もちろんシードだって、最初の頃は抵抗したのだ。リームからの手紙で足止めを食らうなんて、ろくでもないことが起きるに決まっている。どうせ父親が気まぐれでも起こして、捕まえるように言いつけたといったところだろう。
ほっとけほっとけ、さっさと南行くぞと騒ぐシードを叱りつけたのは、当然ながらミュアだった。
「しょうがないでしょ、こんな風に書かれて逆らう方がどうかしてるわ!」
言いつつ、彼女はシードの不満顔に受け取った鳥文を突きつけた。几帳面な字で綴られたそれは、丁寧ながら強い調子で、これを読んだら現在地をタイナーへ返信し、その場から動かないで待つようにという強い通達が念を押すように繰り返されているものだ。たぶん自分たちが通るだろう道なりの大きな町には全て送っているのではないだろうか。
「何かあったのよ。例えば、公爵様が倒れたとかだったら、どうするの」
「いい気味だ」
「……もう」
ミュアは呆れ果てた表情で、腰に手を当てて息をつく。
「シード、貴方、命令は逆らうためにあるとか思ってるでしょ」
「ったりめーだろうが」
シードは鼻を鳴らして答える。
まあ、彼の環境からすると、“命令”などできるのは父親くらいなものだろうから、必然の答えではあるが。
「とにかく、私は待つ方に一票。従うかどうかは別として、話ぐらい聞くべきだと思う。取り返しのつかないことかもしれないのよ。ニッカは?」
話を振られたニッカは、迷う素振りもなくミュアに同調した。
「僕も待つ方に一票ですね」
「日和ったな」
「違いますよ。近頃、妙に人の流れが慌しい気がして。正確に言えば、慌しく行き来する一団がいる様子なんですよね。それも、どうも商人っぽくない人たちが」
「だから何なんだ」
「情報が欲しいってことです。それに、行く先に関する不穏な噂、聞いてません?」
「行く先って聖山のこと?」
眉をひそめて聞き返すミュアに、ニッカは仕入れた話を開陳し始める。
「正確には、聖山のお隣らしいですけど、突然暗雲立ち込め、晴れないんだそうで。魔物が草原から攻めてきたんじゃないかって、まことしやかに囁かれているらしいですよ」
「魔物ねえ」
「そう言っておけば、どんな現象にでも対応可能ですから」
「身も蓋もないわね」
「ともかく、特に急ぎの旅でもありませんし、慎重に行くのに一票ってことです」
こうして、シードは多数決に負けた訳である。もちろん多数決だからといって、諾々と従うシードではないが、今回は微妙に押し切る理由を持てないでいた。元々、別に聖山に行きたくて仕方ない訳でもないのだ。
以来、良い道連れを発見したこともあり、ぐだぐだと飲み明かして時間を潰していたものの、そろそろ我慢の限界が近かった。
「明日だ!」
突如机にカップの足を叩きつけ怒鳴ったシードに、ソリッツがびくりと反応する。
「明日何にもなかったら、俺はもう行くからな、畜生が!」
誰ともなしなその宣言を、まさかこのまま道連れとして引っ張っていかれやしないだろうなと戦々恐々としつつ聞くソリッツだった。
その話がアピアに飛び込んできたのは、ホリーラ王城に留まって一週間ほど経った頃合だった。自分も残ると言って聞かないトネリーや衛士たちを何とかなだめ、リタントへと戻ってもらう算段がついたちょうどその時だ。
どんな些細なことでもいい、人智を超えた怪しい何事かが起こったという話があれば知らせてほしいと頼んであった結果だった。迎えに来いと言っているのならば、何らかの形で彼は己の場所を知らせてくるだろうとアピアは考えていた。
どちらにしろ、手駒も動かせないこの国で、確実な証拠など得られる筈もない。きっかけを見つけたなら、後は自分で動くしかないのだ。
「リームさんにはすっかり迷惑を」
今思えば、あの巡り合わせは幸運だった。彼でなければ、こんなに早く話は進まなかっただろう。
「いえ、全然迷惑なんかじゃありませんよ。お館様もえらく乗り気でしたし」
リームは複雑な笑いを浮かべ、アピアもつられて苦笑する。当然それは「力になってこい」という意味の乗り気ではなく、「ぬかりなく監視してこい」という意味での乗り気だろうから。
まさか三足族のしかも王子を一人でうろうろさせる訳もなく、お世話係という名の監視役がつけられるのは当然の流れだった。
「それに、お話もせずに取り残されていたら、余計に気になって仕方がなかったでしょうから。お陰ですっきりしました。だから、例え打診がなくとも自分から立候補していたと思います」
それを見越して、アピアはリームへ事前に話を通しておいたのだ。開国反対派の最大派閥所属の衛士という立場には良い部分も悪い部分もあり、熱心な立候補によって判断の天秤は良い方向へと傾いたのだろう。第一、ある意味貧乏くじであるから、引き受けたがる人間はけして多くなかった。
「にしても、まさかあの手紙の真相が、リタント王家の揉め事に巻き込まれていたなんて、腰が抜けましたよ。他に何か隠し事はないんでしょうね。今なら、ミュアさんやニッカさんが王の隠し子だったりしても驚きませんよ」
ないないない、とミュアもニッカも首を横に振る。
「にしても、何なんだろうね、その誘拐犯。他に何を要求するでもなく、迎えにこいなんて」
現実味が薄いのは、誘拐犯の言動のせいでもある。話したのがアピアでなければ、まず作り話ではないかと疑ったに違いない。
「魔術師……魔術師かあ。うーん」
「たぶん会えばすぐに分かると思う……あれは、違う」
考え込むミュアに、念を押すようにアピアは言う。しかし、ミュアは別にその言葉自体を疑っていた訳ではなかった。
「その人、何だか白い人じゃなかったよね、まさか?」
ミュアの問いに、ニッカはそういえばという顔になり、アピアは要領を得ない顔になる。
「いや、どっちかというと、黒かったと思うけど……」
それが何か、と目で問われ、ミュアは何でもないと仕草で示す。ここで森の中で遭遇した魔術師らしき人物の話をしてもややこしくなるだけだろう。その聖山近くの怪しい状況を調査して、何の手がかりも掴めなかった時には教えた方がいいのだろうけれど。
「とにかく、引っかかったら行ってみて確かめないとどうしようもない状態ってことね。まずは聖山か」
話をそらすようにミュアはそうまとめて、改めてアピアを正面から見やる。アピアもまた、彼女をまっすぐに見返した。
「この状況で、こういうのも何だけど……こうやってまた会えて、すっごく嬉しい」
「それは僕も同じだよ」
自然と抱き合う形になって再会を喜ぶ二人を、男性陣が遠巻きに眺める形となってしまう。
「……シードも混じったらどうですか」
「何で俺が」
「で、状況は分かりましたよね?」
「どっちにしろ聖山行くんだろ、一緒に。で、セピアは来ないのかよ」
理解しているのだかいないのだか、分からない返事がやってくる。ニッカはシードを放っておいて、リームへと頭を下げた。
「僕ら、大体いつもこんな調子ですけど、よろしくお願いします」
「何でリーム先生も来るんだ?」
「やっぱり話聞いてませんでしたね」