Southward

第二章 魔の章

「告白」

6-1

 よし、じゃあ俺は寝るからな、と妙に偉そうに宣言して、シードは突っ込む間もくれずに自分の部屋へと戻っていった。ほとんど言い逃げしたようなものだ。
 アピアもまた、疲れたから休むね、と前置きして、ふらりと出ていってしまった。
 取り残された三人は話し出すタイミングが掴めずに、何となしに黙りこくってしまう。その沈黙を破ったのは、重いものを乗せたベッドが吐き出した空気の音だった。
 気遣わしげにそちらを見やったミュアに、へたり込んだリームは手を振ってみせる。
「平気です、平気ですから」
 とはいえ、明らかに顔色はすぐれない。彼は顔を覆いつつ、深い息をつく。
「気にしてるな、と前から思ってはいたんですが、まさか、そういう意味で気にしていたとは思わなくて」
 それはそうだろう。あのシードだし、加えて相手がアピアとあっては。
「以前からそうだったんですか?」
「ええと、前にリームさんが一緒にいた時は、そうでもなかったと思うよ」
 まあ、あの頃から萌芽はあったけれど、と思い返しつつ、ミュアは答える。
「いや、私はいいんですけどね。私は全然。けれど、お館様の耳に入ったらどうなることか……シード様とこっそり合流するだけならごまかせるだろうなんて……報告……どうしよう」
 彼の立場からすると頭が痛いなどというものではないに違いない。報告は義務だ。しかし、正直に行えば話はこじれる。確実に、取り返しのつかないほどにこじれることだけは容易に想像できた。
 そのリームの悩み様を見て、ミュアはある疑問に思い当たる。
「そういえば、シードのお母さんの事件の犯人って、知られた話なの? リームさんは知っている様子だけど」
「一応は。お館様が国内の三足族のあぶり出しを再三提案してますから、上層では有名な話です。もっとも、今回の交渉が始まるまでは、半信半疑って扱いをしていた方が多かったんじゃないでしょうか」
 そこで、わずかにリームは眉を曇らせた。
「証人がシード様だけってことで、随分嫌な思いもされたようです」
 幼児の戯言だと片付けるのが、一番波風が立たなかったのだろう。今だってその傾向があるのに、幼い頃ならもっと支離滅裂な説明になっていそうなものではあるし。
 つくづく難儀な性格だなと思ってはいたが、その形成にはそれなりの理由があるものだと、ミュアは腕組みをする。
「にしても、シードに結婚なんて概念があること自体にびっくりだわ」
 むしろ、そんな制度なんてどうでもいい、関係ないとか言い出しそうなものだ。
「ああ、たぶんそれは」
 すると、リームがその問いを引き受ける。
「お館様から聞いた話だと、昔、よくご夫人をお二方で取り合って。その時の、お館様の必殺台詞が……まあ、自分とは結婚してるけど、お前とは結婚してないだろう、とかそういうものだったらしくて」
「ああ……」
 ミュアは曖昧な返事と共に、生温い笑みを浮かべるしかない。幼児相手に大人気ないな、公爵、という素直な感想はさすがに口に出せなかった。
「とにかく、今すぐにご報告というのは早計ですから、もう少し様子を見て……どうにか……お二人とももうここにいない訳ですし……」
 もぞもぞと結論を先送りにしようとしていたリームは、不意にはっと顔を上げた。
「あ、しまった、アピア様が一人じゃないですか!」
 ようやく気持ちも落ち着いてきたのか、彼はそのことに気づいて、慌てて立ち上がる。さすがに何も起きてないだろうが、うっかり目を離していました、では言い訳にもならない。
「あの、またこのことについては明日にでも!」
 そして、扉の向こうへと彼の姿は消えた。足音が隣の部屋へと向かい、しばらく人の気配がした後にやがてそれは静まる。異状は特になかったようだ。
「さてと」
 たっぷりの間を取った後、そう前置きして、ミュアはニッカへと向き直った。

6-2

 さっきからやけに静かだったニッカは、ミュアの視線を受けて、やれやれといった風に肩をすくめてみせる。自分に矛先が向くのは予想の内だったのだろう。
「何話してああなったのか、教えてもらいましょうか」
「何って男同士の話です」
「思わせぶりにとぼけるの禁止」
「別にとぼけちゃいませんよ」
 観念したように息を吐き、彼は話し始める。
「大したことは特に。言いたいことは言いたい時に言っておかないと、手遅れになりますよ、とそんなことだけですから」
「ふーん」
「煽ったのは悪かったですけど」
「悪いなんて思ってないでしょ」
「はい、すみません、思ってません」
 ニッカは素直に認めた。あのまま放っておいたら、どれだけ時間がかかるか分かったものではない。
「もとい、煽ったのは確かに僕ですけど、まさか、色々すっ飛ばしていきなりその段階に行くとは思ってもみませんでしたよ」
 乾いた笑いを洩らすニッカに対し、ミュアは冷たく言い放つ。
「後始末は自分でちゃんとしなさいね」
「……はい」
 ニッカは頷きつつも、たちまち難しい顔になる。一度火がついた以上、鎮めるのはえらく大変だろうことは想像に難くない。
「まあ、私も面白がって焚きつけてたから、人の事は言えないんだけどね。あんまり深い考えはなかったことは認めるし」
 二人の身分も立場も、本人たちの性質もあって、まったく現実味がなかった。どちらにせよ、お互い好きなのだということだけで、まだ片付けられるものだと思っていた。
「そうか、でも、そうなんだ。次の年を迎えれば、私たち、大人なんだ」
 大人になるということは、自分以外のものに責任を持たなければならなくなることなのだと、神殿の説法でよく聞かされた。例えば、村に対して。例えば、配偶者や子どもに対して。
「やっぱり結婚となると話は別になっちゃうわよね。……種族だって違うのに」
 ミュアの何の気なしの呟きに、ニッカは苦く笑う。
「僕としては、それを理由に制止できる立場でもないので」
「あ……ごめん」
「いえいえ。一般的には止めておいた方がいいのは確かですしね。それに、一番の問題はそこじゃないのが問題で」
「そうよねー……」
 誰がどう考えようと、認められるはずもない。確かに身分だけを抜き出せば吊り合うかもしれないが。
「シードはいいんですよ、シードだから。どうにもならないんで。問題は……」
 そこでうつむき加減で考えつつ喋っていたニッカは口をつぐみ、ミュアを見やる。
「とにかく明日以降、働きかけてはみます。その後、もう一度相談ということで」
「了解。私は何かした方がいい?」
「いえ、とりあえず控えておいてください。どうにもならなくなった時にご出陣願うと思うので。あ、リームさんの出方を見ておいていただけますか」
「了解」
 リームの立場上、考え直すように説得する可能性が高いし、シードの性格上、反対されれば反対されるほど、余計に躍起になるだろう。こじれさせては先が面倒だ。
 シードは放っておいた方がいい。となると、接触できるのはもう片方しかなかった。

6-3

「どうして、承諾したんです?」
 問われたアピアは一度ニッカの顔を見やってから、ふいと目線を逸らした。返事はない。
「そんなことをすればどうなるか、分かっていなかったはずないと思うのですけど」
 部屋の中には二人だけしかおらず、邪魔の入る心配はない。ニッカはさらに重ねて疑問を投げる。
 ミュアにうまいところリームとシードを引きつけてもらい、出来た時間だった。
 あれ以来半週間、旅路は順調だったが、一行の空気はおかしなままだ。結婚宣言したはいいものの、それだけで自然体で話しにいけるはずもなく、シードは前と変わらずアピアの周りをうろちょろするばかりで、彼の動向を気にしてリームはぴりぴりしている。一方アピアは、この変な雰囲気を察していないはずないのだが、あの夜の事を撤回するでもなく、シードを諌める訳でもなく、かといって自分から彼に近づいていく訳でもない、微妙な距離を保っている。
 このままでは、状況は前より悪い宙ぶらりんだ。しかも、最後には破綻することが確定している。
 一応その間、ミュアとニッカも知恵を絞ってはみたのだ。もちろん、まずどうにかして成就させられないか、と考えてみた。
 結論は、やはりどうあがいても無理だろう、というところに行き着くしかなかった。
「シードはもしかして見逃してもらえるかもしれないよ。公爵様がどう出るかは難しいところだけど。でも、アピアは駄目でしょ、アピアは」
「駄目ですよねえ」
 二人して腕組みをして、唸るしかできない。
 次期国王の配偶者を、和議中とはいえ長年敵対してきた国から迎えて良しとするとは思えない。これが同種族で、昔のように小国が分裂しているような情勢ならありえた話だろうが。第一、その和議も決裂しかけている状態で、上層以外の人間には壁の向こうはいまだ化け物の国だ。
 もし暴露されれば、この前以上の内乱の種を蒔くことになる。あの時は、相手が波風立てずにこっそり乗っ取ろうとしたために、どうにか対処できたのだ。その余波が残っている今、下手に動けば一気に転がり落ちるだろう。
「きちんとした国交回復まで待つとしたら、どれぐらいかかると思う?」
「少なくとも、一代。それでも異種族婚は騒乱を呼ぶでしょうね。それ以前にシードがそんなに気が長いとは思えませんが」
 ニッカは肩をすくめ、ため息のように言葉を吐く。
「ひっさらったあげく、駆け落ちしかねないかと」
「いや、まあ、それ自体は良いとして、どこ逃げる訳? どっちの国に逃げようが、見つからずにいることって不可能でしょ」
「ですから、どっちの国でもない場所ですよ」
「それってまさか」
 自然と視線はそちらへと導かれる。草原の向こうに聳え立ち日々大きくなってくる山、それを越えたところ。
 魔の草原、そしてそれを踏み越えた先にあるという、《最後の魔法王国》テラーソー、かつて神の怒りにより滅ぼされたと伝えられる伝説の場所。
「いくら何でもそれは……」
 引きつった笑いを浮かべるミュアに対し、ニッカは問いかける。
「ないと思います?」
「やりかねない」
「ですね」
 唐突さと勢いだけが売りのシードだ。
 どこまで現状を理解して、どこまで結婚という代物の内容を把握して期待しているかは怪しいところだが、いざ夢破れたとなると、かんしゃく的に行動を起こすのは十分考えられる。その時は、もちろん後先など考えないだろう。
 しかもその場所は、今から向かうところの先なのだ。慎重な対処をしなければ、最悪の事態を引き起こしかねなかった。
 どちらにせよ、この状況の打破の鍵を握るのはシードではない。彼を説得できる可能性のある人物は一人しかいなかった。

6-4

 それはもちろん、当の相手であるアピアだ。
 シードの無茶な求婚とて、あそこで頷かなければ成立していなかったのだ。本人にはそのつもりはないにせよ、冗談として流すことも出来ただろう。
 どうして承諾したのかとのニッカの問いに、アピアは困った顔をして答えなかった。仕方なく、ニッカは畳み掛ける。
「まさか、本当にシードと結婚できるなんて、思ってませんよね? いや、実は問題なくできるっていうのなら、僕らも歓迎ですけど、それは」
 ひょっとしたら自分たちの量り知らぬ事情によって、可能なのかもしれない。それならば教えてくれれば気を揉まないで済む。
 しかし、アピアは静かに首を横に振った。
「僕の相手は、生まれた時から決まっているよ」
 アピアの立場を考えれば、それは当然だろう。
「だからこそ言ってるんですよ。その相手をシードが殺しかねないじゃないですか」
 まあ、殺すまでにはいかないにしろ、半殺しぐらいはしかねないと思う。
「殺せたらすごいな」
 ニッカは笑って穏やかにそう流すアピアに、眉をひそめる。アピアだってシードの性格は身に沁みて分かっているだろうに。もう冗談では済まないのだ。
 そんな内心が読み取れたのだろう。アピアはふっと息をつく。
「……ニッカは知らないのか。セピア、シードにしか言わなかったのかな」
 そして、変わらず唇の端に笑みを浮かべながら、呟いた。
「シードは知ってる。じゃなきゃ、あんなこと言わないもの」
 不意に、ニッカは嫌な予感を覚えた。
 聞かない方がいいぞ、と頭の奥から何かが語りかけてくる。ややこしいことになるぞ、と。
 今まではその声に従って、関わらない道を選んでいた。そうしていれば、必要以上の面倒には巻き込まれずに済んだのだ。村の皆だって自分には関わりたくないのだから、おあいこで、何の問題もなかった。
 問わなければ、聞かなかったことにもできる。いつものように、一歩引いたところから見ているのが楽でいい。
「……何の、話です?」
 けれど、その問いは口から転がり出て、問われたアピアは、伏せがちだった顔をニッカへと向ける。どこか焦点がぶれている、虚ろな色の瞳と目線がぶつかる。
「僕の体は、成人するまではとても保たない」
 告白は、やけに淡々とした響きを帯びていた。
「大分頑張ったつもりなんだけど、やっぱり駄目みたいだ」
 絶句するニッカに構うことなく、彼は言葉を重ねる。
「だから皆は心配することないよ。あれはシードの気遣いで、本気なんかじゃないんだから」

6-5

 そこでようやく、アピアが一体何を口にしているのか、ニッカは呑み込むことができた。疑問はたくさんあったがそれはまとまらず、かろうじて洩れ出したのは恥ずかしいほど上ずった声だった。
「ま、待ってください。成人って、そんな」
 それを受けるアピアは、対照的に落ち着き払った様子で独白を続ける。
「正直なところ、半年保てば良い方かな。出来るだけそんなことはないようにするけど、いきなり明日ってこともないとはいえない。その時には慌てなくていい。リタント側では承知してるから、知らせてくれればいいだけ。誰の責任もならないよ。ならないようにしてある」
「そんな、ならないはずないでしょう。リタントにとっては、次の王が壁の向こうで殺されたってことになるんじゃないんですか」
「建前としてはね。選定印を持つ年長者が継承者じゃないなんて、不自然すぎるからさ。いらぬ詮索をされるのは避けたかったんだ」
 息継ぎのように、再びついたアピアの息は、先ほどのものより長かった。
「最初からそう決まってた。王位を継ぐのはセピア。心配しなくても平気だよ」
 腑に落ちる。
 ゼナンに追い詰められた時、どうしてアピアは己を盾にして、こちらを逃がすような真似をしたのか。どうしてアピアが拉致された後、セピアは助けにいかなくてもいいと気持ちに反して言い出したのか。どうしてセピアが次の継承者についての問いに、はっきりと答えられなかったのか。
 セピアが正体を明かしたあの時、自分が言おうとしたことをニッカは思い出す。
 そう、アピアは最初から、自分の死を前提にしていた。
「生まれつき弱い性質でね。こんな年まで生き延びてしまったけど、本当はもっと早くにその時が来ると思われてたんだ。だから、セピアが生まれた時、そのことを知っている人たちはすごく安心したんだよ」
 そして、アピアは胸に手を突っ込み、そこから鎖を引き出す。しゃりしゃりと鳴る繊細な編み込みの途中に一つだけ、小さな石がぶら下がって出てくる。王子が身につけるものにしては、質素な代物だ。
「これが僕の命をつないでくれた」
 七色に煌く、奇妙な色合いの石だった。見ていると、どうにも落ち着かない、追い立てられているかのような気分になる。
「何なのか、聞いても構いませんか?」
「聞かれても答えられないんだ。分からないから。この石は僕が生まれた時に握っていたらしい。離せば胸から全身が苦しくなる。放っておいたら、たぶん死ぬだろうね、最後まで試したことはないけれど」
 手に取って見せてくれるよう頼もうかとの考えがニッカの頭をよぎったが、さすがにためらわれた。黙っていると、アピアは再びそれをしまい込む。
「ネッテ先生、先の事で亡くなられた僕らの従医先生なんかは、神の恩寵としか思えない、とか言ってたけど、どうかな。僕が死んで不必要になるまでは、うかつに調べられないからさ」
「……でも、そんな風には見えません」
 ニッカの呟きに、アピアは眉を上げてみせる。
「うーん、今ちょっと実験するのは怖いんだよね。やっぱり痛いし。シードに聞いてもらえば、何度か迷惑かけてるから……」
「それの話ではなく、アピアの体の話です。そんな風には見えません」
 さっきから気になっていた。アピアの口調はどこか他人事めいている。出来ることなら、性質の悪い、悪すぎる冗談であってくれればいい。
 けれど、ニッカの期待に反して、彼は普通に答えてくる。
「今は何だか調子いいんだ。前の時は……気が張ってたから」
「その調子の良さがずっと続いたりとか、しないもんですか」
「しないだろうね。ひょっとして成人まで保ったとしても、そこは越えられないだろうから」
「成人礼……ですか」
「うん、そう。こっちのは形だけなんだってね。僕らは結構きついんだよね、成人。といっても、僕も経験ないから伝聞な訳だけど」
 三足族にとって、成人礼とそれに続く一月あまりは性別を決定する儀式であり、期間だ。体が大きく変化する故、体力も使うという。ニッカはその話を父の本で読んだ時、自分にも来るのかどうか、来るのなら苦しいのは嫌だなあと悩んだものだった。
 今一度、問うように視線を投げると、それを受けたアピアは僅かに微笑むことで答えを返してくる。
 ニッカは悟らざるを得なかった。
 ……冗談では、ないのだろう。

6-6

「よくホリーラへの使節になる許しが出ましたね」
 そんなに瀬戸際なのに、得体の知れぬ異国へ送り出す覚悟ができたものだ。アピアが両親と再会した時の光景を思い出す。母親など、ほとんど号泣に近い状態で、すがりつくかのように彼を抱きしめていた。
「ごねたんだ、僕が。どう考えても一番適任だからね」
 地位的にも、経験的にも、確かにアピアが赴くのが効果的だ。壁の向こうへ行って交渉してきてくれ、と他のひとかどの地位がある者に頼んでも、まず快く承諾などしてくれないだろう。
「本当に僕で良かったよ。こうやって、聖山に向かうことが出来るんだから」
「これからどうするつもりなんです」
 ニッカは再び問う。先ほどから消えてくれない嫌な予感のせいか、飛び出た言葉の語気は、自分でも思わぬ強さになっていた。
 誘拐犯の指示通りに、聖山へと赴くのはまあいい。目立たぬために、同種族の護衛を引き連れずに動くのもありだろう。だが、明日も危うい身で、本人も周囲もそれを承知しているということを前提にするならば、それはおかしい。あまりにも、おかしい。
 果たして、アピアは首を横に振った。
「無理だ。あれには敵わない。シリルは取り戻せない」
 その違和感を払拭できるただ一つの答えが、ついに口にされる。
「対外的には、僕の立場はまだ次の王となっている。奪還の途上での第一王位継承者の死は、十分に釣り合う犠牲に見えるだろう。……文句の出ない痛み分けだ」
 リタントは寛大な心で王位継承者の死を赦す。対するホリーラもまた、赦さざるを得なくなる。両者共に被害者となり、その喪失に見合った補填が求められる。
「……それで、和睦交渉が再開されると?」
「不自然な流れじゃないよね」
 一面を切り取れば、確かに美談にすらなりかねない話だった。子どもへの突然の災禍が避けられないのならば、せめてそこには何らかの意味が、必然があったのだと、親ならば思いたいだろう。
「リームさんには申し訳ないことになりかねないけど、トーラー公爵なら、三足族を見殺しにしたということに関して個人的に罰を下したりはしないんじゃないかな」
「しない、でしょうね」
 ニッカは相槌を打つしかなかった。会ったのはほんの少しの間だが、少なくとも命じた配下に責任を押しつけて良しとする気性ではないことは察せられる。しかも三足族がらみなら尚更、庇う方向へいきそうだ。
 アピアは、かつての同行者たちとこっそり合流したいとの希望を盾に、周囲から不当な重圧を負わせられかねない近侍や護衛たちを遠ざけたのだ。
「ごめんね。皆にも嫌な思いをさせることになる。心配も、気遣いもさせるよね。でも、これが一番良かった。一番良い方法だったんだ。ごめん」
「それ以外の手段はもうないんですか?」
 聞きつつも、ニッカはそれが愚かな問いだとは自覚していた。あるのなら、こんな手段を取るはずもない。これが一番良い方法なのだろう。
 案の定、アピアはそれに対して直接答えようとはしなかった。
「本当に伏せておいて良かったよ。この前のことといい、今回のことといい、ちょうど良く僕の存在が目晦ましになってくれた」
 突き放すような明るさをまとった声で、彼は言葉を重ねる。
「この額の印も、石も、きっとそのために与えられたんだと思う。僕は、自分の役割を果たさなくちゃならない」
 意見などできるはずもなかった。今すぐに思いつくことなんて、きっと何度も考えられ、そして断念してきたことに違いない。よどみないアピアの答え方がそれを物語っている。
 そういえば、出会った当初からそんな印象だったと、ニッカは思い出す。
 アピアはいつだって、決めてしまっているのだ。けして相談することなく、判断を終わらせてしまう。隠さざるを得ない事情のせいもあっただろうが、それだけではない。セピアが時折向ける、アピアへの物言いたげな視線。そんな、セピアの所々の言動からもそれは窺えた。そういう性質なのだ、アピアは。
「最後に一つだけ」
 ニッカは諦めた。正面から想定されている攻撃を仕掛けたとて、防壁を崩すことは不可能だ。むしろ守りを固めさせるだけだ。
 だから、最初に戻る。
 最初の疑問、根源的な違和感に。
「何でいきなり求婚するのが気遣いになるのか、どうも良く分からないんですけど」
 そこを蒸し返されるとはどうも思ってなかったらしい。アピアは面食らった顔になって、しどろもどろに言葉を探す。
「それは……その……えーと……」
「第一、誰に対する気遣いなんですか、それ」
「いや、だから……僕の、あの、気持ちをさ、知ってて……どうせ叶わないんだし……」
 口ごもりつつもごもご話す様子は、先ほどまでとは全く違う。内容も、突っ込みどころが多すぎる。
「気遣いというのなら、頷く必要はないですよね。流してあげればお互い良かったんじゃないですか。リームさんなんて、真に受けて可哀相ですよ」
「あの、確かにそうなんだけど……でも……」
「どうして、承諾したんです?」
 どうやらごまかしきれないと覚悟したらしく、アピアはあちこちさ迷わせていた視線をおもむろに地面に落として止め、紅潮した頬を隠すようにうつむき加減になる。
「それでも、嬉しかったから、かな……」
 そして、ぽつりと呟いた声は、ほとんど聞こえないような小ささだった。

6-7

 二つ隣の部屋は、覗く前から騒がしい。開けて入ると、中央で言い争う二人はそれどころではないらしくこちらを見もしなかったが、側の寝台で腰掛けて見物しているミュアが目線を投げてくる。
 静かに横へ首を振って見せると、聞き出しに失敗したのだと思ったのだろう、彼女は軽く肩をすくめてみせる。
「こちらはどうです?」
 ニッカは潜めた声で問いつつ、彼女に近づく。見ての通り、というように、ミュアは中央の二人に視線を戻した。
「これだけ噛み合わないと、逆に面白くなってくるわ」
 主従でもあり、師弟でもある二人は向かい合って睨みあい、侃々諤々と言い合いを続けている。
「つまり、リーム先生はあいつが嫌いってことだろ」
「いや、だから、俺が嫌いとかそういう話じゃなくて。嫌いじゃないし、というか、俺が嫌いだろうがそうでなかろうが関係のない話じゃないか」
「なら、何で反対するんだよ」
「いや、反対とかいう問題でもないと……もう一度言う。落ち着いて考えてほしい。無理だろう?」
 余裕がないせいか、リームはすっかり敬語をかなぐり捨てている。遠まわしな言い方ではシードに通用しないことを、これまでの経験から学んでいるのだろう。
「ひょっとしたら、和平の関係であっちは了承するのかもしれない、その辺りは向こうの問題だから置いておくとして。こちらの問題を考えよう。こんな話、お館様が頷くはずない。人柄とかの問題じゃないんだ」
「親父なんざ何の関係があるんだ」
「あるに決まってるだろう、結婚ってのは個人の問題じゃ……」
「さっきから個人とか問題とか訳が分かんねー! 俺の話だろ! 何が問題だよ! つまり、あいつが気に入らないんだろが!」
 会話が元の位置に戻ったのを確認して、ニッカは一応ミュアに尋ねてみる。
「こんな感じで、ずっと?」
「ずっと」
 アピアとニッカの話し合いを邪魔しないように二人を引き止めておくと言ったものの、ミュアの出番はなかったようだ。むしろ放置しておいた方が長引いたらしい。
「そっちは終わったの? やっぱり答えてくれなかった?」
「ええ……まあ」
「そっか。私が聞いても無理かなあ」
「止めておいた方が良さそうな感触でしたね。それより、そろそろ止めた方が良くありませんか?」
 ミュアからの問いをさらりと流し、ニッカは険悪度を増してきている二人を指差す。何順目の問答かは知らないが、繰り返せば解決するという問題でもない。
「そうね。もう時間稼ぎの必要もないし、参戦するか」
 ニッカの誘導に特に疑いもなく、腕まくりしながら二人の間に彼女は割って入っていった。そして、二人を無理やり引き離しにかかる。
「はいはいはい、ちょっと確認させてほしいんだけど」
「何だよ」
 不毛な言い合いですっかりむくれているシードの胸に、ミュアは指を突きつけて問う。
「結局のところ、シードはアピアのことをどう思ってるから結婚したい訳?」
「俺の物で、他の奴の物じゃないから、つまり結婚すりゃもう取られないんだろうが」
 しかし、ずれまくったろくでもない理由を胸を張って語られては、さしものミュアも返す言葉がない。
「根本がひん曲がってるっていうか、歪んでるっていうか、駄目だわ、こりゃ」
 その癖、態度は真っ直ぐ極まりないので始末が悪いのだ。彼女のぼやきにもすぐ食いついてくる。
「だからお前ら、何が言いたいんだよ」
「いーい? 私はね、気持ちを聞いたの。勝手この上ない理由なんて聞いてないの。ニッカだって、あんたにいきなり求婚しろって言った訳じゃないの。さっきから聞いてれば、全然このこと言ってないよね? じゃあ、はっきり聞かせてもらうけど、アピアのことが好きで好きでたまらないから自分の物にしたい、結婚したいってことでいいのよね?」
「なっ……!」
 途端に、シードは言葉を詰まらせて、目を白黒させる。分かりやすい反応の速さだ。
「んな事、言ってないだろが!」
「言ってないから聞いてるんでしょうが!」
 これは明らかに分が悪い。開き直ってふんぞり返るミュアに、シードが勝てるはずもない。
「う、うるさい! お前らには関係ないだろ!」
 結局、逃げるしか手がなくなったらしかった。捨て台詞を残して、シードは部屋を出ていってしまう。
 そんな光景を見やりつつ、ニッカは誰にも聞かれないように小さな呟きを洩らす。
 シードが知ってるなんて、そんな訳ないじゃないですか。ましてや気遣いなんて。
 もちろんアピアだって、そんなことは分かっているのだ。分かっていないはずがない。分かりたくないだけだ。
 たぶん、今の状況を一番把握しているのは、自分ということになるのだろうとニッカは思う。村にいた頃の自分なら、この状況も構わなかった。さて次はどうなるのかと、高見の見物をしていれば良かったのだから。
 知ることは自分の望みだ。
 けれど、知りたいことだけを知ることは出来ない。いつまでも観察者であり続けることなど、出来ないのだ。
 やっと実感し始めたその事実は、胸にひどく重かった。