Southward

第一章 人の章

「失ったもの取り戻すもの」

17-1

 早まった。
 それは認めざるをえなかった。
 転がった三つの死体を見下ろし、彼らは今後のことを手早く決定する必要に迫られていた。
「どうするんだ」
 特に痩せた男はそわそわして、主犯を責め立てる。
「落ち着けよ。この場合、仕方のない部分があるし、見たとこ使用人だろうから何とかなる……」
 なだめに入った男にも彼は噛み付き返した。
「これは、使用人なんかじゃないぞ」
 そして、彼が続けてまくし立てた言葉が、情勢を一気に変えた。
「ここの主人だ。公爵夫人だよ! 俺は見たことあるんだ、どうするつもりなんだよ!」
 ただ一人を除いて、全員の表情が凍りつく。そして、唯一平然としている男、この状況を導いた男は呟いた。
「問題はない」
 彼は言いながら、返り血を浴びた覆面と上着を脱いで丸め、自分の荷物の中へ短剣と共に放り込む。
「問題はないってお前、隠蔽なんて出来っこ……」
「目撃者はいない」
 仲間からの咎めに眉も動かさずに男は続けた。
「ご覧の通り、全員始末した」
 言われて、彼らは再び見下ろす。
 ここまで追ってきた同族の男、それを考えなしに庇った緩やかに巻いた長い髪の女、そして逃げかけたが駆け戻ってきた小さな子供、血に塗れた三つの姿を。
 正確にはまだどれも死体ではない。わずかに息は残っている。しかし、刃に塗られた毒が、すぐに僅かな命の炎を吹き消すのは確実だった。
 彼らには余裕がなかった。
 ぐずぐずとここに留まっている訳にはいかなかった。
「……おい、用意してある袋、出せ」
 誰ともなく、彼らは始末を始める。あってはならない死体を袋に詰め、担ぎ上げる。土に染み込んだ血はどうしようもなく、下手にごまかさずにそのまま残しておくことにする。残り二人の血と混じって判別はできないだろう。
 ここは貴族の館だ。
 強盗が入るのも、恨みを買って襲撃されることも珍しくないはずだ。
 そう自らに言い聞かせながら、そこから撤退するしか彼らには手は残っていなかった。実際、普通ならばそんな馬鹿なことが起こるなどと考える者がいるはずはなかったのだ。
 壁を越えてやってきた三足族が、犯人などとは。

17-2

 鈍い音と共に、シードの体は地面に叩きつけられていた。殴りかかった拳は軽く躱され、上から首筋へ肘の一撃が降ってきたのだ。さらに打撃が加えられる前にシードは手を地面について跳ね起き、後ろへと飛び退る。
「気は失わなかったか。丈夫だな」
 構えすら取らず、にやにやと笑いながら話しかけてくるゼナンを、シードは土で汚れた頬も拭わないまま睨みつける。
 前と同じだ。違うのは、前は転ばされただけだったが、今回は攻撃してくることだ。襟足辺りでうずく痛みが、手加減などしていないだろうことを告げてくる。そして、その攻撃はアピア相手の時にも増して掴めない。
 いくら無謀なシードとはいえ、躱されることが確実な突撃を二度行なうほど馬鹿ではなかった。
「どうした、来ないのか?」
 しかし、挑発されて穏やかでいられるはずもない。今すぐにでも殴りかかりたい気持ちと、下手に踏み込んでもいなされるだけだと警告してくる勘が、シードの中でぶつかり合う。結局、勝ったのは闘争心の方だった。
 喉の奥から唸りに似た声を上げつつ、彼はまた突進する。
「芸がない」
 当然、その攻撃も当たるはずがなかった。足払いを掛けられ、勢いもそのままにシードは茂みに突っ込む羽目になる。這い出してきたシードに、ゼナンは冷笑を浴びせた。
「俺が掴むのを期待しているんじゃないだろうな。お前の馬鹿力の話は聞いているぞ」
 いまいち信じていないような口ぶりではあったが、己の身を持って確認するほど酔狂でもないらしい。手の届かない距離を保ち、彼はシードに話しかけた。
「大体、どうしてお前は追ってくる?」
 その言葉は先ほどセピアが問いかけたものと同じだったが、彼の口からこぼれるとやけに粘り気を帯びているように感じられる。
「三足族は仇なのだろう」
 口をつぐみ、ただ睨みつけるだけの少年に、ゼナンは畳み掛ける。
「あれの首を締め上げたのはお前だろうが。可哀想に、脅され、責め立てられて。あれから一緒に行くと申し出ても不思議はないと思わないのか?」
 この問いにもシードは答えなかったが、その暴露につい少し離れた場所で見守っているセピアを横目で窺ってしまう。案の定、セピアもまたシードを見返していた。それは責めるような視線ではなかったものの、シードはもやもやした気持ちを抱かずにはおれず、さらに念を押すようにゼナンの問いは重ねられる。
「お前の顔など見たくもないと思っているとは、思わないのか?」
「うるせえよ!」
 奇妙な後ろめたさを払うため、ついにシードは口を開かざるをえなかった。ぐるぐると喉を鳴らしながら、彼は宣言する。
「奴が何を言おうが俺には関係ねー。大体、お前の言うことなんざ信用できるもんか」
「直接聞けば納得できるのかな?」
「んなもん聞かなきゃ分かるか!」
 にべもなく切り捨てるシードに対し、ゼナンは気分を害した様子すら見せない。それどころか、満面の笑みを浮かべてこう言い出したのだ。
「じゃあお前も連れていってやろう」
 わずか一呼吸の間だった。シードが嫌な予感を抱いた時には、すでに懐に踏み込まれていた。
 続く囁き声と、唐突に腹に起こる違和感。
「何でお前はあの時死ななかった、シンス=トーラー」
 その感覚はすぐに熱さへと変わる。見下ろせば、いつの間に抜かれたのか、鈍く光る刃がそこにある。柄の根元のわずかな部分だけを覗かせて。
「色々面倒くさかったぞ」
 その言葉を呑み込む暇すらシードには与えられない。
 脇腹に深く突き立てられた短剣は、次の瞬間真一文字に横へと引き切られていた。

17-3

 セピアの眼前で、鮮血が細く斜めに飛び散った。
 何が起こっているのか、認識はすぐに追いつかなかった。
 シードの背中がずるりと沈み、彼と対峙していた男の姿がはっきりと見えるようになった時、ようやくセピアの背中に冷たいものが伝う。かすれた悲鳴は一拍遅れて喉からこぼれ出た。
「あ……っ」
 血の匂い。先ほど舞った血の、男の持つ短剣にべったりとついた血の、ひっきりなしに地面へこぼれ落ちる血の匂いがセピアの鼻に届く。
 返り血を胸の辺りに彩った男は、眼前の少年の体を見下ろしながら、一人呟いた。
「さて、どこがいいかな。……そりゃ、首が一番分かりやすいが、手間がかかりすぎるしな」
 それに答えるようにして、彼の足元から呻きが上がるが、それは言葉にはならない苦悶の響きだ。生きている。でも。
「シ……」
 思わずセピアはシードへと駆け寄るが、倒れ伏したシードをまたぎ越し立ち塞がったゼナンが、短剣を握っていない左手でその胸倉を掴んで止める。
「羽は当然として、あとは……」
 セピアの体はそのまま持ち上げられ、傍に立つ幹へと押しつけられた。
「お前に選ばせてやろう。どこをお土産にしたいかな?」
 そして、突然問いが向けられる。彼の言葉の意味するところを知り、セピアは体を震わせた。彼の口調はごく軽いものだったが、それが冗談ではないことは明らかだ。
「何で……何でそんなこと」
「手ぶらで帰ったら、お前のお兄さんにも悪いだろう」
 目の前の男がどうしてそんなことを考えつけるのか、セピアには理解できない。
「僕……だけで、充分だよ」
 捕まる訳にはいかなかったが、それ以上にシードにそんな真似をされる訳にはいかなかった。セピアの苦し紛れの交渉は、しかしゼナンには何の感銘も与えなかったようだった。彼はあっさりとこう返してくる。
「多くて悪いことはあるまい」
 そして、絶句するセピアを見て、笑みを浮かべさえする。
「さあ、どこがいい? 早くしないと、何も感じなくなってしまうじゃないか」
 セピアの頬に硬い感触が食い込む。それはゼナンの右手に握られた短剣の背で、ぬるりとしたものが皮膚を撫でるのをセピアは感じる。生臭さが彼をさらに萎縮させる。
「選んでもらえないのなら仕方がないな、眼でもくり抜いておくか。ああ、それともおいたをした手がいいか」
 ゼナンはセピアを脅す行為を満喫し終えたようだった。胸を掴む手の力が緩んだことで、彼が作業に取り掛かろうとしているのをセピアは察した。
「やめろ!」
 セピアは叫び、彼を食い止めようとする。
「そんなことをしてみろ、アネキウスの名にかけて、お前を許さない!」
 その試みはある程度成功したようで、振り向きかけていたゼナンはまたセピアへと視線を戻す。
「アネキウスの名にかけて、か」
 しかし、状況は何も好転していない。いまだミュアとニッカの姿は見えず、二人がたどり着いたところで無駄に危険に晒すだけだ。
「神に逆らう所業を行っているのはどっちかな、王子様?」

17-4

 その問いに、セピアの答えは迷わず返された。
「お前だ」
 自分でも奇妙なほどの自信を持って、セピアは言い切っていた。
「僕らが正しいかどうかは分からない。でもお前は誤っている」
 圧されてはいけない。屈してはいけない。
 目の前の得体の知れない男は相変わらず恐ろしかったが、同時に腹の底からそんな思いが湧き上がってくる。それがこの男の望むもの、与えてはならないものだ。
 自分は確かに弱虫だけれど、それでもセリーク=リタント=ファダーなのだ。
 思いは、男に正しく伝わったようだった。彼の目にあったからかいの色が急に褪せていく。
「気に入らないな、その傲慢さ」
 ひどく低い声で彼は呟くと、顔を一層近づけてきた。
「自分の立場が分かっているのか?」
 囁きには毒が満ち満ちている。
「俺はお前らを連れてくるように言われている。五体満足でだ。俺に与えられた命令はそれだけだ」
 短剣の感触は頬から胸へと降りてきた。
「つまり、心はどうでもいい」
 そして、恐れと緊張で早鐘を打つ心臓の上で止められる。
「最悪、体の機能さえ動いていればそれで構わないんだ。何故だか分かるか?」
 正統なる王を傀儡とする。
 だが、いくら人質を取ろうが脅しをかけようが、むしろ無理強いすればするほど、いつまでも大人しく傀儡に甘んじている保証はないのだ。
 では、完全なる傀儡を手に入れるにはどうすれば良いか。
「お前らは子供さえ作れればいい。選定印を持つ子供をな」
 選定印は血筋には拠らない。王の子供が印を持つとは限らない。しかし、出現しやすい家系というものは確かに存在し、ここ三代続いたファダー家の血筋は、四代目に至り兄弟双方とも選定印持ちという前例のない出来事さえ引き起こした。
 自分たちの子供もまた選定印を有する確率は、非常に高そうだった。
 後見人となるのに不自然ではなく、生まれた時から思うがままに操ることのできる選定印保持者を入手できる最高の手段。
「そんなの覚悟の上だ」
 分かってはいたけれど、正面から言われると少し堪えた。
 でも、ここで折れる訳にはいかない。
「僕らは継承者だ。元より、この身はリタントへと捧げられている」
 ゼナンにとって、その切り返しは予想内だったらしい。
「では、こういうのはどうだ?」
 彼は口の端に笑みを浮かべ、さらにこう続けてきたからだ。
「次の次の王が、実は俺の子だってのは、なかなか面白い思いつきだと思わないか、王子様?」
 動揺するのは、相手の思い通りだ。
 そんなことは分かっていたが、分かっているからといって反応は抑えられなかった。息が詰まり、口が開けない。ゼナンの瞳に映る自分は、目を見開いて固まっていた。
 喉の奥で嘲るように笑う声が耳に入る。ゼナンは満足げに顔を歪めている。
「残念だが、お前はまだ小さいからな。あっちもまだ早いが、まあ、すぐだ」
「そんなの……そんなの伯父上だって許す訳……」
 ようやく絞り出したセピアの反論は段々と小さくなる。
「その時までに、言いつけられない程度に壊しておくさ」
 しかし、その時にセピアが声を失ったのは、ゼナンの言葉のせいだけではなかった。
 彼の肩越しに立ち上がる、その影を認めたせいだった。

17-5

 最初に聞こえたのは、何かが軋むような音。
「お前か」
 息遣いも荒い、しゃがれたその呟き。
 胸の硬い感触が不意にかき消える。
「お前だったのか」
 異様な音が続けて響き渡った。
 それは、骨の砕ける音。筋の弾ける音。
 木に押しつけていた力が緩んだために、セピアは幹を滑るようにして地面にへたり込み、呆然と目の前の光景を見つめる。
 ゼナンの右腕は後ろ手の形へねじ上げられている。そして、音はそこから発されている。下半身を血に染めた少年がそれを握っている。その黒い瞳には怒りが煮えたぎっている。
「お前が」
 右腕は潰されようとしている。握られた肘の上の骨が粉々に砕け、肉がねじ切られていくのが分かる。
 シードの力。
 苦痛の叫びが頭上から降ってくる中、セピアはむしろ現実感を抱けず、ぼんやりと思い返していた。
 出会った早々、アピアに殴りかかり、大木を打ち倒したあの力。盗賊を投げ飛ばし、鹿車を引きずってきたあの力。
 それはこんなにも容赦なく人を破壊することのできる力だったのか。
 アピアは分かっていたのだろうか?
「ぐっ……!」
 ゼナンは呻き、体をひねって逃れようとした。しかしシードの爪は鉄の硬さにも似て、容易に彼を放そうとはしない。脂汗を額いっぱいに浮かべつつ、彼は空いた左手を懐へと差し入れる。金属の煌きがそこに現れるのをセピアは目撃した。シードは気づいていない。気づく余裕があるかどうかも分からない。
 いけない!
 言葉より先に体は動いた。
 自分の腰に提げられた短剣を抜き放つ。どう動けばいいのかは考えなくても分かる。振るう機会こそ避けていたものの、ずっと訓練はしてきたのだから。
 跳ね起きて、その勢いのまま、下から上へ。
 そこには狙った通りに手首があった。きちんと研いでいた刃は、正しく相手の皮膚と肉を削ぎとった。今まさに、シードの額に打ち込まれようとしていた細身の短剣が取り落とされる。
「シード、気をつけて!」
 そうなってようやく、セピアの口から注意の言葉はこぼれ出た。それを聞きつけたせいなのか、シードははっとセピアへ顔を向け、ゼナンへの注意が反れた。途端、シードの手は振り払われる。
 ゼナンは思いもよらない素早い動きをして、二人から距離を取った。右腕はだらりと垂らされ、左手首からは血を滴らせ、顔色は青白くなっていたが、しかし彼は笑い始める。最初はひきつけたかのように、次第に大きく。
「これは駄目だ」
 セピアは元より、シードもまた彼に飛び掛ることなく、その狂態を見つめていた。
「痛いばかりで動く気配すらしない。こいつは参った」
 不意に笑いはぴたりと止まる。
「よくもやったな」
 そして、一瞬だけ向けられた鋭い視線は、セピアの背筋に冷たいものを這わせる。
「また会えればいいな、シンス=トーラー、王子様」
 その言葉を最後に、ゼナンは脇の茂みへと姿を消した。

17-6

 その時、セピアが咄嗟に思ったことは、追わなくてはいけない、ということだった。彼が出現したということは、アピアはそんなに遠くない場所にいる。今追いつかなくては間に合わない。
「待ちやがれ!」
 駆け出したセピアの後ろから、シードもまたそう吠える。けれど、追いかけてくるかと思ったその声は、突如かき消えるように聞こえなくなった。
「殺し……」
 驚いて足を止め振り返ったセピアの視界に、膝をついたシードの姿が飛び込んでくる。ひゅうひゅうと鳴る呼吸と、地面に垂れ落ちる赤い血。あまりに立て続けに起こった出来事に、忘れていたその事実。
「シード!」
 置いていけるはずもなく、セピアは引き返して彼の顔を覗き込んだ。先ほどのゼナンに負けないくらい顔色は悪く、血の気は完全に失せている。抑えている傷口はいまだ開いたままらしく、指の隙間から赤い色が溢れ出しつつあった。
「ひどい」
 自分の頭からも血が引いていくのを自覚しながら、セピアはとりあえず着ているものを脱いで、それで傷を塞ごうとした。しかし、当てた上着はみるみるうちに朱に染まる。
 こんな状態で動いて腕を握りつぶしたなんて信じられない。
「どうしよう……これじゃ、シード、死んじゃ……」
 明らかに命に関わる出血の量だ。ひょっとしたらもう手遅れかもしれないとさえ思える。そう考えたらすぐに涙は溢れてきて、止めようと思っても止められない。しゃくり上げながら、セピアは成すすべなく傷を押さえ続ける。
「死なねーよ」
 答えは思いのほかはっきりと戻ってきた。再び覗き込むと、シードは奥歯をかみ締めつつ、顔を歪めていた。
「死ぬかよ。死なねー。俺は死なない。絶対に、死なない」
 繰り返す度にうわ言に近くなっていくそれを止めたくて、セピアは胸に押し付けるようにしてシードの頭を抱え込む。
 やがて、涙にかすむ彼の視界に人影が映り始めた。

17-7

「……本当に死なないとは恐れいったわ」
 大きなため息と共に、ミュアはそう吐き出した。言われた当人は眉を吊り上げて、不満そうな顔を見せる。
「嫌味かよ」
「嫌味の一つも言わせてほしいわよね。あんなに深い傷なのに、内臓がほとんど傷ついてなかったなんて。何なの、その丈夫さは」
「丈夫というか、運が良いというか。腸がはみ出てこなくて良かったですね。出てたらかなり迫力ある眺めになってましたよ」
「うるせーよ」
 立て続けに腐されて良い気分な訳がないが、さすがに強く反論しづらいらしく、シードはただ横を向いて舌打ちだけをする。その変わらぬ様子を見やり、ミュアとニッカは視線を交し合った。
「事後承諾になるけど、言っておくわね」
 そして、ミュアが切り出しにかかる。
「トーラー公爵に鳥文を飛ばしたわ」
「何勝手なことしてやがる!」
「正確にはリームさん宛だけど。途中で握りつぶされる可能性も考えて、私の村経由でも送ってみた。……起き上がらないでよ」
 案の定、シードは憤慨して体を起こし、ニッカがなだめるようにその肩を抑えても言うことを聞かない。
「二人の詳しい事情は知らせてない。アピアが連れ去られて、その犯人がたぶん三足族だって、知らせたのはそれだけ」
「ただ、リームさんも怪しんでたみたいですし、二人も三足族だってことはきっとばれますね」
「奴に知らせたからって、何が出来るってんだ」
 まったく納得していない顔のシードへ、たしなめるようにミュアは話しかける。
「私たちより、ずっとたくさんのことが出来るでしょうね」
「知らせてる間に逃げられるだろうが。それより、さっさと追いかけ……」
「シード。その怪我で追いかけられる訳ないでしょう」
 今にもベッドから飛び出しそうなシードを押さえつけたのは、その一言だった。改めてシードは自分のいる場所を見回し、部屋の壁際でじっと黙って待機しているセピアの姿を見つける。痛みが走った下腹部へと目をやると、大げさなほどに包帯が巻かれていた。
「何だこりゃ」
 剥こうとしたシードの手をすかさずミュアが叩く。
「触らないの! 糸もまだ抜けてないのよ!」
「こんなの平気だろ」
「無茶苦茶言わないで。それにもう一週間近く経ったのよ。……追いつけないわ」
 シードとセピアを見つけ、近くの村まで運び込み、傷を縫い合わせてもらい、意識が戻るのを待つ間に、取り返しのつかない時間が過ぎてしまった。
 押し黙るシードに、念のためニッカが詳しい説明を入れる。
「彼らは一直線に西を目指していた。どこかに壁を抜けることのできる場所があるんでしょう。ここから壁までの距離を思えば、彼らがとっくの昔にホリーラにいない可能性は高い」
 自分たちに出来るのは、壁を越えるまでに彼らを捕まえることだった。
「既に手遅れなんですよ、シード」
 沈黙が落ち、その中へシードの呟きは吐き捨てられる。
「またかよ」
 それはいつになく力弱く聞こえ、ミュアとニッカもつられて視線を落とす。
「また俺は……」
 しかし、突如彼は伏せた顔を跳ね上げた。そして射抜くような視線をセピアへと向ける。
「おい、セピア。お前、通ってきた穴の場所覚えてるだろ」
「え、あ、うん、たぶん」
 見守っていたセピアはいきなり話の中へ引っ張り込まれて、戸惑いを隠せない。反射的に答えてしまい、その後に彼の狙っているところに気づく。
「待って、まさか……」
 そのまさかばかりをやらかすのがシードなのだ。
「壁を越える」
 彼は周りの慌てように構わず、堂々と宣言した。
「このままで済ませてたまるか」