ転がり、闇と埃に紛れ、たちまちどこに行ったのか分からなくなってしまう。
「何で、誰も彼もそうやって死を振りかざすんだ」
自然と洩れてきた声は、自分でも嫌になるほどに弱弱しかった。
「死は絶対なのに。どうやったって、取り戻しは効かないのに」
横たわる伯父の眉がしかめられる。
「やはり、その印はお前には過ぎたものだ。死を恐れて王が務まると思うのか」
「そうだよ、僕は臆病だ。今だって、怖くて怖くて仕方がない」
素直な言葉は、まるで涙の代わりとなったかのように、次から次へと溢れ出る。
「憎いよりも怖いのか」
「貴方がどうして怖くないのか分からない。そんな風に軽々しく扱えるのか分からない」
彼は殺した。馴染みの従医も侍従も衛士も。
ついさっき、父を、彼の弟を殺そうとした。
そして今、自分を殺すのかと聞いてくる。
「貴方も同じだ。父上が悪い夢に取り憑かれているというなら、貴方もきっと取り憑かれている」
彼の夢に呑まれてはいけない。
「だから、僕は貴方を殺したりなんかしない」
「お前は自分のその選択を正しいと思っているのか」
「……僕は」
わずかなためらいを振り切り、セピアは答えを返す。
「僕は、正しい」
言い切らなければいけないと思った。
「ならば良い」
それに対し、小さく息をつくような返答が伯父の口から出た。それから彼はセピアの小さな体を跳ね除けるようにしてあっさりと起き上がり、服の埃を払い始めた。
床にへたりこんで呆気に取られているセピアに語るともなく彼は呟く。
「すでに決着はついていた。知られてはならなかったのだ、壁を越えられることは」
そして、それはすでに城中に告げられている。
「知られてしまえば、とめどなくなる。もう遅い」
その時、何かがぶつかったような、重い音が外から響いた。
「そろそろ城からの先遣隊が来たか」
あちらにニッカが辿りついたということは、この場所のことはばれている。アピアが指示をすれば国王派の衛士たちは動くだろう。
「さて、お互いの正しさの代償を引き受けようではないか」
それがこの事変の終わりを告げる言葉となった。