Southward

第一章 人の章

「信頼と絶望」

11-1

 ごうごうと風は正面から吹きつけ、行く手を阻む。進む度に砂礫が顔にぶち当たり、ばちりと音を立てた。
 むしろ楽しくなってきて、シードは何故か大笑いしながらその中を突き進んでいる。口を開けると砂が入ってくるので、閉じたままのそれはむしろ唸りに近い響きではあったが。
「おい、どっちだ」
 風の層を走り抜け、視界が開けたところで、シードは片手に引きずっている青年にそう尋ねた。
「し、知らないよ!」
 生耳族の青年は顔を引きつらせながら、そう答える。それは最初に一行へ声をかけてきた男だった。逃げ惑う盗賊たちの襟首を適当に掴んだら、見事引き当てたという訳だ。本当はもうちょっと下っ端じゃないのが良かったが、まあこれはこれで扱いようがある。
「埋まりたいか?」
「……あの、調べるのに時間がかかるという意味で」
 五歳ほどは年下だろうシードの脅しにも、即座に反応してくれる。例えば経験を積んだ中年の男相手ではこうはいかなかっただろう。
 もちろんここに来るまでの積み重ねがあり、一度頭の先まで埋めてやったからこその素直さではある。彼はもそもそと懐から地図と方位磁石を取り出し、計測を始めた。
「でもですね、何度も言った通り、拠点は幾つもありまして、こうなった以上位置替えをした確率は大変高いものかと」
「全部回りゃいいだろ」
「水がもちませんよ」
「頑張れよ」
「頑張れません。今だって、喉が渇いてしょうがないです。さっきから全然飲ませてくれないじゃないですか」
「アジトに着くまで、お前にやる水はない」
「勘弁してくださいよー」
 青年はすっかり下手に出ることにしたらしかった。途中で倒れられても面倒だと思ったシードは、仕方なく水を差し出す。
「旦那は飲まないんですか?」
「変な呼び方すんな」
「じゃあどうお呼びいたせば?」
「変な敬語も使うな。名前で適当に呼べよ。シードだ」
「俺はソリッツっす」
「お前の名前なんて聞いてねーよ」
 シードは彼の名乗りを邪険にあしらう。
「それより場所は分かったんだろうな」
「水ぐらいゆっくり飲ませてくださいよ」
「ほざけ」
 とりつくしまもないシードの態度に、ソリッツはため息を吐いて見せた。
「あー、貧乏くじ引いた。こんなんだったら、ちまちま地図売ってりゃよかった」
 そして口の中でぶつぶつ文句を唱えつつ、また地図へと向き直る。腕を組んでその様子を見下ろしながら、シードは彼に話しかけた。
「お前ら、何で俺らを狙った訳?」
「町で見て、結構いい感じだったから、ひょっとしたらおいしいことあるかなって……痛い痛い痛いっ」
 最後はシードが耳を引っ張ったための悲鳴である。
「お前限定の話なんて聞いてない」
 思い切り引っ張られた耳を庇って、ひどいな、繊細な部分なんだから、などと言っていたソリッツだが、シードに睨まれて渋々まともに答える。
「普段はあんまり扱ってないんですよ、人は。面倒じゃないですか。でも良くは知らないけど、近頃不出来子に高い値がつくとか。誰か物好きがいるんじゃないっすかね」
「はあん」
 シードは相槌のように鼻を鳴らした。
 良く分からないが、気分の良い話ではなさそうだ。別に詳しく聞きたくもなかったので、他に気になることに話を切り替える。
「あと、あの鳥何だよ」
「いやあ、さすがにシードさんでもそのことを話す訳には……イタタタタイッ」
「ちぎるぞ」
「昔はよく使われてたそうですけどー、何か仕込むのが難しいとかで今は珍しくてー、うちの秘密兵器なんすよ」
「へえ。誰でも乗れるのか」
「そりゃ無理っすよ。厳しい訓練と努力をもってしてですね……」
「面白そうだな」
 あれに乗って砂地を走り抜けたら楽しそうだ。是非一度試してみたい。無駄にやる気を高めたシードは、ソリッツから水筒を奪い取った。
「よし、行くぞ。どっちだ」
「あ、え、えーと」
「……埋めとくか」

11-2

 いつから見られていたのか、彼らは目標がここにいることを確信しているらしかった。等間隔に小屋を取り囲んだ様子からは、逃がさないという意志がはっきりと読み取れる。最初はやり方が甘かった彼らも、回数を重ねて次第に手段が強硬になりつつあるようだ。顔を隠しているのも、どんな強引な手を使っても良いようにだろう。ミュアたちにとっては有難くない。
「車もありますね」
 男たちの後ろには鹿車が控えている。
「やっつけれるかな」
 ミュアはとっさに近くにあった剣を手に取った。元々シードのもので、あの時以来アピアが持っているものだ。シードやアピアは軽々と操っていたが、実際持ってみるとそれなりの重みがある。自分が使うと成す術もなく振り回されそうだ。
「僕はシードじゃないし、ミュアはアピアじゃない。その選択肢は考えるだけ無駄です」
 ニッカにもあっさり却下される。
「じゃあ、どうすればいいの?」
 ミュアの問いに、車から持ってきた荷物を熱心に検分していたニッカは振り向いて、その単純な答えを返してきた。
「僕らが出来ることをするだけですよ」
 やがて階段を軋ませる音が、そして扉を叩く音と呼びかける声が外から響いてくる。
「おい、聞こえてるな」
「……何ですか?」
 ニッカがそれに答えると、相手はストレートに要求を伝えてきた。
「そこにいる兄弟をこちらに引き渡せ」
 そこでニッカとミュアは少し顔を見合わせる。セピアがいないことを知らないのだろうか。どちらにせよ、駆け引きの始まりのようだ。彼らが三足族でアピアとセピアを捕まえようとしている、という以上の情報は自分たちにはなく、少ないカードで挑まなければならない。
 ニッカは扉の前に立ち、きっぱりとした調子でまず要求した。
「階段から降りてください。そうしてくれないと、交渉は受けかねます」
 扉の向こうの男は一瞬戸惑ったようだった。
「声が聞こえないだろう」
「こちらが外に出ます」
 しばらく待つと、ぎしぎしという音が響いてきた。薄く扉を開けて人がいないことを確認し、ニッカは外へと出、扉を再び閉める。
 先ほど話しかけてきたと思しき男は、階段の下でニッカを待ち構えていた。正面突破を恐れてか、その脇にもう一人大柄な男がついている。
 それにしてもこの小屋の底上げ構造は、現在の状況において都合が良い。飛べない彼らが上にいきなり踏み込むことは不可能だ。壁や柱を登ろうとしても、老朽化しているので倒壊する恐れがある。そして階段は並んで登れるのはせいぜい二人までで、ニッカの位置に得物を持った人間がいれば叩き落されるので突破は難しい。
 とはいえ、ここで篭城戦など仕掛けたら音を上げるのは間違いなく自分たちの方だし、今だって男たちの中の一人が弓を持って狙っている。打たれたら死んでしまう。
 話を聞いてもらえるほどには厄介に、強制排除を食らわない程度に柔らかく。
「僕はニッカ=タイカ=ソールと申します。貴方のお名前は?」
 とりあえず名乗るところから始める。それは向こうにとっては不要な段階なので、階下の男はあからさまに顔をしかめる。
「名乗る必要はないと思うが」
「お話しするのに、名前も知らないままでは落ち着かないので」
「……トーニナだ」
 ニッカに退かない姿勢を見たのか、本名ではないだろうが男は渋々名乗った。
 彼らにとって、自分とミュアは単なる障害物としてしか見なされていないはずだとニッカは考えている。最初にこちらを人間だと認識させるための切り出しだ。そうなってようやく本当の意味での交渉が可能になる。
 しかし、相手の要求が人間なだけに妥協するのは難しい。半分あげるから勘弁してください、という訳にはいかないのだ。そういった意味で、交渉が成立することはないだろう。
 ニッカに出来ることは可能なかぎり時間を稼ぐこと、そして相手から情報を引き出すことだった。

11-3

 そこは岩にうがたれた通路で、辺り一面に広がる岩場のあらゆる穴からつながっているように見える。日は遮るが、入ると案の定地面からの熱で蒸し暑い。
「ほら、いませんよ。いないでしょう、ね?」
 何故か得意げにソリッツはそう聞いてくる。時々分岐する通路の先の行き止まり部分には確かにそれらしき荷物が幾つも放置してあるが、人の姿はどこにもなかった。
「本当にここがアジトなんだろうな」
「そりゃもう。嘘なんかついたら絞めるでしょ?」
「絞める」
 ソリッツの返事は嘘くささ芬々だったが、最近ここに大人数が駐留したのは間違いがないようだ。時折食べ散らかした後が残っているのが真実味を増している。鹿車を繋いでおくためらしい場所もあり、藁草と糞の臭いが熱と共に立ち昇ってきていた。
 シードは顔をしかめながら見て回ったが収穫はなく、いつの間にかいなくなったソリッツの姿を探す。彼は呆れたことに外で保存食をかじって待っていた。
「他のとこに案内しろ」
「えー、勘弁してくださいよ。もう陽が暮れますよ、ほら」
 ソリッツの言う通り、太陽は光を失いはじめていた。すぐに暗闇が辺りを治め始めるだろう。
「関係ないだろ。行くぞ」
 しかしそんなことをシードは気にしない。無情に下す決断に、ここで休むつもりだったソリッツは不満の声を上げる。
「あのですねー、そんな焦んなくても平気ですって。そんなすぐにひどい目に遭わせる訳ないでしょ。俺らを何だと思ってるんですか」
「盗賊」
「正解」
 シードは無言でソリッツの喉元を掴むが、彼は吊り上げる前にじたばた抵抗して、そこから逃れた。
「いやいやいや、だから、捕まえた奴いたぶっても意味ないでしょ。売るんだから。大事に扱われますよ、それなりには」
 彼の口調は変わらず軽かった。何の根拠もないその言葉にシードが説き伏せられるはずもないが、彼は話の矛先を変えて攻撃を続けてきた。
「あの捕まったガキ、身内だったり、何か義理があったりするんすか?」
「……いや、別に」
 そう問われればこう答えるしかない。勢いのままに追撃に入ったが、よく考えれば追う理由はないはずだ。
 そんな事情を知らないくせに、ソリッツはなおも言い募る。
「じゃあもういいでしょ。見つからなかったってことで終わりにしましょ、ね?」
 そう言って合流したらどうなるか。
 ミュアは怒るだろう。ニッカは怪訝な顔をするだろうか。そして、奴は。
 自分には関係ない。気にすることじゃないだろう。
「諦めましょうよ」
 あいつらは、三足族だ。
「適当なとこで諦めないと、生きにくいですよ、ほんぶっ」
 すぐ後ろで囁いていたソリッツが、突然奇妙な声を出して黙った。見ると、ぼたぼた血を洩らす鼻を押さえて唸っている。シードは眉をひそめ、やっと自分の左拳が握られていることに気づいた。
 やったのは自分だ。
 言葉より先に手が出ていた。
「うるさい」
 そして、シードはすっとした。
 それが結論なのだ。
 思わぬ反撃を食らってうずくまるソリッツに、シードは問いかけた。
「人はめんどくさいって言ったな、お前。大事な商品だとも」
「言いましたよ。言いましたとも」
 ふてくされた口調でソリッツは答える。
「確かにここはアジトの一つなんだろうけどよ、俺らを捕まえた後、ここに戻ってくる予定じゃなかったんだろ?」
 ここは大事な商品を置いておける場所ではない。暑さは体力を奪い、食料の調達も難しいだろう。察するに準備庫のようなところだ。
 ソリッツは沈黙した。シードは唇に笑みを浮かべ、宣言する。
「行くぞ」
 余計なことを考えるのは性に合わない。動いて気持ち良い方にいけばいい。それが一番間違いがない。
 ただ心だけが自分を導く。

11-4

 名前を聞きだすところまではうまくいった。しかし、それはあくまでとっかかりに過ぎない。これからいかに彼らの耳目を惹きつけるかが勝負になる。
「トーニナさん、先に言っておきますけど、弟の方はもうここにはいませんよ」
「……どうしてだ」
「さあ。どうしてだと思います?」
 挑発するつもりはないのだが、口調がそうなってしまいがちなのは自分の悪い癖だ。ニッカは反省しつつも、今はそれを最大限に生かすことにする。
 ざわざわとした動揺が三足族たちに広がるのが見えた気がした。はったりではなく、彼らは本当にセピアが連れ去られたことは知らないのだ。
 それは、あの盗賊と彼らは無関係だということでもある。彼らがセピアを手にしているのなら、それを交渉の材料にしてこない訳がない。今までの様子からすると、セピアを盾にすればアピアはどんな条件でも呑みそうだった。
 トーニナは隣の大男と二言三言相談していたようだったが、やがて覆面の間から覗かせた目をニッカに向ける。
「嘘ではないだろうな」
「そんなすぐばれる嘘はつきませんよ」
「では、兄の方だけでいい。さっさと渡してもらおう」
 てっきり弟の行方を問い質されるかと思っていたニッカは、いきなり再要求をされて段取りが狂った。もう少しこの話題を引っ張り、あわよくば盗賊のことを教えて相討ちを狙ってみるかという考えは捨てなければいけないようだ。
「渡せと言われても、物じゃないんですから。僕が頷いても意味ないでしょう?」
 仕方がないので、次のネタ振りをする。
「意味はあるんじゃないのか? 本人が出てこないんだからな」
 返事からアピアが出てこられない状態であることは把握しているようだと、ニッカは類推する。アピアが普通の状態だと思っているなら、時間稼ぎを警戒して本人を出すように強く言ってくるはずだ。
「……引き渡すのは構いません」
 大体の状況を確認できたので、ニッカはついにそう切り出した。背後からの物音も一段落したようだ。
「僕らはあいつらに信用されていないようで、何も聞いてませんし、そんな相手に命をかける義理はありませんから」
 さすがにこの台詞でトーニナたちがほいほい喜ぶ訳もなく、警戒の眼差しはまだ注がれたままだ。だから相手を安心させるために、こう言い出す。
「その代わり条件があります」
 取引を持ち出して、ようやく彼らは納得の色を目に浮かべた。
「まず、渡した後の僕らの安全を約束してください。これは絶対条件です」
「それは約束しよう。私たちは関係のない者を巻き込むつもりはない」
 トーニナからの返事はあまりにも早く、ニッカはむしろ殺意を疑ってしまう。先ほどのトーニナたちもこんな気分だったのだろう。相手があっさり譲歩してくると、裏を探ってしまうのだ。
 彼らの背景を知らない以上、慎重すぎるほど慎重なくらいでちょうど良い。
「申し訳ないのですが、何しろこちらは非力な子供ですので。口約束だけでは不安なんですよ」
「武器を捨てろと?」
「そりゃ、そうしてもらいたいですけど……正直、武器なしでもそっちは簡単に僕らを殺せると思うんですよね」
 大人と子供の体格の差はやはり埋めがたく、武術の心得のないニッカとミュアに勝ち目はない。
「だから、僕らは鳥を持っています」
 そこでニッカは足元に用意してあった鳥籠を高々と差し上げた。急に動かされて驚いたのか、鳥はジュクジュクとさえずる。
「小屋の中にもう一匹います。もし僕に危害が加えられたら、即座に離すように言ってあります。文の内容は……分かりますよね? ここから壁までずいぶん遠い。手配されたら逃げ切れないでしょう」
 実のところ、これは鹿車の中にいた鳥だ。つまり、離してもきっと盗賊の拠点に飛んでいくだけだろう。だが、セピアのことを知らなかったトーニナたちは、このことも知るはずがない。
「分かった分かった。そこまでしなくとも、お前たちの安全は保障する。おい、弓は下ろしておけ」
 ニッカの緊張は、男たちに余裕をもたらしたようだった。トーニナは苦笑いしながら、随分と砕けた口調になって請け負う。
「で、他の条件は?」
「……水と食料を」
「足りないのか?」
「地図が間違っていて迷ったんですよ。一人減れば、それだけ楽になります」
 嘘ではないだけ、うんざりした顔がうまく出来たと思う。場には何だかなごやかな空気さえ漂い始めた。シードだったら馬鹿にされていると怒り出すかもしれない。
「他にはあるのか?」
「欲張るのは止めておきます。命あっての物種ですから」
 話しているうちに、トーニナの横に食料と水が積まれていく。彼はそこに自分の懐から地図を出して差し込んだ。
「おまけをつけてやる。これで交渉成立だな」
「はい。あの、寝かせてあるんですけど、どなたか運びに来てもらえますか?」
「……いや、そこまで連れてこい」
 小屋に入るとなると、自然少人数になる。不意打ちを恐れたのだろう。完全に油断している訳でもなさそうだ。
「分かりました。お待ちください」
 ニッカは頷き、小屋の中に入る。その際に扉を閉めたことに、トーニナが不審を抱く暇は与えられなかった。
 突然、辺りに甲高い悲鳴が響き渡った。咄嗟に身構える男たちの前で、小屋の一階の壁が蹴破られ、兎鹿が姿を現す。その後ろには鹿車がつけられ、がらがらと車輪を鳴らしている。慌てて避ける男たちに目もくれず、鹿車は一目散に走り去った。
「お、追え!」
 呆気に取られたトーニナがその指示を出した時には、車は砂丘の向こうに消えつつあった。

11-5

 声を上げるのも、泣くのも、止めることにした。喧騒が遠ざかり、自分が一人であることが分かったからだ。
 悲鳴も涙も押しとどめていると、それが不安に変わって体の中に満ちていき、間断なく訪れる揺れがすべてをかき回しごちゃ混ぜにする。時折外から聞こえてくる耳障りな高い音も心をかき乱す。気持ち悪い。四つんばいに近かった不自然な姿勢を、袋に添って寝るような形に変えると少し楽になった。
 自分は吊るされている。
 セピアは、獣の臭いが漂ってくる薄暗闇の中で考えた。
 何が起こったのか。そしてどうすればここから逃げ出せるのか。
 今暴れてもたぶん無理だ。自分を包んでいる膜はアーネ麦の茎を編んだもので、刃物を持っていれば穴を開けられたのに、と彼は歯噛みする。
 そんなものは持ちたくないと思っていた。殴りあったり、斬りつけあったりするのは嫌いだった。優しいね、とアピアは言ってくれるが、そうじゃない。ただ単に怖いからだ。
 あの時、アピアはためらわずに後ろの男の喉を切り裂いた。暖かいものが首筋に降りかかった瞬間、男の緩んだ手から自分の体はひったくられ、飛んだ。
 あの人は無事じゃないだろう。口に当てられた大きな冷たい手のひらの感触を思い出す。
 そして、アピアだって平気なはずがないのに。
 不意に揺れが止まる。
 状況を計る前に、無造作に袋は地面に放り出された。セピアは腰骨を打ってしばし呻く。
「しーんとしてんな。生きてっか?」
 袋の口が開かれ、生耳族用の帽子を被った中年の男が覗き込んでくる。その顔面に幾つも傷が走っているのを認めて、セピアはぎょっとした。それを怯えていると勘違いしたのか、男の顔に苦笑いが浮かぶ。
「飲んどけ」
 紐のついた水袋を投げて寄越し、男はセピアに背を向けた。セピアは一口だけ含んで乾いた口の中を濡らし、辺りを観察する。ここは岩場が削り取られて壁のようになった半洞窟めいた場所で、窪みにはまってしまえば離れた場所からは見つけにくい。暮れかけた陽光の元では一層だろう。
 セピアの隣にはあの巨大な鳥が待機している。足を折って座っていても大きい。目を閉じておとなしくしているからいいものの、さっきのように立ち上がられたら踏まれないか冷や冷やするだろう。硬い毛で覆われた胴には布がぐるぐると巻いてある。男はあそこにまたがっていたのだ。
 何となしに手を伸ばして胴体の部分を撫でると、鳥はわずかに身じろぎしたが、嫌ではないらしくじっとしたままだった。
「僕、どうなるの」
 半分だけ体を外に出し周囲を窺っている男の背中に、セピアは声をかける。男は振り向かないまま答えた。
「あ。あー。どうだろな。まあ、なるようになるんじゃないか」
 全然答えになっていない。
「お家に戻されるの?」
 そこでセピアが鎌を掛けてみると、男の視線がわずかにこちらに向けられた。
「……お前、家出坊主か」
 セピアは目を逸らして黙り込む。すると男は勝手に色々悟ってくれたらしい。
「あー、そうか……何だな、それじゃあきっと家よりいいとこだよ、たぶん」
 やはりそれは答えになっていなかったが、分かったこともある。少なくともこの人は自分のことを何も知らない、ということだ。
 水袋の紐を手に巻きつけ、握り締める。袋はまだ重い。しばらくは保つはずだ。セピアは音を立てないように立ち上がった。
「ほら、すぐに友達も来るだろうから……」
 男は相変わらず視線を外に向けたまま、もごもごと喋っている。セピアは慎重に距離を詰める。元々さほど離れていなかったので、時機はすぐに訪れた。
 射程内に男が入った時、セピアはごめんなさい、と心の中で唱える。そして、一気に振り下ろした。
 狙いは誤らなかった。たっぷりと水が詰まった袋は、男の向こう脛に叩き込まれた。
 不意打ちに、男の喉から空気と呻きが交じり合った音が洩れる。間髪入れず、セピアは再び腕を振り上げて、その丸まった背に二撃目を打ちいれた。たまらずよろける男の腰からセピアは短剣を抜き取る。それ以上その場に留まるような愚を彼は犯さなかった。
 セピアが走った先は、ゆっくりと休憩をむさぼっている鳥のところだった。胴に巻かれた布を掴み、その背に飛び乗り、自分の腰に水袋と短剣をくくりつけ、自由になった両手で手綱を掴む。目的のものは綱からぶら下がっていた。
 自信がある訳ではなかった。しかしその賭けにセピアは勝った。
 笛を吹き鳴らした途端、鳥はてき面に反応したからである。跳ね上がるように立ち、一心不乱に走り出す。ともすれば振り落とされそうで、セピアは必死に布にしがみつく。
 本当は吹き方に法則があり、それに従って鳥は動くのだと思う。けれど、それを模索している余裕があるはずもない。それ以前に最初の音が鳥の変なツボを押した様子で、その後にいくら吹いても反応してくれない。こうなったらもう鳥まかせにするしかない。
 どちらの方向に進んでいるのかすら分からないまま、セピアは獣臭い鳥の背に顔をうずめ続けた。

11-6

 しかし、全員が車を追った訳ではない。トーニナは自分たちの鹿車に半分だけ乗せて追わせ、残りをその場に留めていた。
 あの車に乗って逃げたと素直に考えるには、あまりにも状況が不自然だったからだ。
「行くぞ」
 各々が短剣を抜き放ち、三人が二階へ、二人が一階へと向かう。トーニナに率いられた二階組は、鍵の掛かった扉を蹴り開け、中へと転がり込む。
 最初に目についたのは、床に開いた大きな穴だった。割れた部分の劣化具合からして、誰かが開けたというより、老朽化して割れたといった感じだ。その穴に、中央の柱に結ばれた縄が垂らされている。
「ここから降りたんですね。下に足跡が残ってます」
 一階組からそう声が掛かる。
「間違いないか」
「新しいし、小さいですからね。ほぼ間違いないかと」
 そのやり取りの間にも、残りの二人は隅にかかっている布を剥ぎ取ったり、寝台を覗いたりしていたが、何も見つけられない様子だった。
「下にもいないか」
「いないです。隠れる場所もなさそうですね」
「そうか」
 では、ここから逃げたことは間違いなさそうだ。あの車に乗っていたかどうかは別にして。
 夕闇が迫ってきている。探索が出来る時間はあと僅かなようだ。
「じゃあ、小屋の周辺で足跡を……」
 言いかけた時だった。ごう、という音が響き、小屋が揺れる。天井に開いた穴から黄色い砂がぱらぱら降り出した。
「砂嵐か」
 間の悪い到来に、トーニナは舌打ちをした。これでは足跡が残っていても消えてしまうだろう。砂嵐はしばらく小屋周辺を蹂躙した後に、ようやく去っていった。気がつくともう陽も暮れている。
 一階組の無事を確かめ、一応小屋の周りを探索してはみたものの、やはり足跡は見つけられない。トーニナは早々に切り上げさせた。
「仕方がない。車と合流するぞ」
 あの少年の思わせぶりな態度がこちらを分断するためだったとしたら、まんまと策にはまってしまった訳だ。それにしても、子供二人を捕まえるだけなのだから楽な仕事と思っていたのに、こうも手がかかるとは思わなかった。やはり前の奴らとは違い、自分はこういう仕事には向いていないと、トーニナは息を吐いた。本国からの応援が来たら、自分はさっさと中継任務にでも戻りたい。もちろんそうはいかないだろうが。
 集まってきた部下たちを率いて、車が去っていった方向へ彼は歩き出した。
 その姿が砂丘の向こうに消えて少しした後、風もないのに小屋の天井の穴から砂が降る。続いて、ずるりと大きな塊が穴を通って落ちてきた。それは床にぶつかる瞬間、急に速度を落として静かに着地し、くたくたと崩れ落ちる。
「し、死ぬかと思った」
 アピアを抱きかかえた姿勢で床にへたり込んだミュアはそう呟く。上から顔を出してニッカが答えた。
「飛ばされなくて良かったですよね」
「洒落にならないわよ」
「すみません、落ち着いたら縄お願いします」
 また砂嵐が来たら大変なので、床にアピアを横たえるとミュアはすぐに屋根まで飛び上がった。砂まみれのニッカが彼女を出迎える。
 ニッカが交渉に出た後、ミュアは何とかアピアを抱えて屋根の上へと出たのである。そして上から縄を垂らし、戻ってきたニッカを引き上げ、男たちが去るまで屋根で身を潜めていたのだ。
「お手数をかけまして」
「いえいえ」
 ニッカが無事に降り、やっと二人は落ち着くことが出来た。男たちが戻ってくる可能性があるのでこの小屋に留まるのは危険だけれど、今夜は体を休めるためにも離れる訳にはいかなかった。灯りは目立つため、暗闇の中での一夜になるが。
「砂嵐のことはあるけど、何で屋根を調べなかったんだろ?」
「盲点なんでしょう。僕らだったら、下だけじゃなく上も疑いますけど」
「あー」
 もちろん彼らだって、知識としてはあるのだろうが、実感としては薄いのだろう。ミュアだって、性別を持たないというのがどんな感覚なのか分かるはずもない。
「あとはシードがセピアを連れてくれば、とりあえずめでたしですか」
「そうね」
 とにかく疲れて、もう頭が回らない。ミュアはアピアを寝台に戻すと、着替える気力もなく自分もまた寝転がった。

11-7

「おーい。何だありゃ」
 元気いっぱいのシードに引きずられて、夜の熱地を旅していたソリッツは半ば寝ていたが、その声と共に叩き起こされた。頭が痛い。寝ていたというより、半分気絶していたといった方が近いかもしれない。
「こっち来てないか?」
 かすむ視界を元に戻そうと頑張っている最中にも、シードは無理に彼の顔を指す方向へ突き出す。ソリッツは心の中で舌打ちをしながらそちらを見て、怪訝な顔をした。
 砂煙だ。
 それ以外に表現のしようもない。砂の舞い上がっている高さがさほどでもないので、嵐ではないようだ。やがて月明かりでもその形が見て取れるほど近づいた時、ソリッツの顔は期待に緩んだ。
 ぼんやりと浮かぶ形は確かに見覚えのある、あの鳥のものだったからである。皆が遅いので、ドニャスさんが様子を窺いに出てきたといったところだろう。これでこのくそ生意気な目つきの悪いガキからおさらばできる。
「何だ、あの鳥じゃねーか」
 ソリッツが言うまでもなく、その頃にはシードも相手の正体を悟っていた。しかしその表情はソリッツの予想に反してにやにや笑っているうえに、荷物を地面に捨てて腕まで回しはじめている。
「あの……何なさるおつもりで」
「止める」
 鳥はまだ遠い。
 それがかなりの早さで大きくなってきている。つまり、明らかに速い。そして、ついさっき鳥の存在を知ったこのガキが、ちゃんとした止め方を知っているとは思えない。
「まさか体当たりするとか言わないっすよね」
 嫌な汗が額に染み出すのを覚えつつ、ソリッツは確認した。
「それ以外に何があるんだよ」
 頭沸いてんのかこいつ、という言葉は、すんでのところまで出掛かったが、押し留められる。代わりに喉から洩れたのは曖昧なため息のような代物だった。
「はあ、左様で」
 ソリッツには当然止める気もない。轢き殺されるなら、それはそれで構わない。自分が危なくないように、彼はそろそろとシードの側から離れる。その間にも鳥はまるで狙っているかのように、こちらへ一直線に駆けてきていた。あんなに遠かった距離はすぐそこまで詰められている。
「よし、来やがれ!」
 待ち受けるシードが構えて吼える。
 次の瞬間、彼は跳ね飛ばされていた。
 呆然と見守るソリッツの目の前を砂煙は通過していき、それが晴れた後でようやく反対側に突き刺さっている彼の姿を発見できる。
「おいおいおいおい、死んだか?」
 予想通りに起きてしまった惨劇に、おっかなびっくりソリッツは駆け寄る。右上半身から斜めにつっこんだ体勢のまま、シードは動かない。
「アホだな、こいつ」
 何だかやりきれない気持ちになって、ソリッツが出ているシードの背中を叩いた時だった。びくりとその体が動いて、彼は反射的に飛びのく。すると、中途半端に出ている左側と下半身がもがき始めた。変な風に埋まっているので抜けにくいらしい。
「はいはい、ただいま」
 ソリッツは思わずそう返事をして、シードの両足を掴んで引っ張った。どうして手伝っているのかと我に返った時にはすでに遅く、シードはほとんど砂から掘り出されていた。少年は顔に大きな擦り傷を作っている以外は特に外傷もなく、砂を払いながら遠くを睨みつけている。そして最初に洩らした言葉はこうだった。
「タイミングの問題だな」
「んな訳ねーだろ!」
 どんなに力持ちだろうが、あんな風に振り切られる足を止められる訳もない。首の骨を折らなかったのは単なる幸運だ。
「ありゃ暴走状態だよ。無理だ。上に誰も乗ってなかったの、見てないのか!?」
 それにドニャスの姿がその背に見当たらないのを、通り過ぎる際にソリッツは確認していた。何があったのかは分からないが、鳥は単独で駆け回っている。
 しかし、親切な警告は頭を平手ではたかれることで返された。シードは相変わらずどこか上の空で、遠くを睨みつけている。
「嘘つけ」
「う、嘘なんか……」
「暴走状態ってのは、わざわざ戻ってくるものなのか?」
「え?」
 慌てて振り向くソリッツの視界に、駆け抜けていったはずの鳥がまたこちらに向かってくるのが映った。迷走しているといった感じではない。そこからはこちらに向かう意志が感じられる。
「何で……」
「何でって、乗ってる奴がこっち指してるだろが」
 シードがあまり平然と言うので、暗さで見誤ったのか、自分の目がおかしいのかとソリッツは思う。生耳族である自分の方が夜目は効くはずなのに、いくら目をこらしてもそんな姿は見当たらない。大体おかしいのだ。乗っている者が指差すぐらいであの鳥がそっちに動くはずもない。
 おかしいのだが、鳥が向かってきているのは確かである。
「仕方ねえ、よけるか」
 舌打ちして移動しはじめるシードの後を追いながら、ソリッツの頭の中は疑問でいっぱいだった。

11-8

 心配していたのだが、避けた先に曲がってくることはなく、鳥は二人のすぐ近くを駆け抜けていった。しかし、向こうでまた大きく曲がっているのが見える。細かい調整は効かないようだ。
「どうすっかね」
 耳をほじって入った砂をかきだすシードの横で、ソリッツは必死で状況を整理していた。
 やっぱり乗っていない。改めて通り過ぎる際に確認したから間違いない。あの鳥は勝手に動いている。でも自分たちを狙っている。ならば狙われる理由があるはずだ。それが分からない。
「あ、上の奴を叩き落せば止まるか。止まるな」
 一方、シードはごく単純な結論に達したようだった。ソリッツの葛藤も知らず、のこのこと鳥の進路へと出て行こうとする。ソリッツは慌ててその腕を引っ張って止めた。
「だから、上の奴って誰?」
「誰ってお前の仲間だろ。髪の長い奴だったけど。仁王立ちして」
 残念ながらそんな仲間に心当たりはないし、そんな乗り方をする人間もいない。これはもしかしてさっきの打ち所が悪かったのかもしれないとソリッツは危惧したが、そんな心配はお構いなしなのがシードだった。
「お前はそこで待ってろ」
 ソリッツの手をあっさりと振り払い、進路へと走りこむと羽を広げる。そして、高さを鳥の背に調整すると、そこで待ち構えた。方向を変えることなく、うまい具合にシードへと鳥は突っ込んでくる。さあ来い、と張り切るシードだったが、近づくにつれその顔は不審に歪む。殴り倒す対象、乗っていたはずの男がどこにも見当たらない。
 首を傾げるシードの前で、鳥の背に巻かれた布がごそりと動く。その塊は不意に素っ頓狂な声を上げた。
「……シード!?」
 背に張り付いていたために地上からはまったく見えなかったそれは、疑いようもなく探していたセピアの姿だった。
「立て!」
 認識した瞬間、シードは反射的にそう叫んでいた。気迫に押されるように、セピアもまた慌てて跳ね起きる。だが、全力で走る鳥の上でうまく立てる訳もない。バランスを崩してほとんど転げ落ちんばかりだったが、その時ちょうど鳥とシードはすれ違った。
 鳥が舞い上げたもうもうたる砂煙を散々浴びた後、シードと彼に抱えられたセピアはようやく地上に降りることが出来た。
 しがみついていた手を緩め、セピアは熱い地面にぺたりと座る。
「ありがとう……」
「何であんなとこに乗ってたんだよ」
 シードの問いに、セピアは鳥を奪って逃げてきた経緯を簡単に話した。するとシードは掴むようにわしわし頭をかき回してきた。
「なかなかやるじゃねーか」
 どうも怒られた訳ではなく誉められたらしいとセピアが悟った時、騒がしくソリッツが近づいてくる。
「あいつ、行っちゃいましたよ!」
 彼の指差す方向を見ると、砂煙が遠ざかっていく。その指は次にセピアへ向けられた。
「つまりそいつが操ってたんすか?」
 突然指されてびくつくセピアを見て、シードが答える。
「いや……違う」
 違うよな、という目を向けられて、セピアは何度も首を縦に動かした。自分はしがみついていただけで、他に何もしていない。
「でも、そいつを捕まえたら行っちゃったじゃないっすか」
 ソリッツは納得のいかない顔をしているが、他の二人も腑に落ちない気持ちは同じである。シードはぽつりと洩らした。
「なんか妙だな」
 決定的なことを見逃しているような、落ち着かない感覚。
 自分が追うと決めた以上、見つかることをシードは疑っていなかったが、こんな風に降ってくるとはさすがに思っていなかった。幸運だと喜ぶ気にはどうしてかなれない。
「ま、考えても分かんねーか」
 しかし、しばし眉根を寄せて考えていたシードがたどり着く結論は、それしかなかった。自分の勘が正しければ、考えるのには何かが足りないのだ。なら、考えるだけ無駄だ。
「お前らが襲ってきた場所と、サレッタと、どっか他の町と、ここからじゃどこが近いよ?」
 いきなり全然違う話を振られて、ソリッツは泡を食う。
「え、はい、えーと、ここ……ここ?」
「……分かんねーのか?」
「分かります分かります、たぶん」
 責める目線を向けられて冷や汗をかきつつ、ソリッツは自分が離脱する機会を逃したことを実感していた。試しに聞いてみる。
「あの、俺ってもう解放されてもいいんじゃないっすかね」
「何で」
「何でって、そのガ……坊ちゃん探してたんでしょ。見つかったんだし、もうお役御免ってことで」
「別にどっか行ってもいいぞ。ただし、水も食料もやらんけどな」
「えー……」
 やっぱり選択肢はないらしい。どこで間違ったか思いを巡らせながら、彼は地図と方位磁石を付け合せる。
「歩けるか?」
「ちょっと休めば、平気」
 脱力しきっていたセピアも水を飲んだりしているうちに落ち着いたようだった。とはいえ、昼間からの疲れもあるのかまだ本調子とはいいがたく、とりあえずどこかで休ませた方が良さそうだ。
「おい変更。一番近くの小屋に案内しろ」
 シードはソリッツにそう告げると、セピアの脇の下に手を入れて立たせた。そしてそのまま体勢を替え、セピアを背に負う。
「ごめ……」
「謝るなよ。兄弟そろって面倒くさい奴らだな、まったく」
 シードの言葉は、セピアのスイッチを入れてしまったようだった。肩を掴む手に力がこもるのが分かる。
「あ、アピアは、アピアは平気?」
「ミュアとニッカもいるし、平気なんじゃないか」
 不愉快な気持ちが競り上がってきたので、シードはそれを適当にあしらった。
「大体、あいつは自分で何とかするだろ」
「うん……」
 そんな答えで気が休まるはずもなく、セピアの声は沈んでいた。彼はしばらく黙っていたが、やがて囁くほどの声で話しかけてくる。
「ねえ、シード。アピアを助けて」
「は? 何だそりゃ」
「お願い……アピアは、きっと」
 そこから先は言葉になっていなかった。泣いているらしいセピアを問い詰める気もなく、シードは胸の奥でため息をつく。
 自分の思惑とは別に、事態がどんどん厄介な方向へ転がり始めてるんじゃないかという彼の危惧は、当たることを運命づけられているようだった。
 見えぬ導き手はその者の前に立ち、進むべき方向を指し示す。