8月23日(土) 晴
ソウくんと作戦会議。ぼくはどうすればいいのかわからない。
門から外の様子を窺い、誰もいないことを確かめると僕は河原へと走り出した。秘密基地とは反対の方向になるが、今日は河原の橋の下で宗太郎と待ち合わせをしているのだ。
昨日はうまく全員が集まれたけれど、今後もうまくいくとは限らない。見つかって外出を禁止されたりすると厄介だ。だから、魔王と戦う準備は各々が目立たないように進めることになった。
涼乃と庸介が真哉を特訓してくれるというので任せ、僕と宗太郎が作戦を練るというのが今日の段取りである。
河原につくと、すでに宗太郎は到着していて、影の色濃い橋げたの下で柱にもたれて川面
を睨みつけていた。僕は宗太郎に声をかけ、目立たないところに二人して座り込む。
「町は魔王に支配されつつあると思っていい」
宗太郎は僕にそう切り出してきた。
「魔王は手下を増やしてるんだ。順調にね。だからすごく用心しないと危ない。まあヒロキなら心配ないと思うけど」
「あれ、でも、手先の話は……」
千衣子の嘘だったはずだ、と僕は続けて言おうとして、宗太郎と目が合う。その目線が妙に強く感じられて、僕は思わず言葉を飲み込んでしまった。
「ごめん、あれは俺の勘違いだったみたいで、もう一度チイに確認してみたら、強く影響してないってことだったらしい」
「え、どういうこと?」
「つまり、シンヤが心配しているみたいにいきなり町の人が怪物に変わったりはしないってこと。自分が手下になってるって分からずに操られているんだと思う」
宗太郎は足元の小石を広い、川へと投げ込んだ。その石を中心に波紋が広がるが、それは一瞬で、すぐに流れに巻き込まれて消えてしまう。
「魔王が有利になるように俺たちを監視してるんだよ。魔王はね、俺たちを必要としてると思うんだ」
「必要?」
「例えば……完全に復活するためには、俺たちの力を取り込まないといけないとか」
そこまで言うとどんどん宗太郎はのってきたらしく、僕の相槌を待たずにまくし立て始める。僕はというと、そんな理由を考えたこともなかったので、ただびっくりして聞き入っていた。
「そう考えると、手下になった人達が攻撃してこなかったり、通路を塞いで町から出られないようにした訳が分かるだろ。絶対そうだと思うんだ」
ここで橋の上を人が渡っていく気配がして、僕と宗太郎は息を潜めた。ざわめきが去ると、今度は囁くようにして宗太郎は話を続ける。
「チイは賛成してくれたよ。スズさんにはちょっと違うって言われたけど。魔王は俺たちを自分で倒したいんじゃないかって言ってた。でもそれなら、俺たちの力が消える夏休み後に襲えばいい話だもんな」
もしかして魔王も俺たちの力と同じく、復活の機会があるのは夏休みの間だけかもしれないけど、と彼はつけ加える。
「ヒロキはどう思う?」
そして話を振られて、僕は固まってしまった。魔王がどうして僕らを、この町を襲おうとしているのか、ずっと考えてはいたのだ。けれど、どうしてもその答えにはたどり着けなかった。一体魔王がどんな代物で、どんな力を持っていて、何を考えているのか、僕にとってはそれはひどく曖昧で難しく、考えれば考えるほど掴めなくなっていたのだった。
ただ、魔王が悪意を持った恐ろしいものだということだけは確かだった。それだけは疑いようもなく肌で感じるのだ。
「ソウくんの、言う通りかも」
だけど、そんな漠然とした考えを宗太郎に言ってもしょうがない。宗太郎の出した結論は今の状況をうまく説明しているように思えたので、僕は頷きながら小さな声でそう言った。すると宗太郎は満足げに頷き返してくる。
「ヒロキならそう言ってくれると思ったよ。モトの葬式の時さ、ヒロキが言ったよね、俺たちの力は魔王を倒すためにあるんだって。その通
りなんだよ。俺たちが力を使えるようになった頃にきっと魔王も目覚めはじめてたんだ。そして少しずつ町の人達を悪くしていった。そう、まずは……俺たちの近くの人から」
「……近くの人って」
いつもながら宗太郎の論理の飛躍についていくのは難しい。戸惑いながら尋ね返すと、彼は困ったような顔になった。
「この町に来てからだよ、母さんがあんな風になったのは。やっと分かった。魔王のせいなんだよ。チイの親だって昔はああじゃなかったって聞いた」
僕は自然と母の後姿を思い出していた。あれが魔王のせいなのだろうか。分からなかった。考えようとすると、息が詰まって苦しくなった。でも仁菜は言っていた。お母さんは今はおかしいだけなんだ、と。じゃあ昔はどうだったのだろう。
「学校のみんなだってそうさ。なあ、ヒロキ、おかしいだろ。どうして俺たちがあんな風に疑われるんだ? モトを殺したって言うんだぜ、俺らはその殺した相手と戦ってるってのに」
落ちていた枯れ枝を拾い上げて両手でぽきぽきと折りつつ、宗太郎はなおも言い募る。
「だからね、操られてるんだよ、間違いなく。でもそれは弱いから仕方のないことなんだ」
宗太郎の語調は強く、迷いはなかった。けれど僕の漠然とした違和感は消えなかった。僕は目をつぶり、膝を強く抱える。暗闇の中で、頬に風を感じ、続いてどぼんどぼんという水音が聞こえて消えていった。
「みんな、元に戻るさ。魔王さえ倒せば、分かってくれる」
去年はずっとこの夏休みが続けばいいと思っていた。永遠に八月三十一日は過ぎず、永遠に僕らの手の中に力が宿っていれば何もかもが良くなり、世界は変わると思っていた。
けれど、そんなことは起きるはずもない。必ず九月一日はやってくるし、僕らは力を奪われる。
魔王さえ倒せば、と宗太郎は言う。今度こそ何もかも良くなるのだろうか。
でも、素直はもういない。去年望んだような終わらない夏休みは既に失われているのだ。
「それでな、ヒロキ、落ち着いて聞いてくれよ。この町はほとんどの人が魔王に影響されてる、だから気をつけなきゃいけない」
宗太郎の抑えた声が耳元でした。
「ヨースケは危ない。……シンヤもだ」
「ソウくん、何言ってるの」
僕は耳を疑って、宗太郎へと振り返る。固く閉じていた目をいきなり開いたので夏の光が眩しく、間近にある宗太郎の顔が良く認識できなかった。どうせあのにやにや笑いを浮かべているに決まっているけれど。
「そういう冗談はやめてよ」
まさか真剣な顔をしているなんてはずがない。僕はよく見えないうちに、彼の顔からとっさに目をそらした。
「俺はヒロキを信頼してる。だから教えたんだ。スズさんもスズさん本人はいいんだけど、ヨースケと近すぎるから、言ってない」
耳も塞ぎたかったが、そんな露骨な真似はできなかった。黙り込む僕を説得するように、宗太郎は言葉を並べる。その語調にからかいの色は少しも混じってこない。
「二人ともどんどん様子がおかしくなってる。魔王に負け始めてるのさ。もう完全に負けてしまってるかもしれない。本人が気づいているのかどうかは分からないけど」
魔王はいないと言う庸介。みんな魔王に殺されればいいと言う真哉。確かに変になってきているかもしれない。
「もう二人の言うことを信じちゃだめだ。魔王の囁きが混じってしまってる」
「じゃあこれからどうするの?」
辛うじて僕が言えたのはそれだけだった。
「警戒しているのがばれないように、今までと同じようにするしかないだろうな。本当の作戦は俺とヒロキだけで立てよう」
地面を見つめて動かない僕の肩に、宗太郎の手のひらが触れた。それは暖かく優しいように感じられる。
「大丈夫、なんとかなるよ。俺がみんなを守るから」
力づけるための彼の言葉は気遣いに満ちている。けれど僕はそれで一層混乱した。
昨日はみんなで魔王を倒そう言っていたのに。真哉がやってきたことにあんなに喜んでいたのに。
ソウは嘘ばっかりだ、と真哉が叫んでいたことを思い出し、僕は息を呑んだ。
僕らは仲間のはずなのに。どうしてこんなことになっているんだろう。