そして、予感通りに男とシリルは消え失せてしまった。幾重にも張り巡らされた城壁も堀も何の役目をも果たさず、一昼夜の捜索の甲斐もなく、彼らの姿は城内のどこにも見つかることはなかった。
必然的に三足族一行は城にて留め置かれ、実質的な軟禁状態に置かれることとなった。安全のためにという建前はあれど、疑われているのは明らかだ。
「くだらない濡れ衣です! こちらこそどうなっているのか問い詰めたいくらいですのに! 狙われたのはここの王で、私たちは巻き添えを食らっただけでしょうに!」
以来、トネリーは怒りっぱなしだ。
「大体、あれが三足族ですって! 言いがかりは止めてほしいですとも! 羽や耳が見当たらなかったとか言う癖に、問い詰めると、そんな気がした、とか、たぶん、とかあやふやな返事になるくせに!」
舞踏会の場にいた、いないに関わらず、城にいた者たちは全て尋問を受けた。そして発覚したことは、侵入者の容姿がいまいち明確にならないことだった。侵入してきてあまり間のないうちに、大広間は闇に包まれたので仕方ないともいえるが。
そんな状況では、人は自分の見たいものを見る。三足族に全てを押しつけたいのは山々だろう。
それに。
アピアはトネリーの憤慨を半分受け流しながら、考えを巡らす。
自分の目においても、あの男には耳も尾も羽も見当たらなかったと思うのだ。もちろん、そんなことを申し立てて自分らを不利にはしないけれど。
トネリーの過剰反応も、そこからの不安にあるのだろう。あれは自分たちの差し金ではない。しかし、その糾弾に対する反証を自分たちが持ち得ないことも確かなのだ。
自分たちの扱いは、今やこの国の腹一つで決められる。処刑は早計としても、拘束の上、人質交換の交渉を試みられることは十分ありえる展開だ。当然リタントに交換すべき人質などいないので、それで丸く収まるはずもない。
最悪、再び戦が始まることになる。
開国交渉が開戦交渉に化けるなど、洒落にもならない。それだけは避けなければならなかった。
だから、ホリーラ国王の部屋への訪問を拒めるはずもなく、最大限の誠意を持ってリタント一行は彼を迎え入れるしかなかった。
国王に、城の風潮に流されている様子がないのは幸いだった。
「この度は、お側におりながら何の手立ても尽くせなかったこと、真に申し訳なく感じております」
詫びたアピアに、彼は詫び返してくる。
「お客人が気に病むことなど何もありはしまい。いらした途端にこの度の不始末、こちらこそ頭を下げねばなるまい」
もっとも肚の底ではどうか分かったものではない。なにしろ一人娘が得体の知れない相手にさらわれたのだ。心配と苛立ちに支配されて当然の状況だ。
向かい合わせになって座り、相対した彼の顔は、やはりどこか疲れているように見えた。
「まず、そなたの意見をお聞かせ願いたい。娘の最も近くにおり、狼藉者とも言葉を交わしたと聞いておる。……何が我が娘をかどわかしたと考えておられるか」
率直な問いだった。
同時に、こちらの反応から何かを探ろうとしているだろう問いだった。
「あれは……」
一瞬言い淀み、しかし次にアピアは正面から国王の目を見返し、言い放つ。
「あれは魔だと考えます」
僅かな沈黙が場に落ちた。
「……なるほど」
それを破ったのは、国王の相槌だった。
「話を聞く以上、魔と呼ぶしか仕方のない者なのだろう。しかし何故この時に及んで、魔術師が現れるのであろうな。かつての恨みにしても、壁よりも遥かに前の話であるのに」
魔術師の粛清が行われたと言われているのはダリューラ時代も半ばであり、当然のことながらその時を知る者は誰もいない。王家の血筋の交替もあったはずで、目の前のディント国王と当時の王ともたぶん濃いつながりはないはずだ。
「恨みには思えませんでした」
大体、恨む相手も分からず、突入してくるなど考えられない。それに、あの男からはそういった強い敵意は感じられなかった。
それでも。
アピアは、湧き上がってくるその理不尽な感情をもてあまし、肩を震わす。
それでもあれは敵なのだ。
「今に至るまで、何も要求は届けられていない。……掴み所が見つけられないというのが、正直なところだ」
この数日間、成果は上がらなかったのだろう。
「狼藉者の正体が判然としない以上、そなたらに責を負わすつもりはない。色々と手筈がある故、すぐにとは行かずに申し訳ないが、そのうちお国へと戻っていただけよう」
「ありがとうございます。侍従らも不安を覚えています故、陛下御自らのそのお言葉に安心いたすことでしょう。しかしながら、お願いがございます」
そこで、アピアは切り出すことにした。
「私だけは、この国に残らせていただきたいのです」
僅かに目を見張り、国王はアピアへと問い返す。
「この城に留まると申すのか」
「いえ、そうではありません」
それだけの返事に、加えての説明は求められなかった。ただ、己の髭をしごきながら、国王は再び問うてくる。
「そなたには分別が備わっておられるようだ。どのようにお考えか」
「お約束はいたしかねます。ただ……私の出来うる限りのことは果たすつもりです」
思慮の間がしばし空いた後、国王はおもむろに立ち上がった。
「返事は改めてとさせていただきたい。しばし待たれよ」
そして、それを最後に部屋より出て行った。
「アピア様、残るって、そんな……!」
たちまち悲鳴を上げたトネリーへは顔を向けず、ただ前方を睨んでアピアは呟く。
「迎えにこいというなら、迎えにいくまでだ」
その先に待つ結果は知れたものではないけれど。
「帰してくれるというんだから、帰ったら良いじゃないですか!」
「解放と同時に、強制退去だよ。この後、壁が開くことはなくなるだろう。そして、新たな三足族極悪伝説が、ホリーラの人々に語り継がれるって按配だ。……それは駄目だ」
「で……でも、陛下に申し訳が……」
「父上は止めはしないよ」
父としてはともかく、王としては否と言えぬ状況だ。そして、彼はすでに覚悟を決めているはずなのだ。
「トネリー、焦らなくても平気だから。僕以外は全員帰ってもらう」
「そ、そんな、そんなこと……」
「これは命令だ。それに、三足族の一団が国内を移動することなど、ホリーラは許すまい」
途切れない文句をぴしゃりと遮り、アピアは彼女に用事を言いつける。
「言い分は後で聞こう、急ぎの用件だ。つなぎをつけてほしい相手がいる。たぶんこの騒ぎで、城内に上がってきているはずだ。なるべく内密に接触したい」
彼もとんだ貧乏くじを引くことになるが、そこのところは諦めてもらうしかない。
アピアはふとそこで弟の顔を思い出し、密かに苦笑する。
セピア、何の悪戯か、どうも言われた通りになりそうだよ。