夏の魔王

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7月28日(月) 晴

 今日はとてもあつい日でした。
 おかあさんにかみの毛を切ってもらいました。
 みじかくなってすずしくなりました。

 その日の朝も早速秘密基地に行こうと玄関に出た僕だったが、そううまくはいかなかった。靴を履こうとしゃがんだ瞬間、後ろからぐいと髪の毛を掴まれたからである。痛くて小さく悲鳴をあげて振り向くと、そこに母が立ちはだかって、憎憎しげに僕を見下ろしていた。
「……伸びたわね」
 その言葉だけで、僕には充分だった。僕は靴を履くのを止めて立ち上がり、彼女の後についていった。もちろん場所は風呂場で、鏡の前の椅子に座らされる。ビニールのマントをかぶせられ、銀色のはさみがしゃくしゃくと音を立てる。
 ばつん。
 母はためらいなく僕の髪の毛を握り、切断していく。ばつん、ばつん、ばつん。見る見る間にタイル床に黒い固まりが幾つも広がり始める。鏡の中の僕はどんどんと変形していく。
 ばつん。
 三十分ほどした頃だろうか、彼女は気が晴れたらしく、僕を解放した。
「行っていいわよ」
 僕は頷き、頭を振って細かい毛を床に落とすと、彼女を後に残して玄関へと歩いていく。靴を履いている時に、後ろから蛇口を勢いよくひねる音と、続いて狂ったように激しく床に叩きつけられている水の音が響いてきた。
 僕は夏の中に飛び出し、秘密基地への道を駆けた。風が吹き抜ける度に、パラパラと細かい毛が頭から落ちていく。
 秘密基地についたのは、昼少し前ぐらいだった。坑道の入口をくぐると、どうもいつもと違う感じがする。うまくいえないが、頬がむずがゆいような、妙な感覚だ。
 その正体が知れたのは、作戦室に足を踏み入れた時だった。僕はいつもここに入ると中央の丸ライトを懐中電灯で照らしてから曲がるのだが、この日はそれを見つけることが出来なかった。おかしく思って見回すと、作戦室の隅、少しくぼんだところの地面 に青い光が洩れている。何か妙な物体がもぞもぞと壁のところで蠢いていた。
「……何してるの?」
 僕は毛布をめくってそう問いかける。たちまちライトの冷たい明かりが作戦室を照らす。そして驚いた表情をした二つの顔が僕を見上げた。彼らは一瞬石と化していたが、不意に非常に慌てた様子で地面 を押さえつける。目の前でそんな不審な動きをされたら、僕がその手元を思わず注視してしまったのは当然のことだと思う。
 はたしてそこには、いくつかの雑誌が散らばっていた。僕はたぶん呆れた顔になったに違いない。毛布にライトと共にくるまってお宝拝見していた真哉と庸介は妙に逆上してきた。
「いいだろ、別に!」
「見てんなよ、早く行けよ!」
 そそくさと雑誌を毛布の下に押し込みつつ、そう罵ってくる。
「おい、スズとかには言うなよ!」
 そこを離れて本部へ向かう僕の背中に、庸介の怒鳴り声がぶつかってきた。言われなくとも、わざわざそんなことを密告するほど僕は馬鹿ではない。そう返そうかとも思ったが、それはそれで馬鹿馬鹿しいので止めた。
 本部に行くと、涼乃が一人で本のページを繰っていた。他に人影はない。
「みんなは?」
「ヨウスケとマツゾエくんは来たけれど、すぐ出ていったわ。他はまだね」
「二人は作戦室にいたけど」
「まあ、そんなとこでしょうね」
 涼乃は軽くため息をついてそう返してきた。それで彼女はたぶんあの二人が何をしていたのか知っていると僕は悟る。しかし彼女はそのことには触れず、話題を変えてきた。
「そうそう、ハナザキくんにも言ったんだけど、宿題で分からないところがあったら教えるわよ。近いうちに一度みんなで勉強会とかやりましょうか」
「スズノさんの宿題は?」
 僕がそう聞くと、涼乃は照れくさそうに笑って言う。
「もう大体終わっちゃった」
「本当に? すごいや」
「癖でね、貯めておくの嫌いなの。あとは日記だけね」
「はいはい、スズノさんは真面目ですねー」
 その時、入口の方から庸介の声が割り込んできた。たちまち涼乃は眉を寄せて怖い顔になり、そちらを睨む。ずかずかと入ってきた庸介の後ろには真哉の姿があった。彼らはちらちらと僕を見てくる。涼乃に僕が言いふらしていないかどうかが気になって戻ってきたのだろう。
「ぜひ俺に教えてくれよ」
「ヨウスケはだめ。自分でやりなさい」
「けーち」
 あっさり突っぱねる涼乃に絡む庸介。二人のやり合いを後目に、真哉が僕に近づいてきた。
「今日もモトっち休み。あとソウもたぶん来れない」
「え、そうなの」
「迎えにいったらさ、なーんか取り込んでて」
 ここで彼は声を潜めて、僕の耳に口を近づけた。
「男の人が来てたみたいだ」
「……ふーん」
「だから今日は全然そろわないなあ。正義の味方はお休みってとこか」
 そこへ庸介が割り込んできて気勢を上げる。
「よおし、じゃあ遊びに行こうぜ。みよし屋にさ、新しいクジが入ったみたいなんだよ」
 宗太郎がいないと真哉の暴走が止められない。僕はとりあえず庸介の提案に水を差すことにした。
「ねえ、魔王は探さなくていいの?」
 僕の問いに真哉と庸介はばつが悪そうに顔を見合わせる。真哉が鼻の頭を掻きながら、ため息のようにこう洩らす。
「だってつまんないじゃん」
 それは真哉の本音だったのだろう。それと同時に、僕の、そしてきっとみんなの本音でもあった。
「なんか起こるかと思ってたらなんにも起こんないし。何のヒントも出ないし。せっかく休みなのにさあ」
 真哉の身も蓋もないその言い様に、僕は咄嗟に反論できなかったのだ。
「だから俺は最初から言ってたろ、魔王なんて馬鹿馬鹿しいって」
 さらに庸介が真哉に味方し、たちまち劣勢に追いやられる。ここに宗太郎や素直が入れば説得やら理屈でこっちが勝っただろうに、僕一人ではこの二人の適当さに対抗しきれない。涼乃に目線を送ると、ありがたいことに彼女はこちらに味方してくれた。
「馬鹿にするのは勝手だけれど、見つからなかったら命の危険があるんじゃないの? それも嘘だって言う?」
「いや、それは……」
 さすがに千衣子を嘘つき呼ばわりするのにはためらいがあるらしく、真哉は言葉を濁した。
「魔王はいるとは思うけど……でもつまんないし……」
 一度揺らぐと真哉は押しに弱い。僕は涼乃に続いて彼を落としにかかった。
「少しぐらいつまんなくても、早く見つけた方がいいよ。遊ぶのは魔王を倒しちゃってからでもいいんだからさ。とにかく、死ぬ のはいやじゃんか」
「そうかな」
 しかし、僕の説得は庸介のぽつりと洩らした一言であっさり遮られた。
「え?」
「大体、死ぬって前提がおかしくないか。殺されるって意味じゃなくて、何か別 の意味があるとか。予言ってそういうもんだろ」
 そういうことか、と僕は安心して、そしてどうして安心しているのか分からなくなり少し混乱した。
「で、でも探さなきゃ」
 そんな隙だらけの反論に庸介が突っ込んでこない訳がない。もしかして肝試しの時にやりこめられたことへの反撃だったのかもしれないが。
「じゃあさ、どうやって探すんだよ。そう言うならいいアイデア持ってるんだろうな」
 詰め寄られて、僕は詰まってしまう。そんなことを急に言われても、画期的な提案がもし自分にあったのなら真っ先に出しているに決まっている。昨日のことを出して言い伏せてやろうかとの思いが頭の中を通 過していったが、いきなり約束を破るなんて真似もできなかった。
 そこで、僕の苦境を見過ごせず、再び涼乃が援護してくれる。
「いい加減にしときなさいよ、ヨウスケ。逆に死ぬという意味じゃないなんて断言できないでしょう。スガさんとの付き合いが長いヒロキさん達が判断してるんだから、私達がそこから口出しすることじゃないわ」
「これだから女ってのはよー、感情的で困るわな」
 涼乃のたしなめに、庸介は悪態をつきながらも退く構えを見せた。その一方で真哉が僕の肩を叩いて邪気のない笑いを顔に浮かべる。
「だからさ、必死に探したり深刻に考えなくてもさ、待ってりゃきっとそのうちなんか起きるって。うん、たぶん。その時になったら正義の味方発動ってことでさ」
 結局僕はなんだか分からないもやもやした気持ちを抱えたまま、魔王の話はここで一旦打ち切られることになる。
 この日は宗太郎も千衣子も姿を現さず、だらだらと時間が過ぎていった。

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