8月12日(火) くもり
きのうの夜のさわぎがうそみたいに、町はしずかだ。これも魔王の力のせいなんだろうか。ぼくは分からない。
秘密基地には誰の姿もなかった。
それは当然なのだが、僕は坑道から本部を眺めてひどく淋しい気持ちになった。
もうあそこへは入れないだろう。窓は中から鍵がかけられている。そのうちに板も打ちつけられるに違いない。もしかして、取り壊し推進運動も活発化するかもしれなかった。
僕は踵を返し、作戦室に入っていく。隅の壁に積み込まれた荷物はそのままで、ここは見つからなかったことを示唆している。倒れていたライトを真ん中に配置して点灯すると、水色の光が部屋いっぱいに溢れた。
僕と仁菜は膝を折って座り込み、その光をしばらく見つめる。海の底のような色だと思う。
どれだけそうしていただろう、もしかしたら少し眠っていたかもしれない。泡が浮かんでいく夢を見た気がする。
僕は茫洋と作戦室を見渡し、隅に転がっていた麦わら帽子に気づいた。素直の葬式の日、みよし屋のおばあさんから借りた物だ。あの日ここに残していって、その後の騒ぎですっかり忘れていた
「にぃちゃん、これ、返さなきゃ」
「そうだね」
「わーい、アイスアイス!」
「しょうがないなあ」
おばあさんはいつでも良いと言ってくれたが、また忘れてしまっては申し訳ない。僕は帽子をかぶり、今から持っていくことにした。ずっと地面
に転がっていたその帽子は、土の匂いがした。
外に出ると、アブラゼミの鳴き声にツクツクホウシが混じり始めているのが分かる。夏の終わりが近づいてきていた。
傾き始めた太陽を背に、僕と仁菜はみよし屋への道を歩いていく。人影はほとんどなかった。
時折聞こえる風鈴の音の方を見やると、ブロック塀の隙間から開け放たれた家の中が見えたりする。果
物が盛り付けられた仏壇の前で、水色の光がくるくると回っていた。線香のあの独特の匂いが鼻をくすぐる。
町の中すべてが海に沈んだようだ。ここには黒いもやの入り込む余地はない。そういえばおばあさんは言っていた。もうすぐお盆だから素直は大丈夫だと。
僕はおばあさんに話を聞いてもらおうと思い始めていた。千衣子の予言通りに一緒に戦ってくれることはないだろうけど、きっと気持ちを楽にしてくれるだろう。僕の歩調はだんだんと早まっていく。
けれど、僕の期待は裏切られた。みよし屋は閉まっていた。灰色のさびかけたシャッターが下ろされている。
「アイスは?」
「お墓参りにでも行ってるのかもね。また明日来ようか」
「うん」
仁菜はあっさり納得し、ごねて僕を困らせるようなことはしなかった。
僕と仁菜は今度は赤くなりつつある太陽に向かって歩き出す。みんなは今、何をしているのだろうとただそれだけを思った。