そんなこんなで、結構どうでも良い心境になった。シードに気を使っても意味はない。一応確認してみたら、何で寄らないんだと不思議そうに聞き返され、帰ることにあっさり決まった。
「あれ。あれあれあれ、ミュアちゃん、お帰り」
村の近くに差し掛かると、顔見知りのおばさんが野草摘みに出てきたところにさっそく出くわす。
「どうだった、お山は。大きかったろう」
「えーと……」
答えに困ってしまう。まさかリタントに行っていたと言う訳にもいかず、大森林を縦断したことも言いにくく、挫折して帰ってきたにしては期間が長い。
「ああ、お友達もいるし、引き止めちゃいけないね。お父さん、寂しがってたよ。早く顔見せておあげ」
その空気を察したのか、おばさんはさっさと話を切り上げてくれた。しかし、村に入れば、会う人会う人に同じ問いを向けられる羽目になる。
「ミュア、お帰りなさーい。どうだった?」
「年越しに間に合って良かったなあ」
「まあまあ、元気そうで何より」
「後ろの方はどなただい?」
「ね、ね、お土産はー?」
全然前に進まない。幸いなのは、シードの正体がばれていなさそうなことだった。旅路で格好も薄汚れているし、五年前の印象とはそう簡単に結びつかないのだろう。
事態が少し進展させたのは、出来つつある人垣をかき分けて顔を出した一人の少年だった。
「ミュア!」
「レサー」
一つ下の少年は、名を呼びつつ、最初ミュアに抱きつく勢いで駆け寄ってきたが、その直前にためらいを見せてぴたりと足を止める。
「あ、あの、お帰りなさい」
「ただいま。そうだ、レサー、私の書いた文って届いてるか知ってる?」
彼の家の雑貨店は、村へ来る鳥文の中継点でもある。ミュアの問いを受け、レサーは何度も頷いた。
「おじさん、毎日家に来てたんだよ。鳥文の続きは来てないかって」
良く考えたら、リームに渡してほしいと文を頼んで以来、連絡をしていなかった。大森林からリタントへ突入してしまっては、当然出来るはずもない。それは心配もするだろう。
だから、家に帰った途端の父の叱責も抱擁も素直に受ける。
「何に巻き込まれたかと、生きる心地もしなかったぞ」
「ごめんなさい。大丈夫だったから。それで、あの、文の方は……」
「もちろん、しっかりと届けたとも。しかし公爵付きの衛士様に何をお知らせしたんだね」
「大したことじゃないし、もう解決したんだけど」
連絡はついてしまっている訳だ。お詫びと説明の文を出さなければならない。とりあえず早急にと、何かと顔を出してくる家族に邪魔されつつも、ニッカと共に文面を考え、文を書き上げる。
それが必要なかったことを知ったのは、まさに雑貨店にその文を頼みに出た時だった。
暇だからとついてきたシードが、突如現れたその相手に背後からひねり上げられた。あれよあれよと言う間に、縛り上げられ、いつの間にかあった檻へと放り込まれる。
そして、トーラー公爵の登場と相成ったのである。
トーラーからここまで約半日、村に着いた直後に鳥が飛ばされたと考えれば、何とかならない時間ではない。それにしても手配の異様な早さは否めないが。
かくして、険悪な親子の対面が幕を開けたのだった。
結局、ミュアの家へと公爵を通して人払いをし、アピアとセピアの素性は伏せて話をした。壁を越えたことも話しづらかった。その二点を話さないようにして出来事を構成し直すと、何とか壁を越える前に追いついて奪還し、二人を向こうへ帰したという話の流れになった。かなり事実とは違うが、無難な線ではある。開いた時間は、療養と大森林内部で迷っていたことにするしかなかった。
途中で開封されることへの用心もあり、鳥文にはシードの怪我やアピアの連れ去り、セピアの保護依頼などの最低限のことしか書いていなかったので、その点はごまかせて助かった。
「……ふん、三足族めが」
聞き終わった直後、小さく、だがはっきりと公爵が吐き捨てるのを聞き、ミュアとニッカは顔を見合わせる。結果的にセピアは彼に頼ることがなかったが、それで良かったのかもしれない。
「その鳥文屋の奴らは、まだホリーラにいるんだな」
「どうでしょう。いるんじゃないでしょうか」
実際にはリタントでの王党派の巻き返しが伝わっていれば微妙なところであるが、自分たちは二人を送り届けただけで、詳しい背景も知らないということになっているので、彼らが撤退する謂れがない。
「よし分かった。すぐにとっ捕まえるよう手配はする。三足族どもが大手を振ってホリーラを歩いているなど、我慢できん」
控える衛士の一人に彼が指示すると、すぐに外へと跳ね跳んでいく。続いて、侍従の一人が歩み出てきて革袋を彼に渡した。
「よく知らせてくれた。それに、シードとの同行、ご苦労だったな。色々と迷惑をかけただろう。こちらに謝金を……」
「あの、そのことですが」
失礼とは承知しながら、ミュアは公爵の言葉を遮る。
「お話しした通り、私たち、まだ聖山まで着いてません。またすぐに出発するつもりでいます。シードは、今まで一緒に旅してきた仲間です」
そこで既に察しただろう公爵の不機嫌な睨みに物怖じすることなく、彼女はお願いを口にした。
「シードも一緒に行かせてもらえませんか?」
たちまち、公爵の眉間に皺が寄る。それはそうだろう。今はぴんぴんしているとはいえ、一時は命に関わる大怪我をしていたのだし、せっかく確保したのだ。これ以上野放しにしたくないに違いない。
「一緒にというと、聖山までか」
「はい」
「あれを聖山なんぞに行かせてみろ。そのまま草原に突っ走っていって、戻ってこんわ」
さすが父親、正しく理解している。
「しばらくは見逃したが、いつまでも甘い顔はしておれん。一年も経てば成人なのだからな」
公爵を務めるだけあって、シードより分別は持ち合わせているらしい。シードと比べる時点で間違っているような気もするが。
どう考えても、公爵の言い分の方に利があるので、反論のしようもない。
「それにしても仲間、か」
それでも説得の言葉を考えるミュアとニッカの前で、しかし公爵はぽつりと呟いた。
「お前たちは、あれが恐ろしくはないのか」
何を問われたのかとっさに分からず、ミュアはきょとんとし、代わりにニッカが問い返す。
「……公爵様は?」
「いや。あんな馬鹿怖い訳があるか」
反問は即座に切って捨てられた。確かにあの態度で、実は怖いと頷かれても何だか困る。
「だが、良く知らぬ者はそうは見ん」
公爵は続ける。
彼の視線は開いた窓を通り抜け、遠くへと注がれている。
「あれは馬鹿だが、孤独だった」
その声は重く、ため息に似ていた。
「……礼を言わせてほしい」
そして彼は、戸惑う二人に頭を下げてみせたのだった。
ニッカを交えた夕食も済み、外もすっかり暗い時刻となった。もう眠る時間なのだが、話を聞きたがる弟妹はずっとまとわりついてくる。また出ていくということで渋い顔をする両親と違い、彼らは素直な好奇心丸出しだ。
仕方がないので、彼らが力尽きて眠るまで荷物整理でもしながら話をしてやることにした。ニッカも付き合ってくれる。
「ねー、ほんとにぜんぶ砂なの? 熱いの?」
「海とどっちが大きかった?」
両親の耳に入ることを恐れれば危険な目に遭った話は出来ないし、話の辻褄が合わなくなるのもまずい。面倒臭そうな部分は荷物整理に手がかかるふりをして流し、何とかやり過ごしているうちに、荷物の中からミュアは小さな木箱を拾い上げた。ミュアの表情から何事かを察したのか、たちまち弟妹は食いついてくる。
「何? それなーに?」
「これは、お姉ちゃんがお友達からもらった大事なものだから、触っちゃだめよ」
彼らに釘を刺しつつ布に包み、部屋に備え付けた棚の奥へとしまい込む。
「それ、置いていくんですか」
「いや、だって……」
「まあそっちの方が無難ですかね」
城の衣裳部屋で見つけたブローチだった。澄んだ翠色の石の中で、細かな光点が煌く様が気に入ってすっかり見入っていると、アピアがあっさりとくれたのだ。もちろん断ったのだが、御礼の品の一つも持っていってくれないとこちらも困ると押し切られた。
「でも、こんな高いもの、やっぱりもらえないって」
「もらってってよ。それにそれほど高価じゃなかったはずだよ」
アピアに問われて衣裳係が答えた値段で、ミュアはもらうことに決めた。何とか自分たちでも手が出せなくはない値段だったからだ。
しかし、ホリーラへ戻る途中、ニッカに見せると彼は顔を曇らせた。
「それ……ホリーラでは誰にも見せない方が良いですよ」
僕の記憶違いならいいんですけど、と言葉は続く。
「たぶんリタントでしか採取できない石だったはずです。ホリーラではダリューラ時代の古品しかない訳で……確かとんでもない値段がついてます」
そして、ニッカの告げた値段はミュアを震え上がらせた。そんなものを持っていると知れては殺されかねない。
「せっかくもらったのに、つけられないなんて……」
しょげるミュアに、一応ニッカはフォローを入れてくれる。
「貿易が再開すれば、相場も落ちますよ」
先は長そうだ。
そんなやり取りの末に、持ち歩くのはやっぱり危ないだろうと判断し、家に置いていくことにしたのだ。旅の途中の不測の事態に備えることも考えたが、そんな金額では引き取り手は簡単に見つからないだろうし、元々売る気もない。
「二人とも元気かなあ」
さすがに眠気を催してきたらしい弟妹の頭を膝に乗せて撫でながら、ミュアは呟く。次に会えるのはいつとも知れないが、そんなに遠くない日に会えるような気がする。単なる期待かもしれないけれど。
「元気ですよ、きっと。といいますか、まだ別れてから一月経ってないんですから」
「それもそうね」
この村だって、出ていってからまだ一年経っていないのだ。弟妹が半年分大きくなったりとか、それぐらいの変化しかそういえば感じられない。何だか自分の時間が早いのか遅いのか良く分からなくなる。
「あと一年で成人かあ」
年明けはもうすぐだ。
ミュアはもてあまし気味の気持ちを逃がすようにそう呟いた。
待ち合わせ場所に着くと、白光りする水筒を手に、シードは相変わらず飲んだくれていた。
「こんな朝っぱらから、どこで仕入れたのよ」
「ああこれ、親父が放り込んでったやつ」
親子揃ってまったく仕方のない。嫌っていても酒はもらうらしい。
「じゃあさっさと聖山行くぞ」
言うなり南へと進路を取るシードの襟首を、ミュアは引っ掴む。
「どこ行くの」
「聖山」
「大森林は突っ切りません!」
あの時はあくまで非常事態だったからであり、やはり内部は得体が知れなかったので通りたくない。
「何でだよ。時間かかるだろうが」
「熱地は通らないから、前より早いわよ」
「森行くより遅いぞ」
「うるさい。森を迂回します。嫌なら一人で行きなさい」
不満たらたらのシードを叱りつけ、引きずるようにして東へと歩かせる。観念したのか、やがて彼は針路を修正した。
かつて似たような会話を交わしたことを思い出し、ミュアはため息をつく。
「何だか進歩の跡が見られないわ、私たち」
「一応進んではいるんじゃないですかね」
後ろ歩きかもしれませんけど、という言葉を呑み込みつつ、ニッカはそう答える。行ったり戻ったり脇に逸れたり、道も人もなかなか真っ直ぐにはいかないものだ。
「ひょっとして、今度は公爵様の追っ手がやってきたりするんじゃないでしょうね」
繰り返しを連想したのか、ミュアは顔をしかめてそう洩らす。ないとはいえない。
「それは……そうですね、うーん」
ニッカは考えを巡らす様子を見せた後、前を行くシードを呼び止めた。
「シード、さっきの水筒、ちょっと見せてもらえませんか」
「何だよ。没収するつもりか」
「すぐにお返ししますから」
言い含めて水筒を受け取ったニッカはしばし検分していたが、やがてシードにそれを戻す。
「何だよ。奴が毒でも入れてたか」
「入ってないと思います。大体シードには効かないのでは?」
「効かないぞ」
胸を張るシードをまた先に行かせ、ニッカはミュアと並んで歩き始めた。すぐにミュアが尋ねてくる。
「どうしたの?」
「いえ、あれだけシードを熟知しているはずの人が、見張りの一人もつけておかないのがやっぱり引っかかりまして」
ニッカは顎を親指の腹でこすりつつ、シードの背を見やる。
「あれ、やっぱり銀ですね」
つまり、それなりの値段がする。散財しなければ聖山までの旅費には充分だろう。
「じゃあ、分かってて?」
「まあ、ごく当たり前にそれが普段使いだって可能性もありでしょうけど」
貴族の感覚は良く分からない。
朝の光はすでに森に満ち、鳥たちのさえずりもやかましいが、背後から誰かやってくるような気配はない。しばらく黙って歩を進めた後に、ミュアは確認するように呟いた。
「……追っ手がかからないようだったら、経過報告くらい送った方がいいかな」
「そうですね」
そういえば、リームとの約束も破棄はされていないのだ。そう決めてしまえば、少しだけあった後ろめたさも消えてなくなる。
「タイナーに着くぐらいに年明けかな」
「じゃあ、年迎えの祭はタイナーで楽しむことにしますか」
「あ、賛成」
グラドネーラ暦七五一二年の終わり頃、二度目の巡礼行はこうして始まったのだった。