夏の魔王

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8月6日(水) いやになるくらいの晴

 モトくんとのお別れをした。

 そして、宗太郎の提案にはみんな賛成で一致したのだ。
 昼までに準備をして基地に集まることになった。お葬式をするといっても、誰も正確なやり方は知らない。とにかくお花とかお供え物とかを持っていかなければいけないだろう。他には線香とかが必要だと思うけれど、家には仏壇がないので手に入れられなかった。きっと他の誰かが持ってきてくれると思う。
 僕は仁菜と一緒に河原に出て、花を摘むことにした。
 今日は雲ひとつない晴天だ。空の青は地上に近いところは濃く、太陽に近いところは薄く色づいている。そよぐ岸辺の草の影がはっきりと黒く地面 に落ちていた。
 黒いもや。
 僕はふとその言葉を思い出してしまい、ひとつ身震いした。仁菜が心配そうにこちらを見上げてくる。
「にぃちゃん、大丈夫だよ」
「うん」
 仁菜は手にたくさんの風蝶草を抱えている。昼にさしかかってピンクから白へと変化しつつあるその花は鮮やかに咲いて河原で揺れていた。僕は持ってきたタオルを濡らし、ちぎった茎のところにあてて縛ってやった。これで基地までは保つだろう。
「あとはお菓子だね」
 僕らはみよし屋へと向かう。おばあさんは変わらず店の前に佇んでいた。用意されている小さなかごを持って店に入ろうとすると、声をかけてくる。
「おや、今日は氷じゃないんかね」
「うん」
「そうかね。今日は暑いね。あんた、帽子はかぶらんといかんよ」
 言うなり、おばあさんは僕より先に店に戻っていってしまい、僕は後をついていく。日なたから店の軒が作る影に入れば、急に気温が下がったように思える。吊るされた鉄の風鈴が澄んだ音を立てた。
 店の中はいつも湿った匂いがする。不愉快なかびの匂いではなく、山の羊歯からするような匂いだ。箱やびんに詰められた色とりどりの駄 菓子が曇りガラスを通して弱まった陽光に照らされている。僕はそれらを見回し、どれを買っていけば素直は喜ぶかなと考えた。一緒に来た時など、彼はどれを買っていただろうか。よく思い出せず、僕はこれだと思うものをかごの半分くらいまで手当たり次第放り込んだ。お金は足りると思う。
「すみません」
 引っ込んでしまったおばあさんに会計をしてもらおうと声をかけると、彼女は奥からゆっくりと出てきた。
「これ、かぶっていきな」
 そして、僕の頭に手に持ったものをかぶせてきた。目を上げると、そこには帽子のつばが見えた。その古びた麦わら帽子は店と同じ匂いがする。
「あ、ありがとう」
「返すのはいつでもいいからね。あとこれも持ってきな」
 おばあさんの差し出した手の上には、一束のお線香が乗っていた。
「なんで?」
 これにはお礼よりも先に疑問の言葉を僕は口に出してしまう。おばあさんはむっとした様子もなく、また逆ににこにこと笑いもせず、買った駄 菓子を袋につめ、一番上に線香を乗せて僕に渡す。僕はお金を払ってそれを受け取った。
「すぐにお盆だからね、その子の縁者がちゃんと迷わないように連れていってくれるよ。安心して送ってやりな」
 おばあさんの目は風蝶草に注がれていた。
 僕は今度は何も言わずに頷いて店を出る。僕の後からおばあさんがまた軒先に出て見送ってくれた。
「おばあちゃん、モトくんおぼえてたんだね」
 僕のお腹にたまっていた違和感が段々と別のものになりつつある。仁菜の手を引っ張って基地への道を急ぎ、僕はそれを考えないようにした。

 お葬式は作戦室で行われることになっていた。僕よりも先に宗太郎と千衣子が着いていて、祭壇を作っている。僕は持ってきた荷物を床に置いてそれを手伝いはじめた。
「ニナちゃん、お花、キレイね」
 千衣子が目ざとく花を見つけて目を輝かせる。
「ニナがつんだんだよ」
 僕が言い、仁菜は嬉しそうに頷いた。
「じゃあチイは花とか並べてくれるかな。確か本部に空き缶があったよな」
 宗太郎の指示で、千衣子は花を抱えて本部へと行く。作戦室には僕と宗太郎だけになった。僕らは箱を並べた上に暗い色の布をかぶせ、この前運び込んだ荷物を邪魔にならないように隅に片付けた。
「どう思う、ヒロキ」
 突然、宗太郎がぼそりと呟いた。前振りなしだったので意味がとれず、僕は聞き返す。
「え?」
「モトの言うように、魔王は倒せないと思うか?」
「それは……」
「あいつ、いつも大げさだったからな」
 彼の言う通り、素直は何かやろうという時にはいつもそんなの無理だとかできないとか言っていた。でも、今回もそれと同じと思ってしまってもいいんだろうか。
 僕が答えないでいると、宗太郎は話を続けた。
「あの時、予言ははいとは言わなかったけど、いいえとも言わなかった。無理じゃないと俺は思う」
 千衣子の予言は確かに絶対だ。可能性がゼロではないことをそれは指し示している。
「モト、あの予言知らなかったもんな。相談してくれれば良かったのにな」
 宗太郎のため息は重かった。僕は無言のままで祭壇にかけた布をぴっと伸ばして直す。
「ソウ、あったあった」
 その時、入口から真哉がひらひらと何かを振りかざしながらやってきた。宗太郎は僕との話を打ち切り、彼の相手をする。
「おお、よく見つけたな」
「シンヤさまをあなどるな!」
「そういえば、モトの手紙も持ってきたよな」
「……あ、ご、ごめん、忘れてきた」
 慌ててぱたぱたとポケットを叩いて真哉はうろたえる。今日はいいけど明日は持ってこいよ、と宗太郎は笑って言って、写 真を受け取った。学年の始めにとったクラス集合写真の中に写っている素直の顔は小さく、眼鏡ばかりが目立っていた。それを見た宗太郎はしばらく考え込み、僕に意見を求めてくる。
「どうしよう、これはちょっとやっぱり小さすぎるかな」
 切るとなんだか分からない大きさになりそうだし、かといってそのまま使うとクラス全員を弔っているみたいだ。
「写真はなしでもいいんじゃない」
 写真があろうがなかろうが、あまり変わらない気もする。
「うーん、そうだな。シンヤ、せっかく探してもらったのにごめん」
「あ、う、うん」
 真哉の狼狽はまだ続いていたようで、彼は返してもらった写真をまるめてズボンのポケットに入れてしまった。しわになるよ、と僕は注意しようとしたが、ちょうど千衣子が花を持って戻ってきたので言いそびれてしまう。
 同時に庸介と涼乃も姿を現した。彼らはバナナやみかんといった大量の果物を下げている。庸介がスイカを取り出すのを見て、僕はふと懐かしさを覚える。そして、それがたった二週間前の光景だったことを思い出した。
 僕のお腹の中の違和感が、また動いた気がした。
 そして、皆でお供えものを飾り付け、僕らで行うお葬式が始まった。もちろんちゃんとしたやり方なんて知っている訳もないので、お経なんかは上げられない。それに素直はいい奴だった、なんていうスピーチも誰もやろうとは言い出さなかった。今さら言わなくてもいい奴だったに決まっていたからだ。結局僕らは一本ずつお線香をつけて供え、素直に対して祈ることしかできなかった。それなりに神妙に、しかしそれしかやらなかったのでお葬式はあっさりと終わってしまった。
「こういうのに使ったもんはさっさと食った方がいいんだってよ」
 庸介がそう教えてくれたので、僕らはお供えものを本部に持ち出して、皆で食べることにする。
 夏の陽射しは眩しく、風は涼しかった。僕らは並んでお菓子や果物を頬張った。どれもが甘くておいしかった。
 そして、その時ようやく僕は素直が本当にここにいないんだということに気づいた。これから何度みんなと一緒にこうやってお菓子を食べたとしても、そこには素直の姿があることはないのだと。
 ずっと溜まっていた違和感が、不意に喉まで、そしてもっと上まで突き上げてくる。目の前の景色が歪んで、何も見えなくなる。すごく遠くから僕の名を誰かが呼ぶ声がした気がする。素直の声のような気もしたが、分からない。
 次に気がついた時には、すぐ横に涼乃が寄り添って僕の肩を抱いていた。彼女の頬はなぜか濡れている。見回すと、みんなが固まって黙って座っている。ただ、庸介の姿だけはなかった。
 ふと窓を通して空を見上げると、いつの間にか夕焼けになった空には雲が出始めていた。
 僕らは魔王を倒すだろう。
 そう強く予感したことを僕は覚えている。
 僕らは魔王を許さない。
「この力はそのためにあったんだ」
 僕はしゃがれた声でそう力をこめて呟いた。

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