夏の魔王

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7月23日(水) くもり

 基地をいごこち良くするように改ぞうすることになりました。ぼくはクーラーボックスを持っていきました。

 クーラーボックスを持っていくこと自体には何も問題はなかった。父が単身赴任で家を離れてからというものの、押し入れの隅で誰にも使われずに転がっていて、母はそんなものの存在すら覚えていない様子だった。
 問題は、氷をいっぱいに詰めるということで、そのせいで重いのとその量の氷を毎回家で調達する訳にはいかないというところにあった。重いのは僕の力で解決できたけれど、町中では気をつけて動かないと一定のところで浮いている荷物という異様さに気づかれてしまうかもしれないので神経を使う。そして後者はどうしようもなかった。家の製氷皿の数にも限りはある。
 本部に空のクーラーボックスと共に到着してそのことを訴えると、「じゃあみんなで持ってくればいいじゃん」と珍しく早くやってきている真哉があっさり言い放った。
「だって家からここまでの間に溶けちゃうじゃんか」
 彼は僕の反論もどこ吹く風だ。
「溶けてても別にいいだろ。しばらく冷たいし」
「でも溶けたのと溶けてないのと一緒にしておくと、溶けるのが速くなるよ」
「え、なんで? クーラーボックスの中の温度は一緒だろ?」
 真哉に突っ込まれて、僕は答えに詰まってしまった。しばらく考えたが、どうにも説明できそうにない。そこへ宗太郎が笑いながらフォローを入れてくれる。
「魔法びんとかに入れて持ってくれば問題ないさ。持ち帰るのも大変だろうから、ボックスはここに置いておくことにしよう」
 今、本部にいるのは僕と真哉と宗太郎の三人だけで、涼乃と素直、千衣子の姿は見えなかった。千衣子は今日は週二回のピアノの練習日だ。先生は宗太郎の母親で、二人はそれが縁で仲良くなったらしい。
「ピアノなんかさぼっちまえばいいのに」
 真哉はそうは言っているが、さぼったりしたら宗太郎の母親が激昂しそうなのは目に見えていたので、それを千衣子にそそのかしたことはない。大体、千衣子の親に僕らは良い印象を持たれていないため、もしピアノをさぼってこんな山中に一緒に入っていくところを見られたら大変なことになる。昨日、千衣子と涼乃を組ませたのもそれが一因でもあった。千衣子が男と二人で街を歩いているとうっかり彼らの耳に入ったら、どういうことになるのか想像するだに恐ろしい。以前、PTAに訴えられる騒ぎになったことで、ここにいる者はみんな骨身に染みている。その時に槍玉 に上げられたのが真哉な訳だが。
 宗太郎が千衣子をここへ連れてきたのも、町では監視されているようで落ち着かない彼女のためだったのだろう。
「モトが珍しく遅いなあ。まさか魔王軍団にラチカンキンされてないだろうな」
「やっぱあれかな、そういうのって天からばさばさーって飛んでくるんだろ。かっこいいよな!」
「おいおい、敵をかっこいいとか言ってちゃダメだろ。でもそうだな、仮にそいつをブラック・デビルとでも名づけて呼ぼうか」
「槍とか必殺技に使いそう!」
 じゃれ合うように宗太郎と真哉が掛け合っている。僕はその横でぼんやりと坑道の入り口の方を眺めていたが、そこに動くものの気配を見つけてぴくりと反応する。宗太郎がそれを目ざとく見つけて、入口へと振り返った。次いで真哉も注目する。
「おはよう」
 やってきたのは涼乃だった。いつも通りに長い黒髪を頭の上で一つにまとめた格好で、こちらに笑いかけてくる。しかしやってきたのは彼女だけでなく、その後ろに一回り大きな影があった。
「げ。ヨースケだ」
 真哉が潰されたカエルのような声を上げる。
「ご挨拶だな、せっかく遊びにきてやったのに」
「単にヒマだっただけだろ」
「お、そういうこと言ってると、お前には土産はやらねーぞ」
 そう言うや否や、庸介は坑道の方へ手を突き出した。すると闇の中からするすると緑色の丸い物体が現れでてくる。それを見つけた真哉の目がたちまち輝きに満ちた。
「スイカだスイカだ!」
「おうよ」
 それは大ぶりのもので、小学生の小遣いでは普通買おうとは思わない代物だった。だから宗太郎がこう疑ったのも無理はない。
「まさかその手で畑から盗んできたんじゃないだろなあ」
 山の一角にスイカを栽培している畑があり、子供たちと農家のおじさんの間で毎年戦いが起きているのは周知の事実だ。
「これはちげーよ。道場の奴らに食わすために一箱仕入れたらしくてな、その中からもらってきた」
「これは、ってヨウスケ」
 涼乃の指摘に、庸介は目をそらした。彼が万引きの常習者であることは有名だった。有名なのに捕まらないのは何故だろう、と噂では取りざたされていたが、夏の間であればあの力で簡単にできる訳だ。
「ネタばらしされちまったからな。もうやらねーって。それより食おうぜ」
 涼乃の冷たい視線に耐えかねたのか、彼はとっとと本部の中央へと進んでスイカを置いた。
「でもこれはどうやって切るの?」
 本部に刃物などは置いていない。僕のその問いに、庸介はきょとんとした顔をした。
「そんなのこうすりゃいいだろ」
 ぼこ、という音がした。振り下ろされた庸介の手刀はあっさりとスイカを砕いてしまった。真哉がやったやったと言いつつ、大きい欠片をちゃっかりと確保する。そこでおもむろにスイカを囲んでおやつの時間が始まった。
「お前ら、まだ正義の味方ごっこやってんの?」
 スイカに大きくかぶりつきながら、庸介はそう尋ねてくる。僕も一口かじってみると、少し水っぽくて種も多かったけど、それなりに甘くて美味しい。
「ごっこじゃねえよ。世界を守る戦い中なんだぜ」
 真哉が汁を飛ばしながら反論したので、僕は真哉から三歩離れて座りなおした。
「世界を守る戦いねえ。帰ってから一応考えてみたが、やっぱ魔王なんていないだろ。いや、予言とか人影とかが嘘っぱちとは言わねーけどさ、あいつらってなんか弱っちい感じだし、なんとなくいるような気になっちゃってるだけじゃねーの?」
 庸介がそう説いている時に、ようやく素直が到着した。本部に入ってきた素直は庸介の姿を見つけ、眉間に少ししわを寄せたが、何も言うことなく円陣の切れたところへ腰を降ろす。彼に真哉がスイカを差し出した。
「モトっちも食えよ。ヨースケからだぜ」
「ああ」
 素直は受け取ったものの、赤い部分をじっと見たまま口をつけようとはしなかった。なにか仕掛けられていることを心配していると思った僕は彼に声をかける。
「おいしいよ」
「うん」
 すると、彼もおもむろにかじりはじめる。そんなこととは関係なく、庸介の話は続いていた。
「頭冷やして考えてみりゃ分かることだろ、ったく。で、そいつが存在する証拠とかは見つかったんか?」
「いや、なかなかうまくいかなくて。手がかりゼロの状態」
 昨日の聞き込みでは決め手を得られなかった。幾つかの場所に幽霊が出るという話を聞けたので、次はそれをあたってみるつもりだ。
「ふーん。肝試しならつき合うぜ」
 それを庸介に話すと、彼は呑気にそう言う。
「これはもうちょっと真剣な話なんだから」
「真剣もなにも、見えない相手に向かってぶんぶん殴りかかってる方がよっぽどおめでたいと思うがね」
 庸介は円陣の中央に種と共に言葉を吐く。
「それよりも遊びに行こうぜ。夏休み終わるまでに魔王は倒せばいいんだろ。まだ一ヶ月以上あるじゃんか」
 そして、皮だけになったスイカをぽいと窓の外へ投げ捨て、新しい欠片をとってまたかじり始める。
 どうやら彼は単に暇をもてあまして、遊びのお誘いに来ただけらしい。たぶん涼乃から状況は聞いていたのだろう。宗太郎と真哉が顔を見合わせる。
「……まあ、無理して探しても見つからない時は見つからないし、たまには息抜きもいいかもな」
 それから宗太郎はそう述べ、みんなの意見を伺うように少し黙った。
 僕はこれで今の妙な雰囲気が戻ってくれるなら、と賛成だった。さらに庸介が協力してくれることになったらなお良い。みんなも特に反対意見をぶつけることはしなかった。
「よし、じゃあ決まりな。で、だ。今ふと思いついたんだが……」
 さっそく庸介は仕切って提案してくる。
「鬼ごっこはどうだ。能力解禁で」
 庸介は意識して表情を変えまいとしている様子だったが、どう見てもやりたくてしょうがなく、きっと前から考えていたのだろうことが伺える。
「それってむちゃくちゃそっちが有利じゃんよ」
 しかし、そういうところに気づかない真哉が文句を言う。まあそれぐらいの反論は庸介も予想していたらしい。あぐらを組んだ足を組みなおし、余裕をもってつけ加えた。
「もちろん俺の場合は、自分の手で触った時のみタッチ有効な。それでどうだ?」
 僕はそこでちょっと考え、千衣子がいないなら有利不利はあるにせよ、それなりに全員能力の使いようがあるので構わないのではないかと結論を出す。
「いいんじゃないかな」
 そしてこう意見を出すと、一番弱いであろう僕が賛成したことで、真哉も納得したようだった。ここであまり揉めたくない。これ以上険悪になるのはごめんだ。
「じゃあ決まり。じゃんけんしようぜ」
 かなり強引に庸介が話を進めた。

 そして今、僕は茂みの中で息を潜めている。足の辺りに感じる蚊の気配がうっとうしい。遠くからは激しい靴音が響いてきた。どうやら真哉と宗太郎辺りがやりあっているらしい。ちょろちょろ動き回る真哉の周りにいかにして宗太郎が壁を製作していくか、二人の喧嘩を一度見たことがあるが、そんな戦い方をしていた。素直は力の発生源を見つけてそれから逃げ回るだろうから、はりきっている庸介が二人の戦いに乱入してメインの戦場になっているのだろう。当然僕はそんなところに入っていきたくないので、できる限り隠れていて一回くらいは鬼になる、くらいのバランスが適当だ。
 そんなことを考えている僕だったが、不意に肩をぽんと叩かれてびくりと飛び上がる。振り向くと、涼乃がいた。
「ごめんね、ヒロキさん。ヨウスケの我がままにつきあわせて」
 彼女はごそごそと僕の横へ入ってくる。茂みはまだ充分に広い。
「いえ……」
「あいつもね、こういう風に思う存分あの力使うの初めてだから、浮かれちゃってるのよ。ハナザキくんにも迷惑かけてるわね」
「ソウくんは結構楽しんでると思いますよ」
「ほんと?」
 涼乃はたった一つ上なだけなのに、中学生ぐらいに見えるほど大人びていた。それは容姿だけでなく口調や仕草もだ。側で見ると、長い黒髪はつやがあってさらさらしていて、僕の固くて妙な癖のある髪とは大違いだ。なんとなく黙ってしまった僕に、涼乃は続けて話し掛けてくる。
「まあ、やる気のある人だけにやらせときましょ。そのうち飽きるから」
 肩をすくめ、本格的に座り込んだ彼女は僕の耳に口を近づけ、声を潜めた。
「ねえ、ヒロキさん、ちょっと失礼かもしれないけど聞きたいことがあるんだけど……」
 僕は気が重くなった。彼女のためらいが伝わってきて、なんとなく彼女の言い出すことは推察できる。
「どうしてヒロキさんってそんな……」
 涼乃がそこまで言いかけた時だ。突然頭の上の茂みががしゃんと激しく鳴った。何かがすごい勢いでそこを通 過したのだ。二人とも慌てて空を見上げたが、そこには何も見当たらなかった。
「鳥?」
 虫にしては音が大きすぎるのでそう涼乃に尋ねた途端、後ろの方から声が叩きつけられた。
「おまえらなー、かくれんぼじゃねーんだぞ!」
 紛れもなくそれは庸介のだみ声だ。どうやら見つかってしまったらしい。上を通 過したのは彼の見えない手だ。
「じゃあ逃げようか」
 すると涼乃が含み笑いをしつつそう言う。
「けどもうあの手が届く距離なんじゃ……」
「大丈夫大丈夫。あいつそういうところだけは古臭いから」
 僕は涼乃に手を引かれて茂みを飛び出した。振り向くと、庸介が腕を組んでこちらを睨んでいる。その手に首ねっこを掴まれて引きずり倒されることを僕は危惧したが、ついに彼はそれを行わなかった。
「わははは、隙ありーっ! シンヤスーパーキィック!」
 横手の木の枝から突然彼に跳び蹴りをかましてきた真哉との戦いにもつれこんだからである。彼らは鬼ごっこというよりは、サバイバルゲームに突入してしまっている様子だ。その隙に涼乃と僕は遠いところへ逃げおおせる。
 走りながら涼乃はコロコロと笑いつづけ、やがてつられて僕も笑い出した。
 蝉の声がやかましく降ってきている。

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